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誰かのために楽しく生きる

最近、毎日がそこそこ楽しいなあ、と思いながら暮らしている。ここのところアップしている記事も、幸せに関するものが多かった。

なんだかんだで日々はあわただしいし、思わずうーんと渋い顔をしてしまうような出来事はたくさん降りかかるし、悲しいこともちょくちょく起こる。親しい人との別れもあった。

それでも、昔よりは小さな幸せを見つけるのがうまくなったと思うのだ。丹精こめて、というほどではないにしても大切にしている植物たちに花が咲いたり、娘たちに愛おしさを感じたりするたびにちょっとした幸せを噛みしめる。

若い頃の私はかなり浮遊的に生きていた。遊び、本を読み、ときどき仕事に熱中し、おしゃれにかまけて暮らしていた。とくに自分のスタンスなんて決めていない。妙にあり余っていたパワーを使いこなせずにふわふわと毎日を過ごしていた。

実際、「あの頃、どんなだった?」と聞かれても詳しく思い出せない。思い出の品をとっかかりとしてぽつぽつと記憶がよみがえるくらいで、なにを真剣に考えていたのかはおぼろげだ。

けれど、双子の娘たちを産んでからはやっと自覚的に生きはじめた。私と夫がお世話をしなくては存在し続けられない小さな命を前にして、「この子たちにそれなりの後ろ姿を見せなきゃなあ」なんて思うようになった。

私自身が人生を楽しまなきゃいけない。娘たちが「ああ、四十年、一生懸命生きたって、どのみちあんな人生なのか」と感じてしまわないように。

やめたのは「時間がない」という口癖。時間には限りがあるので、ないっちゃあないけど、あるっちゃあある。きっとそれが時間のほんとうの姿だ。

「時間がないもん」と言わないようにして、かと言って無理はしないようにして、自分のやりたいことに少しずつ手をつける。そうやってあれこれ楽しもうとしてきた。仕事もちょこちょこしているし、本も読む。娘たちとお出かけも楽しむし、できる範囲でおしゃれもする。このあいだは春物の洋服オーダー会に行ってきた。

来月には、春先から着られるブラウスが一枚届く。娘たちがそれを楽しみにしていて、お揃いが着たいそう。残念ながら女児用サイズの展開がない品だったので、似たものを探さなくては。

今読んでいる『長くつ下のピッピ』はもうなん巡目かわからないくらい。こちらもそろそろ次の作品を買おうね、と話している。本屋さんに行くのを待ちわびている娘たち。

そうやって、次のシーズンに楽しみをつないで日々を送っている。彼女たちが人生を「なんだか、いいもの」だと感じるためには、私や夫が生きることを味わっていればいいのだと思う。いっしょにわくわく、ひとりでわくわく。毎日の「ちょっといい」を大切に暮らしていこう。

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