後悔のうえを走るもの
夫によく言われるのだけれど、わたしはお年寄りに話しかけられることが多い。女性であること、威圧感を与えにくい小柄な体格であることが理由なのだろうと、自分では思っている。
このあいだはスーパーマーケットで80歳過ぎと思われる女の人に声をかけられた。
「頭、上手にやってるねぇ。かわいらしいのもついてるわ。それ、どないしてるん?」
わたしのヘアアレンジを指差し、目にはおちゃめな光をためて、女の人は立っていた。おばあちゃまとお呼びしたい風情である。
その日のわたしは、後頭部を軽く編み込み、うなじの上でシニヨン(おだんごヘア)をつくったスタイルに髪を結い上げていた。
ヘアアクセサリーはcolette maloufのポニーとTHE HAIR BAR TOKYOのヘアピン。春なので蝶々モチーフを選んだ。
「これ、後ろは編み込みなんです。その下をくるっと丸めておだんごにしただけで、けっこう簡単なんですよ」
買い物かごを右手に構え、ほんの少し体をねじって後頭部を見せたわたしに、おばあちゃまはにっこりと笑ってくれた。
「若い人はええねえ。髪の毛たくさんあるから、結うのも楽しいねえ。ええわ、ええわ」
わ、若くはないのですが。そんな会話を交わして果物売り場で別れたおばあちゃまと、お会計後のサッカー台でまた会った。
お店の買い物カートに全身をもたせかけかけていたおばあちゃまにとって、サッカー台に買い物かごを移動させるのは大変そうに見えた。店員さんもみなさん忙しそう。
わたしが「お手伝いしますよ」と声をかけ、買い物かごをサッカー台に乗せたら、こちらが恐縮するほどお礼を言われてしまった。ごめんね、ごめんね、とおばあちゃまに謝らせたままでいるのも心苦しいので、あわててスーパーをあとにした。
……という一部始終を夫に話したところ、彼はにやりと笑った。
「ママは案外優しいんよなあ、お年寄りには。パパにも優しくお願いします」
夫にも優しくしているつもりだけれど。
わたしがお年寄りを気にかけてしまうのは、母方の祖母に優しくしてあげられなかったことを悔いているからだと自覚している。
大学時代、心配性の祖母はわたしの就職活動がうまくいっていないことを憂い、いろいろとアドバイスめいた言葉を投げかけてきた。
リクルートスーツは清潔感のある着こなしをしているのか、企業の人に対して礼儀正しくしているのか、など。「ちゃんとせな、あかんのやで」。
一つひとつが若輩者のわたしにだってわかりきったことで、それが苛立ちを増幅させた。
「わかってるよ、うるさいなあ! なんも知らんのに口出しせんといて!」
そう怒鳴ってしまった春を、今でも思い出す。ごめんなさいと言えないまま、5年後に祖母を逝かせてしまったことを。
ひどい孫のわたしなのに、夫には優しいふうに映るらしい。ならば、優しさとはときに後悔の上を走るものなのかもしれない。
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