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noteの承認欲求の魔力に負けそうな時に読んでほしい

noteはなるべく数字に振り回されないように毎日投稿を続けているつもりだ。

でも反応があると嬉しいのが人間というもの。
つい、目先の「スキ」や「フォロー」に振り回されがちである。

通知欄に沢山「スキ」が来ると嬉しくなり、全く来なくなると不安になる。
沢山のフォロー通知につい嬉しくなって、こんな記事を書いてたりもした。

でも「スキ」や「フォロー」だけを追い求めてしまうと、承認欲求を埋めるだけの化け物になってしまう。

そんな危険な自分の戒めの為の記事である。


自分のnoteを読み返す


そういえば自分がnoteを書く理由ってなんだったっけ?と改めて思い出す為にも、過去記事を読み返してみた。

そんな中で自分の中でキラリと光る記事を見つけた。

「JAZZのような文章」=即興だけれども洗練されている文章

内容はざっくり言えば「JAZZのような文章」の説明をしている記事である。


そうだよ、お前は自由人だ。
何を書いても良いし、何を思っても良いんだ。(酷い暴言はNGだが)
たとえ粗削りでも、書いている文章が途中に思えたとしても投稿しても良いんだ。


…なんて書いているけど、多分後からこの記事を読み返した時「なんか偉そうだなこいつ」と自嘲してしまいそう。
別に、今この記事を書いている自分にとってはどうでもいいんだけど。
読み返した時に「なんか嫌だなー」と思ったら、最悪書き直してしまえばいい。消しゴムマジックのように。


数字を求めて読者を意識しすぎるのも良くない


「スキ」や「フォロー」を求め始めると、読者層を意識し始めてしまうのが、文章術の勉強をしたライターの性である。

自分はSEOライターを副業で数年していた経緯もあって、どうしても抜けきれない癖である。

読者を意識することは大事だが、あんまり意識しすぎても文章がなんだかぎこちなくなる。
読者層を意識して書いても伸びない記事は伸びないし、意識しなくても伸びる記事は伸びる。
体感的には、頑張って書いた記事は全然見られないが、割とテキトーに書いた記事の方が見られる感じ。
だったら、小手先のテクニックよりかは好きに文章を書いてみて、投稿量で文章力を磨こうという話。

読者層の意識は、ある程度自分の地の文章力が付いてからでもいい気がする。

(ちなみに読者層を意識するメリットについては過去に別の視点で語っている。)

投稿しつづけて磨く


自分のnoteへの向き合い方は「質より量」だ。とにかく書こう。
1記事辺りの「スキ数」や「ビュー数」は一旦置いておこう。
これが数字を追い求める怪物になりそうな自分への戒めだ。

質については、妙に伸びた記事のサンプルが集まってからでも遅くはないと思う。

まあ…人間だし、数字って分かりやすいからついつい追いたくなるものだ。
承認欲求を満たす数字は魔力がある。
その魔力はあまりにも強力で、「誰にも見られなくなった」といって筆を折るきっかけにもなってしまう。
引き込まれすぎないようにしよう。

忘れた頃にまた読み返しておこう。


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(こんな記事を書いといてアレだけど、やっぱり嬉しいものは嬉しいです。)


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