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「三菱商事がケンタッキー売却方針 味とビジネス守れるか」に注目!

三菱商事がケンタッキー売却方針 味とビジネス守れるか - 日本経済新聞 (nikkei.com)

日経新聞の編集委員 田中陽氏のNikkei Viewsです。

「三菱商事が食堂をやるのか?」。三菱商事首脳(当時)のこんな発言から始まったというケンタッキーフライドチキン(KFC)との縁は、1970年春ごろにさかのぼります。日本中が沸いていた前回の大阪万博会場に米KFCがパイロット店(実験店)を出すと、物珍しさもあって大人気で行列ができました。

この頃の三菱商事は産地の開発、飼料調達から食肉加工、物流、製品販売まで同一資本で管理運営する「畜産インテグレーション」の構築に乗り出していました。ブロイラーの生産が増大するなかで販路拡大が急務となり、白羽の矢が立ったのがケンタッキーフライドチキンでした。

「ラーメンからミサイルまで」と言われた総合商社の事業領域からすれば食堂もありうるが、当時は外食産業の黎明(れいめい)期で勝算は未知数です。手を出して失敗したら名門商社の名に傷が付くことを懸念した発言でもありました。社内の反対を押し切って会社設立に奔走したのが、三菱商事で食料部長などを務めた相沢徹氏(初代の日本KCF社長)です。「味には絶対の自信がある」と説得し、道を開きました。

そうして1970年7月、日本ケンタッキー・フライド・チキン(現日本KFCホールディングス)が三菱商事と米KFC社などの共同出資で誕生しました。あれから50年超。おりしも2025年に大阪・関西万博の開催を控える今、その縁が切られようとしています。

三菱商事が日本KFCの全株式を売却する方針が明らかになりました。日本KFCの最大株主で約35%を保有し、現在の株価で売却額は約330億円と推計できます。試しに、単品のオリジナルチキン(1ピース310円)に換算してみると約1億ピースに相当します。

このニュースが流れた2月28日、一抹の不安を覚えた日経編集委員。それは「日本で愛されてきたケンタの味を守れるかどうか」というものです。本場、米国のKFCはM&A(合併・買収)や事業再編の荒波に飲み込まれ、1970年代から2000年代にかけて大株主や経営権がめまぐるしく変わりました。アルコール飲料と食品を手掛けるヒューブライン、たばこメーカーのRJレイノルズ、ペプシコ、外食のトライコン・グローバル・レストランズ(現ヤム・ブランズ)といった具合です。

新しい大株主は短期の業績改善を米KFCの経営陣に求めました。調理方法を簡略にし、食材の鶏肉も仕入れ価格の安いものへ変更します。一時的に業績が上向いても、本来のケンタッキーの味が再現できずに客足が遠のき、業績は逆に悪化していく。すると大株主は米KFC株を手放し、新たな大株主が再建に乗り出しますが、親密な食材などの取引先はすでに雲散霧消してしまい、往年の味の復活はならない。この繰り返しでした。多くの億万長者を生んだ米KFCのフランチャイズシステムもほころびが出るのは当然でした。

こうした環境下でも、日本KFCは米国の親会社の迷走を尻目に着実に地歩を固めました。2代目社長の富田昭平氏は「富田黄門」と呼ばれて各店舗を回り続けました。「マニュアルを超えて職人にならなければいけない」が口癖だった富田氏も三菱商事出身です。三菱商事は日本有数のレストランチェーンの生みの親となりました。

そして大日本印刷出身で3代目社長に就いた大河原毅氏の存在も大きいものでした。急激な円高に見舞われた1980年代、1990年代には米側の大株主から米国、ブラジル、タイなどの安価な冷凍鶏肉を導入して作業効率を上げろと要求してきたが拒みました。米国側から「背信行為にあたる」と猛烈な抗議が来たが「日本の消費者のことを分かってない」(大河原氏)と無視したそうです。試験的に海外産鶏肉を使ってみると途端に売り上げが落ちたこともありました。

日本のKFCは、フレッシュ・ヘルシー・ハンドメード(手作り)という創業者のカーネル・サンダース氏の思いを忠実に実践してきました。それを可能としたのは、三菱商事がグループで構築した飼育段階から物流、調理までの素材の徹底管理と店頭での丁寧な調理の賜(たまもの)でもありました。

晩年のサンダース氏が来日した際、大河原氏にこう語りかけたそうです。「日本が一番、私の味を守ってくれている。日本だけだ」。大河原氏は米国研修で同氏から直接教えを受けており、「味を守ること」にこだわりました。

米国で繰り返された大株主の異動による味の〝劣化〟。日本以外で展開されている「ケンタッキーフライドチキン」の店舗サービスの変質。地域密着といえば聞こえはいいですが、サンダース氏のこだわりがそぎ落とされてしまいました。そして三菱商事による日本KFCの株式売却方針です。米国や日本以外の海外で起きたことが日本で起きはしないか、歴史は繰り返すのでしょうか。

三菱商事は保有資産の効率改善を進めるなかで、日本国内でしか展開できない日本KFCの成長を描くのが難しいと判断したようです。資産効率の観点から、売却が視野に入っても不思議ではありません。しかし、日本KFCが誕生して50年余りの歴史を通じて三菱商事グループに多大な貢献をしたことも事実です。

1970年の設立時は資本金7200万円で、米社と三菱商事が中心の共同出資でした。創業当初は軌道に乗らず、すぐに債務超過に陥って三菱商事に迷惑をかけたものの、その後は順調に業績を伸ばしました。

1990年に上場した際には、三菱商事に約160億円の株式売却益をもたらしました。当時、三菱商事は中東情勢の不安定さから同地域の債権処理に追われていました。お金に色はないが、三菱商事が売却益を特別利益に計上して不良債権の償却を進める一助となったのは間違いないでしょう。

好業績を背景に大幅な増配も実施。三菱商事にとって業績が厳しいときはまさに干天の慈雨で、1980年代から1990年代にかけて歴代の三菱商事の首脳は日本KFCを高く評価していました。わずか2800万円の出資から始まったこの事業は、大成功しました。

飼料から外食まで一貫した畜産事業の構築は三菱商事グループ各社の随伴ビジネスをより一層、強固にするだけでなく、日本の鶏肉産業を海外の攻勢からはねのけ、守りました。三菱商事出身者によるスープ専門店のスープストックトーキョー、さまざまな飲食店をもつクリエイト・レストランツ・ホールディングスが生まれるきっかけにもなりました。

日本KFCの歩みの中には、節目節目で「鶏群の一鶴」がいました。そうした歴史と外食ビジネスの遺伝子を繫(つな)いでいくことができるのか。三菱商事は「立つ鳥跡を濁さない」ように細心の注意を払うべきです。

三菱商事が日本KFCを重要視していたことが分かる記事だと思いました。総合商社である三菱商事の強みが、サンダース氏の想いを守ることに繋がりました。今までの日本でのKFCのおいしさが、三菱商事のお陰だとしり、とても興味深い記事でした。