♯264 親の介護⑯
こんばんは フミオです。
「親の介護⑮」の続きをnoteします。今日は、私が医療と介護の仕事しているが故に悩んだことを書きます。
■母親が施設という言葉を出した
母親が腎臓を切除する手術をした後に、場面は記憶がハッキリしていないのですが、多分夕飯の後に「あなたの勤めている施設は入れるの?」と聴かれたのが最初であったと記憶しています。
正直、病状も重くもなく術後ではありましたが、普通に生活できていたので親を施設に入れることなど全く考えていませんでした。そして、母親を介護するという実感は、完璧にゼロでした。
冗談か、本音か。癌を病む以前から、「歳を取って動けなくなったら、施設に入れていいからね」と言われてはいましたが。しかし、このタイミングで母親から言われた時には、「マジか」と思いました。妻とも相談しましたが「母の介護が必要になっても自宅で看るつもりと思っている」と話していました。
正直、私も在宅生活を言葉にして利用者とその家族にススメていたので全くそんな思いもなく、むしろ在宅で頑張るのが当たり前と思っていました。
しかし、母親という人間は、冗談をいう人間でもなく苦労して生きてきたことも知っていたので、「嘘をいってないな!」と感じたこと軽くショックを受けました。
今、このnoteを書きながら、思い出せば予後にハッキリしない時期とは言え、母親は何らかの覚悟があったのかもしれません。
■入院と退院を繰り返し、弱くなる母親を看ながら介護支援専門員を考える
入退院を繰り返し、腎瘻か透析かを悩む前に、母親の様子からまじめに在宅介護を考えて、いつ介護保険の申請をして居宅の介護支援専門員を決めようか?と考えるタイミングがありました。
お恥ずかしい話、このnoteでも「事前準備」をしておくことを書いています。この時もう10年も前になります。親の介護を真に覚悟して生活にも仕事にも向き合っていたかとうと、これも正直ゼロの気持ちでした。
しかし、想定をしなければいけないと考えを持っていたので同僚に在宅で介護するのに、私の親の症状にあった介護支援専門員を相談をしました。選ぶポイントは、母のキャラクターと症状、それに私という人間を踏まえて、「誰がいいかな?」という相談です。
最終的には、この相談した同僚にもしの時はお願いしますと、私がお願いしました。理由は、看護師であること、私のヘタレな気持ちに対して切り込んで判断をしてくるれること、動きがはやく対応が早いことでした。
私に、答えを迫ることができる相手ということでしょうか?私は、結果もありますが結果につながる判断の考えとプロセスを間違えい介護支援専門員がいいと考えていたので、相談した時から結論は出ていたのかもしれません。
■腎瘻にすることに
腎瘻にする選択を母親はしました。これ以上つらい思いをしたくないというのが母親の口から出たことを記憶しています。腎瘻にて変わった生活。
背中ら細い管が伸びて、尿を貯めるバルーンバックをつけて自宅で過ごす生活の始まりです。体調も良くないのでベッドで横になる生活と慣れないものをつけての生活は、自宅に居ても母親の感覚を狂わせるには十分でした。
一番の問題は、バルーンバックが抜けやすく、尿がもれやすく母親の動きを左右させてより、バルーンを引っかけて引っ張り抜けそうになるの繰り返しです。処置的なことは妻に依頼できました。
しかし、抜けてしまうと病院に行って、再挿入してもらわないとバルーンが入っている「穴」が閉じてしまうということです。このタイミングで施設へ入ることを母親と妻と私で相談してことを憶えています。
そして、腎瘻をつくる選択の際に、私たち夫婦には母親の余命の宣告を受けていました。
■今日のnote
いくつもの決断をしなければならないことが多いとうのが正直な気持ちです。しかし、決断とは何か?自分側か母親側か、どちらに向き合う覚悟があるかの決断です。
私の決断は、自分側の決断が多く、病気においても弱い母親に対して、母親を期待していたなと思います。今、振り返ってもそう思います。そうさせる理由は、のちにわかるのですが。
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