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#263 親の介護⑮

こんばんは フミオです。

今日のnoteは、母親の看取りのことを書いておこうと思います。私は、一人っ子で父親の反対を押し切って福祉の道を選んで両親の死を父は病院のICUのベッドの上で、母親は自分の勤めた法人施設で看取った。

両親ともに、半人前の私を知ってかしっかりこの医療・介護を生業にしていく私に、肉親の死と向き合うことを身をもって教えていった人と今も思っています。そのお陰で、仕事で看取りの話をする時には嘘偽りなく語れています。


■妻からの母親の身体のはなしから

 私の記憶が間違ってなけば、母親の病気の話を知ったのは妻から聞かせれた記憶になっています。経過は、母が体調の異常を気にして悩んだ末に、妻に相談し母から知らせるのでなく妻からになったと記憶しています。

答えは、簡単です。私がショックを受けるだろう?という妻と母親の判断からです。今では、その話を聴いた画は記憶にないです。しかし、血尿が出ていてかかりつけ医に受診したら、「直ぐに病院を紹介するからいきなさい。」と言われたと話を聴かされた記憶しています。

結論的には、腎臓に癌があり手術をすることになりました。

■手術は成功しました。しかし

 手術は、腎臓と尿管を切除して転移もなく成功しました。正直、ホッとした記憶があります。しかし、3カ月に1度術後の再発も含め受診することになりました。

3カ月経過して、問題なし「よかった」と思い、そして、3カ月後に膀胱に再発。内視鏡で手術を何回繰り返しただろう?検査・再発・検査・再発・・。そんな繰り返し、正直何回そんなことしたかな?と思い出せません。

そして、抗がん剤を使っての治療もしました。この治療は、膀胱に抗がん剤を入れて膀胱の内側のがん細胞をたたく目的だったと思います。この治療はとても辛かったらしく。次は、がんが進んでも絶対したくないと宣言するくらいの治療だった様子でした。

最後は、放射線治療したりした末に、残った腎臓と膀胱をつなぐ尿管に癌ができ、おしっこが流れなくなり腎盂腎炎になり、尿管にステントを入れ、おしっこが流れるようにしました。

■腎瘻か透析かの選択へ

 傾向的には、母親の病状は増悪していくことになりました。主治医からは、がんを切除、残った腎臓を切除して透析にするか、腎臓にカテーテルを入れてそこから尿を外に出すか?の選択を決めるように説明を受けました。

ここまでの治療経過の中で、わたしも妻も受診に同席し、医師からの説明を一緒に聴くこともありました。しかし、この腎瘻か、透析にするかの説明は
私的には、かなり応えたことを憶えています。

母親が医師からの説明を受け止めて、判断する姿は気持ちが苦しくなったことを・・・。母親が小さくなった感じがした瞬間です。なんの因果かわかりませんが、妻は透析に関わるNurseです。母親が病状や医師の説明について妻に尋ねて判断したりしていました。

私というと、全く機能せずポンコツぶりを発揮していたことしか記憶にありません。

■今日のnote

 仕事で他人の医療や介護に関わり、仕事で何度も病院にて医師と家族との説明に立ち会った経験があっても・・・。自分の親の時には、何もできないことが本当のところです。

 だから、いかに医療や介護に詳しくない家族が医師から病状の説明を受けても気持ちは、不安や混乱しかありません。

私はこの経験から、医師と家族のお話に同席するタイミングがあれば、家族が知りたいであろう質問をさせて頂いたり、説明後に、家族と医師からの説明の振返りをするようにしています。

家族が、その時できる最善の判断ができるために。

※この続きは、また明日。

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