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シンガポール珍道中3|ニュートンサーカス

多民族国家シンガポールの人口構成は70%がシンガポール人で30%が外国人永住権者です。

シンガポール人の構成は中国系70%、マレー系10%、インド系10%、その他10%で。一般的にはシンガポール人の70%を占める中国系の人々をシンガポール華人と呼んでいます。シンガポール国籍の有無で華人と華僑を区別するという説がありますが、華人と華僑の明確な定義というのはありません。現在では、華僑という表現はほとんど使われず華人というのが普通です。

中国人の南下は、元王朝を倒した明王朝が元の時代に築かれた交易ルート、いわゆる海のシルクロードを独占するために14世紀に発令した海禁令による朝貢貿易に乗じて、当時東西貿易の中継地として栄えていたマレー半島の南岸のマラッカへ多くの中国人が居住したことに始まります。その後、15世紀から16世紀にかけて香料貿易の中継地として繁栄しマレー系イスラム港市国家、マラッカ王国が栄えたのはよくご存じだと思います。このマラッカ王国はマラッカ王家の末裔が治める16世紀のジョホール王国 へと変遷しマレー半島南部を拠点とする港市国家として、現在のマレーシア、シンガポール、インドネシアに及びマラッカ海峡両岸を統轄する海上帝国を築きました。この王国の末裔がサルタンとなったマレーシア南端のジョホール州が山根さんが投稿した私の仕事の舞台になった場所です。(笑)

ちょっと話が長くなりましたが、東南アジアの国々の多くが華人によって統治されている理由をご存知の日本人は案外少ないので、日本にとっては大切な国々ですから、末永く良好なお付き合いを続けるためにも、こういう歴史を知っておくのもいいのではありませんか。(笑)

こうして、中国人が南下したのですが、16世紀に始まった大航海時代を経てやがて、西欧列強によるアジア地域の植民地化が進展し18世紀の7年戦争でフランスとの植民地戦争に勝利した英国はマレーシアで錫やゴムの生産を促進。そのため多くの中国人労働者がマレーシアに流入しました。19世紀に入り、イギリスは、中国とインドを結ぶ航路の中間地点という地政学的に重要な位置にあるシンガポールを植民地にして自由貿易港を開設。シンガポールは 東西貿易中継地として繁栄し、その中心になったのが中国人でした。

14世紀終わりからマレー半島に流入した中国人はイギリスの植民地政策が進むにつれてその勢力を増し、マレーシアの二大勢力になったマレー人と華人の権力闘争は次第に大きくなりました。

そして1965年、華人が多かったシンガポールはマレーシアから独立しました。シンガポール華人とはどういう人々かというお話でした。

お疲れさまでした。(笑)


シンガポール珍道中3|ニュートンサーカス

さて、40年前、ホテルを予約して寝場所を確保した途端に空腹感に襲われた私。タクシーを捕まえて向かった先はシンガポール最大の屋台村ニュートンサーカス。

Singapore Newton Food Centre

今はすっかり近代化された立派なフードコートになってしまい40年前の面影はまったくありません。(笑)

40年前は、ただの広い空き地に、伊勢海老やロブスターや魚や貝や何種類もの海鮮を煮たり焼いたり炒めたりして売る屋台、肉を売る屋台、麺料理や点心を売る屋台、フルーツを売る屋台や飲み物を売る屋台やらが雑然と無数に点在して営業し、空いたスペースに粗末なテーブルとイスが雑然と並んでいました。

商売人の呼び込みの声やら客の喋り声やら活気に溢れ、焼き物の匂いと煙、点心の湯気、注文を受けて生きた海鮮物をその場で料理するジュッーという音と芳ばしい匂いが食欲を誘っていました。値段も味付けも屋台によっていろいろで交渉次第で伊勢海老一匹おまけとか。。人間味溢れた独特の空間が存在する良き時代でした。(笑)

なにせ食べ盛りの上に空腹だった私。片っ端から注文して丸テーブルに陣取った。(笑)  日本円で5千円分くらい注文しただろうか、運ばれてくる料理でテーブルの上がいっぱいになった。(笑)

料理を運んできた小学生高学年くらいの少年が人懐っこくて愛想の良い子だったので喋っていたら、お腹が空いてるようなことを言ったので、座って一緒に食べようっていったら嬉しそうに座って食べ始めた。(笑)

40年前、素直で正直で無邪気な少年がいた。それを咎める野暮な大人もいなかった。おおらかな国だったシンガポール。私はシンガポールが大好きになった。

無邪気な少年は何でも知っている。あの料理が美味しい、あのお菓子が美味しいと次々教えてくれる。「わかった。食べたいだけ全部買ってこい。」と適当にお金を渡した。満面の笑みを浮かべてお盆いっぱいのフードを買ってきた少年はレシートを見せながらちゃんと説明してお釣りを渡してくれた。なんて頭の良い子だと感心した。(笑)

今のニュートンサーカスには、40年前いたような少年はいない。空腹を常として無邪気な笑顔で屋台を手伝う少年はいない。そんな手伝いをさせる親もいない。それが常識だ。

これが常識。0か1かの社会。数字は0から9まであるのに、0と1で十分だそうだ。じゃあ、人間なんていらないじゃないか。人間の平準化?そんなの人間って言わないんですよ。(笑) AIが人間に近づいているって?冗談じゃない。それって人間がAIに近づいているだけでしょ。

右脳欠落。感性のない世界。そんな国が住みやすいわけがない。もちろん、私にとってのお話です。

今のニュートンサーカス
普通にレストランなのでとてもつまらない(笑)

あれ、どこかで話が脱線したようです。(笑)

それもまた人生 (笑)


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エムケイコンサルティング 良仁