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小学校のプログラミング教育なんていらない!

昨日も毎月楽しみな 池元 正美 さんの 「キャリア開発24の扉」の読書会が行われました。毎回気づくこと満載なのです。

今回は第4の扉「管理能力と職域」

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簡単に言うと 従業員・監督者・管理者・幹部と、職域が上がっていくと(後で述べるかもしれないが、この上がっていくっていう感覚自体が間違っているwでも、このほうが説明しやすいので、このまま使おう。)必要とされる能力の比率が変わってくる。

カッツモデル

アメリカの経済学者 R・カッツ曰く
・テクニカルスキル
・ヒューマンスキル
・コンセプチュアルスキル

横文字嫌いなので、この本と同様に言葉を言い換えて使います。

テクニカルスキル > 専門能力
ヒューマンスキル > 人間理解能力
コンセプチュアルスキル > 概念化能力

それぞれの意味をかんたんに説明すると

専門能力

専門能力は、従業員がものを作ったり、営業したりとその部署で仕事をする上でなくてはならない技術能力です。

人間理解能力

人間理解能力は、上司と同僚と部下と自分が何を考え相手が何を考えているか、お客様や外注先が何を考えているかを理解し話し合える能力です。自分の気持ちや考え方を伝え、相手の気持ち考え方に寄り沿うことができる能力です。

概念化能力

概念化能力とは、世の中、会社、現場で何が起きているかを判断し、これから何が起きるかを予想し、何をやったらいいか、何をやらないほうがいいかなどを考える力と、それを言語化して社内に部下にお客様に伝える能力です。
さて、このそれぞれの能力が立場によってどのくらいの比率で必要か。というのを表したのが、第4の扉です。

従業員の時点では、専門能力が必要で割合が高い。
監督者や管理者になるにつれて、専門能力よりも概念化能力が必要になってくる。ただし、どの立場においても、人間理解能力の必要性の比率は変わらないというもの。
仕事をする上で、専門能力は、もちろん必要だが、その割合は職位が上がると比率が下がるということ。

※これグラフの騙されやすいポイントで、専門能力が幹部には必要ないと言っているのではない。専門能力はそのまま増やしたとしても、概念化能力のほうがもっと多く必要になっていくということです。なので、比率としては少なくなるということです。

さて、今回テーマにしたいのは2つなので、まずは、
「プログラム教育なんていらない!ってか、名前変えろ!」
っていう話をしたい。
実は昨日この概念化能力の話になって、先日の別のところでも話題になった。
この概念化能力は、現在起きている現象を分析して、どこがどう影響を与えているか、これを抜かしたら、どうなるか、これを追加したらどうなるか。また、それを筋道立てて相手に伝えれるか。命令指示が出せるか?ということだと思う。

例えでよくある話だが、
経営している事業の中で、数字上は不採算部門があった場合、不採算部門だけ売却したり、止めてしまえば収益は上がりそうだと思う。でも実際にやってみると、今まで収益がたくさんあったところに影響が出てきたり、そこが不採算部門になったりする。そしてまたそこを外すと今度またちがう部門が不採算になったりする。つまり全体の様子が理解できていないと数字だけ見ても、うまく行かないということ。
複雑に関係している状況をどう判断するかということ。
社員やグループにも言える。あいつがいないとうまくいくはずなのに、と言って、一人を解雇したり、グループから外すと新たな火種が見つかったりする。もっと険悪になったりもする。

それぞれの人の持ち味を生かして、どのように配置して、そうしたらどのような影響が出そうか、そして、その影響が出ることをうまく他のみんなに説明できるかだとおもう。

概念化能力≒プログラミング力

この概念化能力がまさに、プログラミングなんですよね。 この命令文を書いたら、こういう結果が出て、中ではこんなふうに計算すればうまくいくと。 インプットがあって、アウトプットがある。そこに至るためには、色んな方法がある。どれがいいかどれが最適化を考え、うまく動かないバグが出れば、修正して影響しているところを取り除く。ただしその取り除いたことで他の部分に影響が出てくるかもしれないことを考えながら行う。コンピュータは、指示通りのことしかできない。なので、間違った答えが出てきたのであれば、プログラムを書いた本人が間違っている。きちんと思考を整理して筋道立てて組み立てて、実行する。そんな訓練が本来のプログラミング教育だったはずだ。
しかし世の中に聞くプログラミング教育は、今後ITが流行ってくるIT技術者が足りなくなる。仕事をする上でプログラミングを学んでおくと食いっぱぐれない。だから、小学生のうちから学ぼうと。将来いい会社に入れるように、仕事につけるようにと。
導入を受け入れる小学校側としても、先生たちはIT苦手な場合も多く、いきなりプログラミング教育と言われても、言語なんてわからないし、教え方もわからない。という拒絶反応も大きいと聞く。
プログラミング教育は、C言語やJAVA、BASICなどを勉強するのではなく、まさにこの疑念化能力を培うのには向いていると思ったのです。
なので、プログラミング教育というと誤解されているなと。
先日は、小学生を持つお母さんから、「今度娘のプログラミング教育が始まるので、平井さんITだから教えてあげてもらえないだろうか」と家庭教師の依頼があった。お母さんは、プログラムを教えてもらいたいと思ってたみたいだ。でも、小学生のうちに言語を覚えても仕方ないのではと思ったら、使っている教材を見てなるほどと思った。ある行動をキャラクタに動いてもらいたいと思ったときに、どんな命令を、どんな手順ですればいいか、こっちは先にするほうがいいのか、あとの方がいいのか、などを考えながら動かしていく、まさに概念化能力である。そしてそれを命令にする言語化能力である。ここまでを理解している先生がどれだけいるのか。またそれを理解している親がどれだけいるのか?と考えると、
タイトルの プログラミング教育なんていらない!っていうよりも、
プログラミング教育っていう名前を見直したほうが良くないか?ってのが正解かもしれない。

本当に必要なのは、国語と算数だと思う。


プログラミング教育に必要なのは、まさに、言語化するための国語力だし、どう数値化するかの計算力・算数力だと思う。 英語よりも、国語算数をきちんと学びそして、概念化能力を培う教育ができれば理想だなと思った。そのときにプログラミング教育という言葉が適切なのか?と問いかけて終わります(笑)

2つ目のテーマまで書くと長くなりそうなので、次に回します。
次は、人間理解能力について。

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