他者の評価が低いなら、下駄の部分に関するギャップに着目する
ヒーズ株式会社の岩井徹朗です。
自分では頑張って努力しているのに、人からはあまり評価されていないと感じる。
このような場合、「昭和のオジサンパターン」に陥っている可能性があります。
他人が自分を評価する場合、本人の実力とは直接関係ない部分も含めて評価します。
誰もが知っている超有名企業に勤めているAさんと、あまり名前を聞いたことがない企業に勤めているBさん。
たとえ、AさんとBさんに実力差はなくても、多くの人はBさんよりもAさんの方を高く評価します。けれども、Aさんが勤めている会社を退職して、それほど有名ではない企業に転職した場合、Aさんを高く評価する人は減ります。
このように他人の評価は本人の実力や能力以外の要素によっても左右されます。
勤めている会社、肩書、年収、学歴、資格、過去の実績etc.。
人はよく知らない他人のことにそれほど興味を持っていません。また、本人の実力や能力がどのくらいあるのかに関しては、一緒に仕事をしないと判断できません。
このため、人を評価する際の判断材料として、分かりやすいものを使うことになります。つまり、前述のようなラベルを参考にしながら一次的な判断を下す訳です。
ただ、このような他人の評価は自分ではコントロールできません。
評価する人も、多くの場合は自分と比較して相手を評価します。また、大企業に勤めているから高く評価する人もいれば、東大卒だからといって、そのこと自体を評価しない人もいます。このため、すべての人から高い評価を受けるのは所詮無理な話です。
自分でコントロールできるのは、前述のような人の評価に関する構造を踏まえた上で、自分が自分の実力をどのように評価するかです。
「年間で1億円の売上を上げた」といっても、それは一流企業という看板があったから達成できた実績かもしれません。
もちろん、大手企業で経験を積んで、スタートアップ企業に転職し、大きな実績や成果を上げる人もおられます。一方で、転職したり、起業したりしたら、同じような成果を上げられない人もおられます。
この点、自分の実力を自分で正しく評価できていないと、周りからは「痛い人」として見られます。
学校のテストではないので、仕事における人の実力や能力を正確に数字で測定することはできません。けれども、人は今の実力を過去から現在に至るまでに身につけたラベルと渾然一体となって把握するので、本人も真の実力に気づけないことが多いです。
「昭和のオジサンパターン」として昭和のオジサンをまとめて批判するつもりはありません。私自身も昭和生まれですし、仕事ではいわゆる昭和のオジサンたちにいろいろとご指導いただきながら、育ってきた中の一人です。それゆえ、私も昭和オジサンそのものです。
ただ、幸か不幸か2回転職し、最終的には43歳の時に起業したので、自分に対する評価の中で、いわゆる「下駄の部分がどのくらいあるのか」について、比較的早く気づくことができました。
一方、いま企業にお勤めの方にお話をお伺いすると、
・以前◯◯部長だった人が今の職場では全然仕事で使いものにならない
・口を開けば過去の自慢話ばかりで、若い社員から嫌われている
・上司に取り入って、少しでも長く会社に留まろうとしている
といったことをよく耳にします。
ある調査によると、男性は年齢が上がるにつれて、自己認識力が下がる傾向があるという結果が出ています。
その要因の一つが、年齢と共に自分を取り巻く環境が変わった中で
自分の自己評価は下駄の部分を含めているが、他人の評価は下駄の部分を含んでいない
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そのギャップを本人が認めようとしない
ことにあります。
他者の評価が必ずしも正しいとは限りません。けれども、事実として、自分が考えている以上に他者の評価が低いのであれば、「昭和のオジサンパターン」に陥っていないかをチェックしてみましょう。
高い下駄を履いても、裸足で地に足をつけても、自分の本質的な中味は同じです。そこには見たくない事実、自分としては認めたくない姿があるかもしれません。しかしながら、その不都合な事実と真摯に向き合うことで、これまでは自分でも気づいていない実力の要素が見つかります。
もし、「自分の実力はこんなもんじゃない」と思いながら、「その発揮の仕方がいま一つハッキリしない」と日頃感じておられたら、弊社まで一度お問い合わせください。
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