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人事異動は蓋を開けてみるまで分からない:みずほ銀行に勤めている◯年前の私へ(財務サービス部編5)

自分の力だけではどうにもならないことにあれやこれやと思い悩むのは時間の無駄

大手町支店、西新宿支店、そして財務サービス部。

いずれも場所は東京都内なので、私は転居を伴う転勤を経験したことがありませんでした。しかしながら、財務サービス部での6ヵ月間の研修期間が終わりに近づき、いよいよ次の配属先が決まるといった前日、部長からそれとなく言われたのは、どうも転居を伴う転勤でした。

ハッキリと支店名を言われた訳ではないのですが、部長の言葉から推測すると、どうも浜松支店が次の配属先だったのです。

実は当時の浜松支店長は小椋佳さん。銀行員と歌手の二刀流でご活躍されていた方ですが、以前財務サービス部の部長をご経験されたこともあり、「財務サービス部→浜松支店」という人事異動は一つのパターンだったのです。

しかし、発令当日・・・・

私の転勤先は転勤を伴う浜松支店ではなく、都内にある昭和通支店でした。

これは後日昭和通支店に転勤してから聞いたことですが、前日まで決まっていた転勤先がなぜか急に変わったとのことでした。

銀行員時代、毎年将来にどのような所が働きたいか希望を出す仕組みはありました。けれども、社員数も多い中、その希望が叶うとは限りません。

また、財務サービス部の研修生制度では、6ヵ月間の研修が終わったら、また、別の支店に配属になるという枠組みだったので、次の配属先は、毎年出す希望とは関係なく、国内の支店であることだけは決まっていたのです。

会社勤めの場合、どこに配属になるかは最終的には会社が決定します。昨今は転勤や転居を伴わない制度も会社によってはあります。けれども、私が働いていた当時は、総合職の人は転居を伴う人事異動について、基本的にはNOとは言えなかったのです。

この人事異動で私が感じたのは、物事は蓋を開けてみるまでは分からないということ。

前日の内示で「次は地方の支店かぁ」と分かって、半分楽しみのような、半分不安なような気分でしたが、発令当日になって、まさかの都内の支店勤務へ。

自分の力だけではどうにもならないことにあれやこれやと思い悩んでも、どうしようもないということを学んだ次第です。

起業してからは、どこで働くかは自分で決めることができます。また、どのような仕事をするのかも自分で決めることができます。つまり、サラリーマン時代に比べて、自由度はすごく広がりました。

しかしながら、自分が良いと思った商品が売れないこともあります。また、自分は適正な価格であると提示したサービスが、商談相手から「高い」と言われることもあります。

つまり、自信を持って作った商品を買うか、買わないかは、最終的には自分以外の第三者が決めるので、自分の力だけではどうしようもありません。

このため、自分ができることは、「自分は価値があると考えるものは誰かにとっても価値がある」と信じて、その「誰か」を探し、商品の価値を磨いて、その価値を手を変え品を変え、伝わるまで伝え続けることです。

そして、偶然の出会いを大切にし、許容可能な損失の範囲を頭に入れながら問いかけを続けることで、思わぬ成果を手にすることができます。


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