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折り重なる差別の中で 映画「シモーヌ フランスに最も愛された政治家」を観て

たった一人、前を向く女性


 予告編で激しく心をつかまれた。男性ばかりの議場で、「中絶が悲劇だと確信するには、女性の声を聴けば十分です」と演説する女性。ヘイトスピーチやヤジが渦巻く中たった1人で彼女は前を向いて立っていた。
 フランスを代表する女性政治家シモーヌ・ヴェイユ(1927-2017)だ。

男性が居並ぶ議場で演説するシモーヌ・ヴェイユ(© 2020 – MARVELOUS PRODUCTIONS - FRANCE 2 CINÉMA - FRANCE 3 CINÉMA)

 だが、不安もあった。ホロコーストを生き延び、初の欧州議長に就くまでの波瀾万丈の人生は、私(たち)とは違い、あまりに偉大すぎる。よくある偉人の伝記映画みたいな作りだったら、もったいないな。観る前はそう思っていた。

 でも違った。時系列に従わない構成で、安易な感情移入を許さない。だから単純に「感動した」とか「面白かった」とは言いづらい。でも、そこにこそ、この映画の隠された意図がある。

ヘイト渦巻く中、中絶合法化に挑む


 映画はフランス人に同化するユダヤ人の家庭に育ち、南仏で過ごした幸せな少女時代の回想から、一気に1974年のパリに飛ぶ。

 保健大臣として、中絶合法化に挑むシモーヌに、保守派から議場で反論が相次ぐ。

 「1年間でヒロシマの原爆の犠牲者の2倍の命が失われる」「フランス人を根絶やしにしようとするユダヤ人」「ホロコーストを行ったナチ同様だ!」。

 強制収容所を体験したシモーヌにとっては耐えがたいヘイトスピーチが議場で堂々と繰り広げられた。中には胎児の心音を録音して議場で流し、「この声を聴け!」と言って、議長に「発言は人間の言葉で!」と注意された議員もいた。

 50年後の今、日本の国会で繰り広げられている女性のリプロダクティブ・ヘルス・ライツ(性と生殖について自分で決定する権利)を否定するような議論の数々を思いながら、なんとも言えない気持ちになった。

 日本では今年に入ってからも、海外では30年前から使用されている経口中絶薬の承認にあたり、入院が必要など様々な制約がついたり、中絶の配偶者同意規定の撤廃が棚上げになったりしている。

 シモーヌが寄って立ったのは「ヤミ中絶で命を落としている女性がいる」という事実だった。伝統的宗教を重んじる議員の「中絶には反対する。しかし、法案には賛成する」という言葉で、フランスの中絶合法化はかろうじて可決された。

女性蔑視に抗い、司法官に


 場面は戦後まもなくのパリに移る。シモーヌは大学で法律を学んでいた。同胞の男性と出会い、結婚し、3児をもうける。

 若き日のシモーヌは、ナチスにユダヤ人を引き渡してしまったという、フランス人にとっては負の歴史を刺激しないように、ホロコーストについて口をつぐまざるを得ないというジレンマに苦しんでいた。

 やがてシモーヌは夫を支え、ドイツへの転勤にも付いていく道を選ぶ。姉との文通で「ホロコーストの生還者は汚点扱い」「親衛隊と寝て生還したのかと老婦人に聞かれた」「決して屈してはだめ」と励まし合う日々。その姉は、交通事故で命を落とした。

 その後、シモーヌは「働きたいの!」と夫を説得。「司法と政治に女性を入れるのは間違いだ」というフランスの官僚に反駁しながら司法官となり、結核が蔓延する刑務所の改善に乗り出す。アルジェリア独立運動の政治犯が収容されている施設の改善も手がける。

シモーヌ・ヴェイユの若き日。司法官として刑務所の環境改善を手がけた(© 2020 – MARVELOUS PRODUCTIONS - FRANCE 2 CINÉMA - FRANCE 3 CINÉMA)

 ここでは、日本の入管施設の非人道性と響き合うものを感じながら観た。保健大臣としてHIVの患者とも一対一で対話し、救済を訴える。国家が粗末に扱って縊ろうとする生命に、自らを投影して救済制度を作ろうと奔走する姿がたたみかけられる。

