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ひとから見たら、人生の夕方なの?

昨日、区役所の某係から、封書が来ていました。

数カ月前に、その係から始まりの封書が来ていて、そこには災害時の避難先と、要救助かどうか、消防署や警察、関連先への連絡を必要としているか、などを記入して返送するように、と指示がありました。

私は災害時に、知らない人が家に来るとか、気持ち悪くてイヤだなぁと思って、3カ月くらい、そのまま返送せずに放ったらかしにしていました。
でも、いつまでもそのままその封書を置いておくのも煩わしくなって、「救助要らない、全ての関係先にも連絡不要」にして、災害時の避難先だけ写真を撮って控えて、返送しました。

昨日来た封書は、私が『見守り台帳』に載ったことのお知らせと、割り振られたであろう番号のシールと、『いい老後』に掛けた電話番号のマグネット、それにお薬手帳のカバーが封入されていました。

まず、番号のシールを見て、「何これ、どこに貼るの?」と思いました。私は持ち物全てにシールを貼るなんて習慣はないので、「要らん」と思って捨てました。
マグネットも、『いい老後』ってなに?と思って捨てました。

まあ手帳持ちだし、見守られる立場なのかなぁ、とは思ったんだけど。


ほんとうに介助や救助が必要な方には、とても良いシステムでサービスだと思う。
でも、私は災害時には自分で判断も行動もできる(歳取っても、できる。できない人は、若い頃からできない)。
それに、ちょっと病気のこと持ち出すけど、『よく知らない大勢の人に囲まれる』とか耐えられないから、ひとりでも持ち堪えられるだろうと感じる。
むしろ、ひとりで良い。
ほんとうに困ったら、そのときに、調べて電話するよ。だから、冷蔵庫にペッタリ貼るようなマグネットとか、要らないの。

なんて表現したらいいかな。
私、幸せなの。とっても。
毎日が満ち足りていて、不足がない。
だから、ひとりで死んでも『幸福死』になるのね。

だけど、傍から見たら、私は手帳持ちの、老年に足を踏み入れた人間らしい。
ひとりで死んだら、可哀想な『孤独死』って受けとめられるのかもしれない。


なんだろうなぁ、この温度差っていうか、ギャップっていうか。
「俺はまだ若い!!」って言い張ってるじいさんとも、ちょっと違うんだよね。


区には管理する必要があって、そのための括りなんだろうな、ってことは理解できるんだけど、対面もせず、そのひとの人となりを知ることもなく、封書の遣り取りだけで番号を振られ、管理されるって、もう人じゃなくない?
柵に囲まれたままで平気な羊さんか?

わからない。
こういう仕組みに、馴染めない。
条件揃った人間に自動的に封書を送って、『管理』して、お仕事は終わるんだろう。
役所ってなに?
係ってなに?
6XX9番ってなに??
私って、ナンバリングされてるんだ。

こういう『優しさ』っぽい無神経さ、ほんとうにイヤな気分になる。

暴れもしないし、抗議もしないけど、ひっそりと、私はがっかりしてる。


『見守り』ね。なんだろうね、見守りって。

役所の担当さんから、この話があったとしたら、私はもっとすんなりと受け入れていたと思う。
私のことを知ってくれているし、何が必要で何が不要か分かってくれてる。安心できる。
でも、全然寄ったこともない、顔も知らない、声を聞いたこともない、名前も聞いたことない部署から『見守られ』て、番号振られても、「ありがたい」って思えない。


これからも、やりたいことはたくさんあって、夢をみて、設計図を描いて、私は進んでいる。
全集中して、全精力をかけて、『今』を生きてる。すべてが鮮やかに見える。
楽しいし、嬉しいし、幸せで、はっきり言って歳取ってる暇なんてないのです。

感覚的に、いつも、どの瞬間も『全盛期』なので、なんていうのかな、優しい区の係の配慮なのかもしれないんだけど、「やめてほしいな、こういうの」と思いました。ごめんね、区の方。

まあいいや。
『どう見るか』は、人、それぞれ。
私の生き方や価値観がそれで揺らぐわけじゃない。

一句。「お役所よ、どうぞ優しく、見守って」
本音。(お役所よ 寄り添うような 仕事して)


では、この辺で。
読んでくださって、ありがとうございました。
また明日。
おやすみなさい。

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