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#266 親の介護⑱

おはようございます。フミオです。

なぜ、母親のことをこんなに書けるのか?単純に父親と考えると、朝、突然倒れて病院に運ばれ7日間で亡くなった父親と、難しい手術から内視鏡による手術、抗がん剤治療、放射線治療、余命宣告、施設の生活と年単位での経過の中で、自分の気持ちが揺さぶられたからだ思います。

今朝は、揺さぶられた複雑な気持ちをnoteします。

■病院での光景 2選

 有料老人ホームに入所し、受診しそのまま入院ということもありました。この時期になってくると、自立していた母親も概ね車椅子での移動になっていました。そんな時期の入院中に、家族で病院へ面会にいきました。

・今でも、その時の衝撃・ショックはありません。

 母親がナースステーションに車椅子に乗って看護師さんたちと一緒にいるのです。その光景を見た私は、「なぜ、ステーションにいるんだ?」ではなく瞬時に、頭の中で私が仕事で見慣れた「目がなさせない高齢者を見守るために、スタッフの目の届くところにいたもらう」(言い方を変えれば、手のかかる患者で転倒などな何かしらリスクがあり見守り下におかないといけない状態)

そんな光景に、「母親がとうとうそんな状態になったのか?」ではなく、母親に対して思っていた姿が崩れた瞬間であり、母親にどんな姿を期待を私が持っているかを気づいた瞬間でもあり、私が同様に目を離せない高齢者を仕事をしながら、見守っている自分の仕事の光景を思い出した瞬間でもあり、また、同僚が目が離せない高齢者に接する前後の会話や姿を思い出す瞬間でした。

その時の心の内は、スライドのように像といろいろな感情が気持ちの内側に一緒にあふれたというより、塊になって突然気持ちを誰かに支配された感じでした。今でも、その光景は脳裏に残っています。

・もう一つの光景は

一人で病院へ面会にいった時(?)記憶が定かではないです。病院の多床室にて、母親のベッドが壁付けにしてあり、床にはセンサーマットがあった光景です。そして、その部屋での母親との会話です。

言葉もかみ合わず、母親の発する言葉から状況も状態も感情も思考も全く汲み取ることができない姿でした。仕事柄、高齢者のことばや姿を肯定的に受け入れて言葉に気持ちも心も傾けて、私の知っている母親の姿から推察と推測をしようとこころみました。
しかし、全く言葉の意味も気持ちもわからなかった時間。

■今日のnote

 この光景は、自分が何で形作られてきていたか?如何に、親という「いつでも逃げ込める場所」を持って生きていたか?というを突き付けらたこと。仕事で向き合う自分の姿や気持ちについて、嘘もいい訳もできない気持ちを突き付けらた出来事でした。

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