意固地は身を滅ぼす

皆さんご無沙汰しております。すっかり年末、激動の2022年もあと数時間。
今年はネタを書こうとして案を沢山出していたのに資料を調べたりするのも
書く時間も取れず今に至る状態です。来年は出来れば2か月に1本の投稿をしたいです。

とご挨拶もほどほどに、最近になり各種規制も緩和され海外から観光客も訪日し我々も海外旅行へ行けるようになりましたが、この一週間のウイルスの死者が過去最悪となっている時点で規制緩和やワクチン接種に対しても疑問の声が出ています。更にフルロナとコロナウイルスとインフルエンザとの合併症も出てくるなど医療に際してこれまでにない異常事態が出てきていることに危機を感じる年末です。既存の考えでは治る病気も治らず予防法を探し迷走している間に感染爆発がまた起きてしまうのではないかという予見もされています。

大航海時代の謎の病気

感染症に限らず、病気というものは発生当初はどう対策すべきか全てが暗中模索です。
歴史は常に人間と病気との戦いを記録していました。
17世紀の大航海時代はヨーロッパからインドにかけてコショウを得るため多くの船乗りが航路を模索し旅立っていった。その船旅中に船員は不衛生な環境で足に血豆が出来て歯が抜け落ち身体の力が抜けるような謎の病を発病していた。しかし船長など高い身分の人間にはこうした病気は起こらず対策を怠ったことで約200万人の犠牲が生まれてしまった。この窮地を脱したのが船長として名高いキャプテン・クックだった。彼は一般庶民出身の船長。彼はこうした病気は食事に問題があると目を付け発病した船員にレモンのしぼり汁を飲ませたり、食事にキャベツを与えた。するとこの病気を発病する船員はなんと0人にまで抑えることが出来た。しかし当時のキャプテン・クックはこの病気とレモンやキャベツとの因果関係を解明することが出来なかった。

明治時代にも奇病が発症

時代は進み、時は明治初期の日本で身体がやせ細るなどの病気が発生した。
この病気は全身の痺れや足もとがおぼつかなる病気で重症化し死に至る事態が多発していた。この原因不明の病気に当時神童として名高い陸軍の医者で森林太郎が解明に着手した。この森林太郎というのは小説『舞姫』や『山椒大夫』で有名な森鴎外である。彼は11歳で東京大学医学部に入学し19歳で卒業したという異例の天才だった。

その林太郎はこの病気を伝染病として捉えていた。そして医師会や政府もこの考えに同意し伝染病として認知していった。

しかし当時海軍の軍医だった高木兼寛はこの病気は栄養に問題があるのではと推察した。海軍でもこの未知なる病気に罹る兵士が続出したことで高木は食事の改善に努めた。これまでの白米中心の食事を洋食(パン食)を推奨しメニューに取り入れたところこの病気に罹る兵士が0になったのだ。
高木はこの結果をすぐに上層部に報告しパン食に改めることを提言したものの、林太郎は白米を推奨していたこともありこの意見は取り入れられず、それどころか林太郎は自身で白米とパンメニューの栄養の吸収率を実験し白米が一番栄養を摂取できていることを実証したのだった。余談だが海軍ではこの際西洋のメニューが取り入れられたがその時に効率よく栄養が接種できるということでカレーライスがメニューに取り入れられた。これが海軍カレーのきっかけである。

戦争で増える奇病の患者

時は日清・日露戦争に突入し多くの兵士が戦場に駆り出された。その際にこの病気が原因で死んだ兵士が林太郎の陸軍は約2万人に対して高木の海軍はわずか3人だった。誰が見てもこの差は一目瞭然、陸軍内からもパン食への変更を求める声が多く上がったものの、断固として林太郎は白米中心のメニューを変えなかった。未だにこの病気を伝染病として決めつけていたからである。

その後当時伝染病研究の権威であったオランダのコッホが来日した。その際にインドネシアの「べリベリ」なる奇病を知ることとなる。それは日本のその病気と酷似していたため、さっそく調査に訪れてみた。すると先に訪れていたオランダ人の医師たちによる懸命な食事改善の影響でその「べリベリ」の患者は0人になっていた。
実はこのオランダ人の医師たちは高木の海軍でのパン食における病気改善の結果論文を熟読していた。その影響で現地でこれまでの食生活から玄米やパンを食べる様に推奨した結果「べリベリ」は無くなったのだった。
しかし林太郎は意地でも伝染病説を唱えていた。

世界初の大発見となるはずが…

その折東京大学農学部教授の鈴木梅太郎が「アンチべリベリ」を模して「アベリ酸」を開発に成功した。この病気に有効な特効薬としてこの「アベリ酸」の実験をさせて欲しいと大学と掛け合うものの当時医学会で絶大な影響力を持っていた林太郎の反対もあり叶わなかった。そして先にこの特効薬は
別の研究者により発表され鈴木梅太郎の成果は先を越されてしまった。そしてようやくこの成分は日本でも認知されることとなる。それは林太郎が逝去してからのことであった。

その病気は「脚気」である。この脚気の原因は鈴木梅太郎が発見した「アベリ酸」つまり「ビタミンB1」の欠乏が原因で引き起こされるものだった。
大航海時代に船乗りの間で流行した「壊血病」もこのビタミンの欠乏から引き起こされる病気である。レモンやキャベツ、玄米やパンにはビタミンが多く含まれていることから摂取することで脚気や壊血病は改善されるものの、当時はその原理が分からず様々な対策を講じました。そしてレモンやキャベツを摂取することで壊血病が玄米やパンで脚気が改善されると患者の数字で示した。しかし壊血病については食事が充実していた船長や高い位の人間には発症せず、またレモンも高価だったことから「怠惰が招いた病気」と位置付けられ、また脚気も白米こそ栄養素満点の食事とされていたため、玄米やパンを食べることを素直に受け入れられない風潮があったとされます。それに林太郎が伝染病と仮説を立てていた以上高木などの医師が論文で患者の数字を出されても神童のプライドが許さなかったのか撤回して受け入れることが出来なかった。そのため脚気については研究が大幅に遅れ犠牲者が続出してしまう結果になった。

何が正しく何が間違いなのか

こうした病気の考え方は今と似通っているところがあります。未知なる病気について我々はどう対策をすればいいか試行錯誤を繰り返し実験に実験を重ねて結果の数字を出します。そしてその数字から考察し病気への対策を考えます。しかしその研究者並び指示を出す人間の都合で病気が軽視または間違えた推測をされ結果の数字を蔑ろにし勝手な推測を推し進めた結果守れたはずの命を無下にしてしまう最悪なループが生まれます。著名な先生でも絶対性のある推察は毎回出来ません。
こうした人間に求められるのは柔軟性です。数字が自身の見解が逆転する結果でも素直に受け止め改めることが医療の現場では特に必要となります。しかし林太郎の様に最後まで自身の説を曲げなかったのは研究者としてはあるまじき姿そのものなんです。どんな結果であれ研究者は数字を大切にしなければ元も子もありません。
感情に流されて意味のない対策をしても命は守れないんです。

意固地は身を滅ぼす。どんな場面でも自分こそ正しいと根拠がない自信は信頼や信用という一度失えば二度と返ってきません。
今必要なのは柔軟な思想、数字による明確な分析。横やりに際しても堂々とした主張なのでしょう。
2023年にはこうした風潮となり世間が少しでも良くなればと思うばかりです。多種多様性を尊重できる国になればと願うばかりです。

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