見出し画像

歴史を編むということは、考えを深めるということ


最近の私の興味・関心は「日本」という国そのもの

昨年の12月の旅で、オランダやデンマークの「国としての考え方」に触れる度に、「日本は?」という問いが頭の中に浮かび、出発時には「外」に向いていた興味・関心の矢印は、気づいた時には「内」に向いていました。

実は、デンマークのフォルケホイスコーレ も「デンマークの過去」を学ぶことに重きをおいているみたいです。メイン科目としてはアート・演劇・ジャーナリズムなどといった"教養"を学ぶ一方で、選択科目としてデンマークの歴史を学んだり、朝会でデンマークの歌をみんなで歌ったり、デンマークの伝統・文化・歴史に「触れ、考え、学ぶ」という場面が多く見受けられます。

フォルケを創ったグルントヴィも「親から子へと代々伝えられてきた母国語と、そこからうまれてきた地域文化こそが尊く、美しい」と考え、デンマークの伝統を学ぶことを大切にしていたことがわかります。

「そもそも歴史を学ぶことって、どんな意味があるのだろう?」という考えていた時に、一冊の本とたまたま本屋で出会いました。

東京大学史料編纂所教授の本郷氏が「編、食、境、武、裸、王、笑、一、男、白、道、美。」というたった漢字ひと文字のお題から、即興で日本史を紡ぎ出すという本。

その中の「編」という章では、「日本でどのように歴史が編まれてきたのか?」ということについて紹介されていました。まとめるとこんな感じ。

・日本は中国と違って、王朝が定期的に変わることがなかったため、歴史を「編集」するという文化がなかった(中国は王朝が変わるたびに前の王朝について歴史を編集していたという)
・古くに歴史を編集したのは天智天皇・天武天皇・持統天皇の三代天皇の時代。基盤を固める作業として、国の成り立ちを綴ったのが「古事記」
・その後にも「続日本紀」など6つの歴史書が編纂されるが、平安時代の「日本三代実録」を最後に編集が止まる
・歴史の編集が再開したのが江戸時代。水戸光圀。「大日本史」という歴史書を編集
・そして、明治時代から大日本史料の編集が現在まで続けられている

本郷さんも歴史を編む一人。彼曰く、史料の編纂とは極めて客観的な作業。
外国の場合はある一定の期間の史料が空白なことも多く、「穴」の部分を、その国の歴史観から「推測」するという作業が発生するが、日本の場合は史料が多すぎて「穴」がない。結果、歴史感というものが醸成されにくくなってしまったらしい。

そんな背景もあり、日本の歴史教育も歴史の知識を使って「考える」というよりは、「覚える」という暗記科目になってしまったとのこと。

けど、彼は最後に、「日本史を編む」ということは「考えを深めるということ」につながるはずであると綴ってこの章を閉じます。

つまり、歴史を学ぶことの意味は、「考えを深める」ということ。

今、まさに私も、学校づくりの過程で、「教育」や「北海道」という切り口で日本の歴史を紡ぎ直しながら、日本という国についての考えを深めるようとしています。そして、紡ぎ直していく過程に発見が満ち溢れていて楽しい。

もし、日本の歴史・文化・伝統の学びを考える上で、おすすめの本や人がいたら、教えてください◎(この前、早速、松岡正剛さんという方を教えてもらいました。)

kaoru

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?