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幸せな未来が見えない時がある。それでも生きる。

人の幸せな時期っていつだろうか?

大学で遊びまくってた時期だろうか?


ふと未来が不幸へ向かっているように感じる

昔、小学校に入学したての頃、自分は「幼稚園に戻りたい」と大泣きした事がある。
今となっては幼稚園に戻りたいという気持ちはさすがに当時に比べれば大分薄れてはいるが、たまに大泣きしていた事を思い出す。

友達と遊んでいるだけで尊いとされていた幼稚園児の時。
幼稚園児は「勉強しなさい」と先生や母親に叱られる事もなく、理不尽な事で上司に叱られる事もない。
(毒親とかだったら別だけど。)
確かに自分にとっては幸せだった時期だったと思う。

そう考えると、ふとこんな考えが脳裏をよぎる。

「だんだん不幸になっていっている?この先も辛いじゃん。」


人間も生物である以上、いずれ老いて死ぬ。
時が経つにつれ少しずつ、少しずつ体が壊れ朽ちていく。
誰だってそんなの分かりきっている事だ。
老いる事が不幸と仮定するなら「だんだん不幸になる」という考えは間違いではない。

「今」を沢山幸せにする

そんな絶望感から少しでも救い出せるとしたら、今から沢山幸せを集める事だ。

毎日仕事ばかりで辛い思いをしている人も中にはいるだろう。
辛いからこそ、少しでも自分が幸せになる事は何か?を模索するのが大事だ。
(もちろんうつで治療中の方は焦らず治療に専念することが一番大事だ。)

最近社畜系Youtuberの動画を見ている。
彼らは帰宅後も深夜3時まで働き続けたり、上司に毎日パワハラ・セクハラ・モラハラされたり、休日出勤もしている。
誰がどう見たって絵に描いたようなブラック企業な会社で働いているが、うつ病になって会社を辞めずに2年3年と、続けている。
ブラック企業の圧に耐えるには常人にはなかなかできない。
(彼らの生きざまを見習いたいようで、見習いたくない複雑な気持ちがどこかにある。)
そんな彼らがブラックな働き方に耐えられているのは、希望や楽しみが支えているからだと最近分かった気がする。

出張先でうまいものを食べたり、自分で好きなものを料理したり、大きな案件でやりがいを自分で見出したりと、人によって様々だ。

彼らは普段の仕事が辛いからこそ、少しでも幸せにつながる事を積極的にしているのだ。

生きる糧=未来の楽しみ

少し未来に楽しみを作る。
今のうちに楽しみの種まきをする。
それが生きる糧になる。

とにかく好きな事であればなんでも良い。
たとえばこういう事だ。

・「今日仕事終わったらサウナに行こう」と決める
・「今度の旅行はどこ行こう?」とスマホで情報を探す
・イベント告知の通知をオンにする

未来に楽しみを作るだけでなく、楽しみな事を思いっきり楽しむ事も大事だ。
好きなだけ夢中になる。
明日の仕事の商談がうまくいくか不安に思う気持ちも分かるが、クヨクヨ考えている時は、まだ商談が始まっていないじゃないか。
忘れてしまう程、夢中になってしまった方が「頑張ろう」と思える。

こうして絶望感しかない未来へ少しでも灯りを点けていく。
これが自分なりの幸せの求め方だ。


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