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変容を知る者は強い

高校の卒業文集に書いたことを今でも憶えている。「10年後の自分はどうなっていると思いますか?」という質問への答えだ。

「フランスで暮らしている」

……なぜフランス。なぜ暮らしていると断言する。

中二病を引きずっているように見えるかもしれない(実際そういう部分もかなりあった)けれど、わたしなりに理由があって書いたことではある。

高校卒業前のわたしは蓮實重彦の『表層批評宣言』に心を大きく揺さぶられたのをきっかけに、フランス思想にハマりにハマっていた。大学受験そっちのけだった。

大学に行ったらフランス思想を勉強して、いつかフランスに住むんだ! そう決めていた。

しかし、大学に入学し、一般教養を終えたあと、定員割れの哲学科にみごと進級を遂げたわたしの志は打ち砕かれることになる。

わたし、哲学向いてない。あまりにも才能なさすぎる。そんなふうに思う出来事がたくさんあった。たかだか大学三年やそこらで才能がないとか言い出すあたり、根本的に思い違いをしていたとしか考えられないのだけれど。

でも、当時はそう感じてしまった。落ちこぼれの心は折れた。

当然、フランスに住むどころの話ではない。卒業論文を仕上げるのでさえ四苦八苦。口頭諮問の直前に胃の調子がおかしくなって嘔吐し続け、数日入院したこともあった。胃カメラ検査で流した涙は、もはやなんのせいだかわからなかった。

そういうときを経て、高校卒業から10年後のわたしはフランスに住んでなどいなかったし、アラフォーになった今も日本でほそぼそと暮らしている。

フランス思想への暗い情熱はたぶん今も冷えきってはいない。でも、わたしの心はすっかり変わってしまった。「哲学は趣味として楽しめばいっか」と思っている。

志を貫き続ける人は、尊敬される。そんな場面を多く見かける。あの有名人もあのアスリートも、初志貫徹の人として紹介されている。

けれど、それは心変わりをする人々の多さを表しているのかもしれないなあ、と思うことがある。少なくともわたしはそうだ。自分の心が情けなくもかんたんに変わってしまったことを知っているからこそ、信念を曲げず夢に向かう人を尊いと思う。ひたすらすごいと思う。

ただ、自分のダメさ加減を痛感し、かえって図太くいられるようになったのもほんとうだ。

志は砕けやすく、心も移ろいやすい。そのことを知った今のほうがずっと強い気が、なんとなくしている。

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