見出し画像

バブルの熱狂は人の思考を停止させる:みずほ銀行に勤めている◯年前の私へ(西新宿支店編4)

「大丈夫!バブルの経験は痛みも伴うが、リスクコントロールの知恵となる」

私が西新宿支店に在籍したのは1989年2月~1992年の1月。元号で言えば、平成元年~4年にかけての3年間。いわゆる平成バブルの最後のひと花とバブル崩壊の過程を経験した時期に当たります。

その後、別の支店に転勤した際、平成4年入行の後輩から「自分たちは景気が悪くなった時期しか経験していません」と言われましたが、そういう意味では、私は2ヵ店目で景気の良い最後の時機を過ごしたことになります。

在任期間の前半では、支店では毎週のように大きな不動産取引が行われていました。不動産の買い手と売り手が一度に集まり、銀行の融資を受けて、不動産の売買が成約。会議室がそれほど大きくなかったため、関係者がたくさんいる場合は、支店長室との仕切りを外して取引が行われていたのを覚えています。

私が配属になった融資課のお取引先にはそれほど不動産業者さんはいませんでした。けれども、新規班が開拓したお取引先には、不動産業者やノンバンクが多く、かなり活気にあふれていたのです。

しかしながら、在任期間の後半になって様子が一変します。いわゆる不動産の総量規制と呼ばれる金融機関の不動産向け融資に対する規制が実施されたのです。

それまでは、土地は値上がりするという前提の下、不動産担保があれば、いくらでも融資しますという感じでした。銀行からすれば、最終的には不動産を処分すれば、貸したお金は回収できるので、融資残高をバンバン増やしたのです。

一方で、お取引の方も、銀行の融資をあてにして不動産を購入し、高くなった時期を見計らって不動産を売却すれば、利益は出るし、借りたお金も返せるというビジネスモデルで、どんどん業績を伸ばしていきました。

けれども、大蔵省(現金融庁)の通達を下に、歯車が大きく逆回転しはじめました。

不動産業、建設業、ノンバンクという三業種を対象に貸し渋りが起こり、不動産価格の高騰にストップがかかったのです。

新しく融資が出ないなら、お取引先は手元の不動産を売ってキャッシュを作ろうとします。けれども、急いで売ろうと買い叩かれて、不動産価格が下がります。
そして、不動産価格が下がると、担保価値も下がるので、銀行は新しくお金を貸さないばかりか、既存の貸出金の回収を図ります。すると、困ったお取引先はさらに手元の不動産の売却を急ぎますが、それがさらに不動産価格の下落を招き・・・という具合に負のスパイラルに入っていったのです。

銀行には頭取というトップがいます。けれども、当時は大蔵省が銀行全体の事実上のトップ。このため、そのトップが三業種にお金を貸してはダメと言えば、各銀行の頭取もその方針には従わざるを得ません。

そして、その指示は私のような末端の社員にも届き、お取引先の事情うんぬんに関係なく、「申し訳ありませんが、新しくご融資するのは難しいです」という流れになったのです。

このようにして過去を振り返って書くと、「不動産がずっと値上がりするなんて、変だよね」ということに気づきます。そして、「不動産価格が上がることを前提にして、融資残高を増やすのはとてもリスキーだよね」という当たり前のことに気づきます。

けれども、当時は銀行間の競争も激しく、銀行も融資残高を増やすことに躍起になっていましたし、私個人も総量規制がかかる前まで、冷静に考えれば、気づいて当然のことをまったく考えが至りませんでした。

上がれば下がるし、下がれば、またいつかは上がる

周囲の人が熱狂している時、自分だけ「本当にこれで良いのか?」と疑問を抱くのは少し勇気がいります。けれども、流れの中に巻き込まれていると見えないことでも、一段高い位置から俯瞰することができたら、バブル崩壊に伴う痛みを最小限に抑えることもできます。

平成バブルの頃は気づけなかったことが、今は自然と気づけるようになりました。ただ、それには大きな痛みを伴いましたが、それはまた別の機会に書きたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?