 だが、ここまでの描写でホロコーストの記憶は、一瞬のフラッシュバックでしか描かれない。

強制収容所を訪ね、蘇るホロコーストの記憶


 映画の終盤になって、雑誌の編集長から「アウシュビッツ解放から60周年の特集に協力してほしい」と言われ、76歳のシモーヌは強制収容所を再訪する。

 そこから蘇る壮絶な記憶。
 貴金属と服を剥ぎ取られ、髪をざんばらに切られ、腕に焼き印で番号を刻まれ、名前で呼ばれることはなくなった。母と姉を支え、飢えに抗して懸命に生き延びようとする。 

 回想では言葉でしか触れられていなかったが、ソ連進軍に伴ってドイツ兵と敗走する途中で、ユダヤ人との性交を禁じられていた兵士からの性暴力もあったという。

 ここで、思う。もし、この映画が時系列に沿って進んでいたら、と。映画で描かれたシモーヌの政治家としての業績は、観客にとって、もっと感情をゆさぶられるものになっただろう。シモーヌは凄惨なホロコーストの記憶があるから、「人道主義」を貫いたのだとわかれば、賦に落ちやすい。

 でも、そうはしなかった。監督のオリヴィエ・ダアンはパンフレットに寄せた文章で「年表のない、行ったり来たりする記憶こそが、この物語の要なのです」と記している。

ホロコーストの犠牲者名を刻んだ石碑前に立つシモーヌ・ヴェイユ(© 2020 – MARVELOUS PRODUCTIONS - FRANCE 2 CINÉMA - FRANCE 3 CINÉMA)

戦争を知らない私たちが、「人道主義」を貫くには


 映画を貫いているのは、「戦争被害者の記憶の継承」についてのシモーヌの述懐だ。

 後年の人たちは文献で読むことはできるが、生きた証言を聞くことができるものは年々少なくなる。そして、やがていなくなる。

 そのときに、私たちは歴史修正主義や人種差別に抗うことができるのだろうか?

 もし、ホロコーストを生き延びた体験がなければ、「人道主義」に立ち続ける強さを獲得できないという結論が導かれてしまうとすれば、私たちの未来は暗い。でも、シモーヌの生き方を見て、戦後生まれの私たちなりに人権や人道を重んじる未来を目指そうと思うことができれば、まだヘイトスピーチや優生思想が蔓延するこの社会で、巻き返す余地はあるはずだと思う。

 映画が提示した宿題は、とても重い。でも、女性解放がフランスに遅れること50年の今の日本で、確実に必要とされている問いだと思った。
                  (阿久沢悦子)

貫かれる「人権尊重の理念」                          大阪大学・島岡まな教授に聞く


 フランスでの研究歴も長い大阪大学の島岡まな教授(刑法)にシモーヌ・ヴェイユの業績やフランス国内での評価について聞いた。

 シモーヌ・ヴェイユは、フランス国内で、非常に尊敬されている政治家の1人だ。 中絶合法化は、特にカトリックが強かったフランス社会に、日本人が考えている以上に大きな変化をもたらした。そのこと自体と彼女自身の活躍が相まって、フランス国内での女性の権利や地位の向上に大きな影響を与えたと思う。

 ホロコーストを唱導したナチスドイツほどでなくとも、ユダヤ人はヨーロッパのどの国でも差別されてきた。シモーヌはさらに女性であることで、二重に差別されたと想像する。でも、それを跳ねのけて、重要な改革を実現することで、だんだんと人々の尊敬を獲得していった。彼女の活躍は、人種差別や女性差別に反対するアイコンとして、人々に影響を与え、行動を促したと思う。

 私自身も法学者として、シモーヌが政治家になる前にまず司法試験を受けて法律家になり、地道に刑務所の改革や弱者の人権保護に奔走した姿に感銘を受けた。 ジェンダーやダイバーシティ推進は、日本では経済向上やイノベーション創出の文脈で語られてばかりいるけれど、最も重要なのは「人権尊重の理念」だ。 大阪大学副学長として、この理念を中心に今後、ダイバーシティを推進していきたい。

 個人的には1990年にフランス大学院に留学し、専門の刑法以上にフランス人の人権意識に感銘を受け、180度価値観が変わった。フランス人との結婚、出産を経て、観光旅行ではわからないフランス社会の人権尊重姿勢に衝撃を受け、帰国後は日本社会が少しでも近づくように、30年以上微力ながら努力してきた。フランスに行かなければ全く違う人生だったと、フランスという国に感謝している。

 もちろん、植民地の負の遺産や、今問題となっている移民たちの不満など、問題はあるけれど、それもフランス人の約3割が移民由来という開かれた社会の副作用だ。今後もフランス社会の対応を注視していきたいと思っている。


 

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