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移住者という自分自身にかける呪い

鞆の浦に移住をして1年と3ヶ月が経ちました。
暮らしの方はわりと順調で、大きなストレスもなく、平穏に家族で暮らしています。

僕は、このnoteやTwitterなどのSNSを自分が考えていること・考えたいことを言語化する場として活用し、発信することが好きな人間です。なにかを主張したいということよりも、あくまで思考のメモとして書き記しておきたい。

コミュニティの世界に踏み入れた5年前は、少しでも考えたことや仮説が浮かんだらすぐに発信していましたし、それが功を奏して生まれたご縁などもありました。(下記とかまさにそう)

そのような感じで、移住する前は「ローカルに関する発信」をしていければと思っていたのですが、どこかで「まだ移住して1年そこらのやつが、地域を語るな!」言われてしまうのでは…?とビビっている自分がいて。

それを感じてから、発信の内容も事実ベースというか、起こったこと・やったことを中心に話すようになっていたんです。

これは、決して誰かに言われたわけではありません。僕自身が勝手に「言われるかもしれない」と、自分自身に呪いをかけていただけ

なぜ、そうなっていたんだろう?を考えたとき、いくつか思い当たることがありました。

まず、鞆の浦という地域では、歴史・文化が強く残るまちであり、これまでの文脈を大事にしている地域性みたいなものがあると思っています。とても素敵なことなのですが、新参者の立場からすると、これまでの文脈を理解していないと動きづらさを感じてしまうところがある。最初の1年は「まちを知る」ことに徹していたのも、そのためです。

また、「鞆の浦ありそ楼」というカフェを開くなかで、多くのお客さんとお話をしてきました。総じて感じたのは、思っていた以上に皆さんSNSを見てくれているということです。お客さんが「長田さんのTwitterやnoteを読んでるよ!」と言ってくださることは、何度もありました。本当にありがたい限りです。ただ、今回に限っては、「ちゃんと届く」という実感値を持ててしまったことが、より自分の首を絞めてしまったんですよね。読まれているという前提で発信するとなると、誤解は生みたくないなと、必要以上に構えてしまっていました。

きっとこの2つが大きな要因として、自分でも気がつかないうちに、自分自身を制限していたように思います。

そんなことに気がつけたのも、こんなツイートをしたことがきっかけでして。

さまざまな方が反応してくれて、自分に対して呪いをかけていたことにようやく気がつけました。

本当にありがとうございます。
皆さんの言葉を受けて、心が軽くなったことを感じました。

冗談抜きに、本当に軽くなったんですよ
自分が勝手に感じていた「発信していいのかな?やめておこうかな…」という感覚を常に抱く精神状態は、僕にとってあまり健全ではなかったようです。

多分、これまでの僕はどこか自然体ではなかったのかもしれません。常にどこかでしがらみを感じて、もしかしたら顔色を伺うような振る舞いもしていたかもしれない。

もっと自然体でいい。

そう思えた大きな気づきでした。
改めて、よそ者であることのいいところ、そして陥ってしまう罠みたいなものがあることを知れました。

よそ者というレッテルは、自分でも気付かぬ間に自然体を奪ってしまうものである。もしかしたら、これを読んでくれているよそ者の方も、そうなっているかもしれません。

ということで、今後は暮らすなかで、活動するなかで感じたことは出し惜しみせずに発信していこうと思います。ふらっとTwitterやnoteに遊びにきてもらえると嬉しいです。

それでは!


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