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女らしさについての雑感あれこれ

ジェーン・スーさんと中野信子さんの『女らしさは誰のため?』を読んだ。

女性性やジェンダーについて論じる書籍は数あれど、これはカジュアルな対談形式で「女らしさ」を扱っているところがとても意義深いと思う。いまいち納得感を得られない項もあれば、「あー、それ! それよ!」とページに向かって叫びたくなる箇所もある。女子会に参加しているノリで「女らしさ」について考えられる。

とくに、社会から求められる「女らしさ」と自意識のあいだで葛藤する青春時代を送った人には絶対刺さる一冊だ。

複数の友人によると、私は女らしいと勘違いされるタイプだそうだ。ロングヘア歴30年以上、小柄で、白黒はっきりさせない物言いのほか、明るい色柄のふんわりした洋服を好むあたり。実際に女らしいかどうかはさておき、「女らしさ」を醸し出したいという意思を感じさせてしまうらしい。

たしかに、ファッションはフェミニン系に分類されるものが好きだ。ふんわりしたスカートやトップス、パンツでも柔らかな印象を与えるものを選びがち。ヘアアレンジが趣味だから長く伸ばしている髪も「女らしい路線」のひとつだと映るのだろう。

でも、実際は、世間で言われる「女らしさ」をそれほど持ちあわせていない。料理は苦手だし、一歩下がって夫を支えるタイプでもない(というか、そこについてなにも考えていない)。どちらかというと、見た目と内面のギャップに苦しんできたほうかもしれない。

昔、ある場で「女性ならではの細やかな感性を活かしてくれることを期待する」と言われて困惑したことがある。ふむ、女性だとそういうことを期待されるのか、と。

細やかな心配りができないのは女ではないと言われているような気がした。オーソドックスな内面的「女らしさ」をまとっていない自分が情けなく感じた。

私にとって、フェミニンな装いは様式美みたいなもので、純粋に「女らしさ」を体現するための手段として採用しているわけではない。

それなのに、見る人に「ああ、この人は『女らしさ』をアピールしたいんだな」と思われるらしいのが問題。誤解を招きやすいのだ。

中性的な装いを心がけようかと思うことがあるけれど、好みとかけ離れた服装をしてまで私はなにをしたいんだろうと立ち止まってしまう。意に染まない系統チェンジもまた不自然な気がするのだ。もちろん、不自然であってもそれが必要な場合もあるけれど。

「女らしくあること」が女性向け社会規範として存在した時代があった。今もその感覚はそこここに残っていて、ときに私たちを苦しめる。なんだかなぁ。

あと、この本に表れる「女だからといって必ずしも理解しあえるわけではない」という主張に深く同意する。

女同士がいつでも共同戦線を張れるとは限らないのに、女という性の共通点を理由に、なぜか私たちは結託を求められることが多い。

女だって嫌いな同性はいるし、同性であっても意見が相違して当然。そこをナチュラルに認められるようにならなければ、多様性への扉は開かない気がする。同性間での多様性を認められない人が、もっと広範な多様性へと考えを展開させられるわけがないと思う。

さらっと読めるのに、示唆に富む面白い本だった。女性に限らず、すべての人が「らしさ」に囚われすぎずに生きていけるようになればいいのに……、と願わずにいられない。

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◆◆◆ 余談 ◆◆◆

「ほんとうに女は得か?」というテーマについて扱った項。

「女は得だなんて、そんなに世間的に言われるものかしら……?」と実感が湧かないまま、喫茶店で読み進めていた。

すると、まさにそのとき、隣のテーブルの六十がらみの男性が、向かいに座る同年輩の女性に向かって、

「女は男よりずっと得やで! 結婚に逃げこめばええんやもん!」

と力説していた。うーん。タイムリーすぎてびっくりした。

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