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距離感と言葉の話

ある女性に、「あんたってコミュ障だよね。でも大丈夫だよ、病気って立派な個性だから。とても素敵なことだよ。」と言われたことがある。

コミュニケーション障害(コミュニケーションしょうがい)とは、他人に自分の意志を伝えたり、相手の意志を理解することが困難となる障害のこと(ウィキペディアより)

彼女は、自分に都合が悪いことがあると相手を病気扱いにしてしまう。好きだけどうまくコントロールできない相手の事を「あいつアスぺだからねー。」とよく言っていた。あだ名を勝手に障害名で呼ぶのだ。そんな彼女の職業は、看護師。

恋愛話を聞いてるはずなのに、聞いていて気持ちは良くなかった。一度だけ、「そうやって病気に例えるのやめた方がいいと思います。」と言ったら、良く分からない理屈を言われ否定されたことを覚えている。多分、彼女にとって言葉の価値とか、相手の気持ちとか、どうでもいいのだろう。

10年間彼女の友達をやってきた。当時は、歳の差もあるし自分も若かったから、基本否定せずに肯定してきていたし、出しゃばらない見守り役をしていた(つもり)。距離もそんなに近すぎなかったし、極端な考えの人だな程度で終わっていた。

ここ何年かで、彼女が私の家の近くに越してきた事もあり、会う頻度と距離感がより近くなった。歳を重ねるにつれ、自分も意見を言う様になり、段々と彼女から「あんた生意気。可愛げがなくなったね。」と言われる様になってきた。そして、コミュ障という個性がある事は素晴らしいよと言われる様になった。

彼女にとっては、イエスマンしかいらないのだ。

私のことを妹の様に可愛く思っているとよく言っていたが、愛の方向が暴力的だと思うのだ。

言葉は残ってしまうし、距離感は例え家族でも大切だと思う。考えが違うから弾くのは違うと思うし、もっと穏やかに話し合いができる余裕があってほしい。個性があって素晴らしいというのなら、相手の話も聞いてほしいところ。

お笑い芸人さんが何かで、信用できない人は「飲食店で、それまで自分が話していたのに自分以外の人が話を始めたら急に注文し始める人。」と言っていたけれど、私も同感です。



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