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「生感」について

昨日今日と2日間にわたって、工芸から新しいビジネスを生み出していく「クラフトソン2020」を開催した。
「工芸」という言葉、その営みについての理解を感覚的な部分も含めて参加者には感じてもらいたいと思って、今回のインスピレーションスピーカーとして、『食とアニミズム』を現在執筆中の玉利さんに話してもらった。玉利さんとは10年近く前からゆるく繋がってはいたものの本格的にご一緒するのは初めてだった。
彼が発信している内容には、とても温度というかじんわりとしっとりと伝わってくるものがあり、言葉では説明できていなかったが、まさにこの感覚を参加者には知ってもらいたいと思っていたのだった。

そこで話していた中で何度も繰り返し出てきていた言葉が「生感」だった。ほの言葉を聞いた時、あぁまさにあのじんわりしっとり体に伝わって来る感覚はこれだったのか、と腑に落ちた。
そう、現場に通い続けることも含めて彼の言う「めんどくさいこと」をちゃんとやり続けたからこそ感じられるものだ。身体的、動物的に感じとるものと言って良い。

そして、そんな話を聞いたあとに呼び起こされた僕の思い出は、タイのチェンマイを2度目に訪れたときだった。カレン族の結婚式に招待されて参加した際、なぜか象使いの上級編も受けることになったのだが(好きだからいいのだが)、その最終日にカレン族の象使いの1人から、プレゼントだ、ということでもらったものがある。それがこの指輪。

別に何と言うことはないように見える指輪だが、これは象の尻尾の毛でできている。そして象が歩いた時にたまに抜け落ちるその毛を象使いが拾って編んだものだ。これを身につけていれば幸運になる、といういわれがあるだけでなく、これをもらうということは、カレン族の仲間として認められた証なんだということを教えてもらった。
象の暮らしや生き方を学び、象の日々に寄り添い、そしてカレン族の結婚式にも参加して神聖な儀式にも同席し、一緒に酒を飲み交わして、お別れの時にもらった。

この指輪を見るたびに僕はあのときのジャングルでの暮らしやカレン族のみんなの笑顔、村の様子や匂い、象の背中で揺られたときの振動や太ももの皮膚感覚を思い出す。
あぁ、まさに「生感」。

ものづくりでいうと、こういうことは機械的に無感情で作られたものには感じられない。「工芸性」と僕が呼ぶものは、まさにこの「生感」なのではないか。町工場にも工芸の工房にも、農場にも人間が想いを込めて時間をかけて生み出しているものづくりの現場には、こういった「生感」が溢れている。
効率だけではない、「めんどくさいこと」をあえてやっていることで込められる「生感」を感じられる感覚を呼び覚ましていくこと。
大切にしたい。

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