「いつか治るだろう」という考えは足元をすくわれるのでやめた方がいい
「希望的観測」
という言葉がある。
これを辞書で調べてみると、
とある。
これは、なにかが始まった際、その結末が自分の都合の良い形で終わればいいな、というご都合主義な考えかたのことだ。
パニック障害はもちろん、うつ状態など心の病に陥っている人全員ではないが、
「いつか治るだろう」「そのうちに消えていく」
といった「希望的観測」による考えかたを持っている人は少なくない。
だが、そうは思っても心の病に「いつか治るだろう」という考えかたは通用しない。
「いつか治るだろう」はほぼ半永久的に治らないことを意味し、治ったとしても相当な時間を要することになる。
この考えかたを持ってしまうのは、現実逃避のひとつと考えることができる
実際にいろいろと治療を受け専念し回復を目指すが、思っていたよりも回復が見えてこない場合。
諦めることもできないので、「いつか治るだろう」という希望的観測へと入っていく。
また、心の病の当事者でありながらそれを受け入れることができず、治療に専念することなく忙しさから元のポジションに戻ろうとしているとき。
「忙しさでそれにかまっていられない」といわんばかりに、当事者意識がなく希望的観測へと入っていく。
心の病とは残酷なもので、「希望的観測」で済ませようとしているうちは回復は遠のくし回復へのスピードも上がらない。
しかし、心の病に対して”当事者意識”を持つことで、そこで初めて回復への道筋が浮かび上がってくる
以前、私のカウンセリングに通っていたある一人のクライアントは、当初この「希望的観測」の真っただ中にいた。
カウンセリングを受け始めた頃は当事者意識でカウンセリングに望んでいたが、回復へのプロセスにある程度時間が必要と知ったとき、「希望的観測」に変ってしまった。
パニック障害という心の病が自分が思っていたよりもっと早く、比較的簡単に治ると思っていたので、意思が薄らいでしまったようだ。
パニック障害やうつ状態、抑うつ、適応障害などといった心の病は急に発症するわけではない。
個人差はあるが、長ければ何十年も心の病の種を抱え続けたまま普段の生活をしている。
そして、いよいよ抱え続けられないほど心の病の種が大きくなったとき、心の病として発症してしまう。
この、心の病の種が大きくなっていくプロセスは自分では気がつかないものだ。
多くは周りの人、例えば家族や同僚、友人、知人などが異変に気づきその人へ伝えるなどアクションを起こし、そこで初めて気がつくケースも多い。
仮に心の病の種を10年間抱えており、キャパオーバーによって心の病として発症したとき、10年間蓄積されてきたものが簡単に変化を及ぼすことはない。
人間はどのようなことにでも、
”すぐに、楽に、簡単に”
ということを求めるが、パニック障害の完治・改善にはそれは適用されない。
なかには2~3回のカウンセリングで完治・改善までいくこともあるが、それはどちらかというと稀なケースだ。
例え専門家といえど、やはり最低でも5回はカウンセリングでの状態を見ないと、回復への道筋を立てることさえ難しい。
「希望的観測」を持ってしまったクライアントだが、その後カウンセリングにて考えかたを修正し、改めて当事者意識の重要性を理解し、改めてカウンセリングに望んだ。
そこからは、やはり当事者意識を持っているほうが強い。
計8回のカウンセリングにてパニック障害はクライアントから離れ、いまでは仕事で海外に移住してしまった。
どのようなことでもそうだが、やはり当事者意識、自分ごととして物事を捉える、物事をつかむほうが自分が望む結果に届くスピードも早い。
希望的観測、特に心の病では完治・改善まで遠のいたり道筋が定まらないなど、まさにデメリットが多い。
いわゆる「足元をすくわれる」というやつだ。
希望的観測ではなく当事者意識をしっかりと持つ、自分ごとであると認識し、治療にあたれば、そう遠くない未来にあなたが望む結果を手にするだろう。
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