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生まれて初の海外が、北朝鮮への取材だった話。(その1)

「#拉致被害者奪還」がトレンドに上がっていた。それをTwitterで見つつ、「そういえば、人生初の海外が北朝鮮だった話って、僕の中ではもう何回も話しているお馴染みネタだったので最近は話題にすることもなかったけど、結構レアな体験だったな」と感じたので、今回ちょっとノートに書いてみることにする。

ちなみに、板門店は、韓国側からだと近くまで近寄ることはできないそうだが、北朝鮮側から入国すると、板門店の中まで入ることができた。

2001年に、取材で北朝鮮へ。(自腹)
当時私は、駆け出しの業界新聞記者。宗教専門紙という分野の新聞があり、特にお坊さんを対象とした新聞社で働いていた。そんな折、取材先のお坊さん集団が「北朝鮮に寺を建立する計画の確認に行くけど、どう?」と誘っていただき、興味津々だった私は自腹で北朝鮮に取材にいくことに。結論からいうと、この「自腹(約30万円)」というのが良いように作用した。

会社なり、取材先なりどこからお金がでていたら、当然それはお金が出ているところからのバイアスがかかった「記事」にしなければならない。でも、実際取材に行ってわかったことだけれど、北朝鮮のことを記事にするのってめちゃめちゃ難しい。今の僕なら、「各所に配慮した記事」も書けるだろうけど、20代前半の当時の僕にはまあ無理だったと思う。テクニック的にも、精神的にも。

ただ「自腹」にしたことで、北朝鮮の体制なり、考え方なりに対しては、媒体では一切書かずに済んだ。これは、大いに助かった。

「北朝鮮」と聞くと、普通は「一般の人々は困窮しており、街には誰もない」というイメージかと思う。私自身、最初はそうだった。ただ、実際に行ってみると普通に人は多いし、トローリーバスなんかも走っているし、飲食店なんかも普通にある。その風景をたとえるなら、戦前の昭和の日本。経済発展は遅く、その点については、案内をしてくれた北朝鮮の方も「そうですね」とおっしゃっていた。

案内してくれた“ハットリさん”について。
なお、一応“報道枠”で取材に赴いているので、僕には日本語が堪能で、スムーズにコミュニケーションをとることができる、接しやすいタイプのベテランの案内人がついていた。あまりに日本語が上手なので、僕たちは勝手に“ハットリさん”と名付けていたほどだ。ハットリさんに普段の仕事を聞くと「日本語の新聞や報道を閲覧していますよ」と。はい。ばっちり工作員の方でした。帰国後、拉致問題が発覚し、当時の日本政府が北朝鮮と会談した。その時、ハットリさんも見切れてうつっていたと聞いたので、結構上のポジションの方だったと思う。

割とゾッとしたのは、北朝鮮のいた時には、ハットリさんの凄さに気が付かなかったこと。その後、取材記者(ライター)という仕事柄や、単純に自分が会いたいという理由で様々な“凄いレイヤーの人”とお話をする機会は多かったけれど、化物級の人って、ある種のオーラを纏っている。そのオーラを感じる感覚には、自信を持っていたのだけれど、そんなオーラは一切なし。ただ、工作員である以上は。。。

北朝鮮側の、日本に対する憎悪。
とにかくもう凄いのだ。日本帝国主義に対する、憎悪が。いや、でもそれは向こうの立場からしたらわかる。植民地支配しておいて、人権を蹂躙する、人道上許されないような殺人をしまくっておいて、韓国とは国交正常化をしているが北朝鮮に対しては「謝罪もない」となるから。その上、軍備まで増強している。北朝鮮側からすると、「敵国が軍備を強化している以上、自分たちは飢えているのに軍備を整えなかればならない。自衛しなければ、以前のように植民地支配され、再び人権が蹂躙されるから」とはなる。それは、行ってみるとわかることだけど、理解はできる。

ただ一方で、「昔の連中がした責任を、今の若い者に押し付けるよ」っていう気持ちはある。その気持ちをハットリさんにぶつけてみた。「日本を戦争に追いやったジジイやババアの首はやるから、若い者にごちゃごちゃいうは筋が違うのじゃないか?」と。

「それは、加害者側の意見です。被害者はずっと覚えていますよ」とハットリさん。この言葉は心に響いた。「イジメ」などと同じ図式。確かにそうだ。

──そんな話を聞き、消化できないようなモヤモヤを抱いたまま、日本に帰国。数カ月後、拉致問題が発覚したので、そこから日本人の訪朝はかなり難しくなった。あの時に行っておいて良かったと思う。ハットリさんからは「記事にしたら送ってくださいね」と言われていたが、記事を書くことはなかった。

結論。行ってみないと、人の気持ちはわからない。
取材では、ハットリさんを含む北朝鮮の人たちからは、向こうのロジックを聞くことができた。ただ、その上でやっぱり、「言論の自由など、自由が担保されていない国ってなんだか違うよね」って感じることも多く。これを、もし当時のとがった感性×稚拙な文章力で妙な記事を書いていた場合、「北朝鮮側」に寄っていたら日本から、「日本側」に寄っていたら北朝鮮側からバッシングを受けていただろうし、どこかを無駄に傷つけるような結果にもなっていたと思う。ただ「行ってみないとわからないことが多い」ということは、心に強く感じた。それは、ネット全盛期の今になっても、きっとそうなのだと。

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