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スーツ

同期で入社した同い年の女の子がいました。
彼女はいつも、出勤時、リクルートスーツでした。
私の乗る駅から会社の最寄り駅までは30分ほどかかるのですが、途中の3駅目から、彼女は乗ってきました。
紺のジャケットにタイトスカート。夏でもそのスーツだし、冬でもコートも無しで同じスーツでした。暑かったり、寒かったり、しただろうと今思うのです。
でも、彼女は私の知る限り、『私服』で来たことは一度もありませんでした。

私は始発駅から乗っていたので、だいたい眠ってしまっていて、起きていたとき、彼女が乗り合わせて来たときは、初めのうちは話をしていました。
そう、初めのうちは。

だんだんと、毎日、彼女が同じスーツを着ていることが気になるようになってきて、すると私は彼女に気づいていないふり、寝ているふりをするようになっていきました。
彼女も、わざわざ私の隣や向かいに来ることもなく、ひっそりと、座席の片隅に座っていました。

車内の女子高生たちが、こそこそと話すのが聞こえてきました。
「ねぇ、あのひと、いつも同じ服じゃない?」
それは初め、退屈な車内、同じ毎日のなかの小さな発見のようでした。

日を追うごとに、女子高生たちの視線は彼女を素早く捉えるようになっていきました。
「ねぇ、また」
「同じ」
彼女もまた、そんな女子高生たちの声に気づいているようでした。
端っこに身を寄せて、俯き、目を閉じて、何も聞こえていないかのように、眠っているかのように、座っていました。

女子高生たちが、彼女を『標的』にしてきているのが、私にも分かりました。
「ねぇ何あれ?」
「何なの?」
以前よりもずっと、女子高生たちの声は大きく、わざと聞こえるように彼女に向けられていました。

ひとって、こんなふうに、無抵抗の相手に、簡単に悪意を持つんだな。そしてそれを正義みたいに振りかざすんだな。小さな悪意ってそこら中に転がっていて、いつでも拾い上げることができるんだ。
団体なら気も強くなるらしい。

彼女はまるで身を捩るようにして俯いて座っていました。
眠ってる振りなんかじゃない。耐えてるんだ。


電車が駅に着く前に、私は立ち上がり、彼女の腕を掴みました。
「もう着くよ。行こう」

彼女も驚いた顔をしましたが、女子高生たちのほうがもっと、表情を強張らせました。
私と彼女に接点があるとは思っていなかったのでしょう。
いきなり外野から現れた私がどう見えたのかは分かりませんが、女子高生たちは私から視線を外し、下を向きました。

片田舎の、単線の、小さな車輌のなか。
数十分が、彼女にとってどれほど辛い地獄の時間だったのか。
私も初めは寝たふりをして避けた人間。
もし私がもっと彼女と接していたら、彼女は女子高生たちの声を聞かなくて済んだかもしれない。
女子高生たちだって、あんな意地悪にならなくてよかったかもしれない。

彼女は同じ服なだけで、落ち度なんてなかった。
女子高生たちも、初めからイヤな子たちだったわけじゃないんだろう。
でも、なにかの弾みで、ちょっとしたきっかけで、『ああいう空気』が生み出されていく。

たぶん、一番悪いのは、初めに距離を置いた私。
見て見ぬふりをしていた私。
私は立ち向かったわけじゃない。
ただ身体が動いた。
私が一番卑怯な、恥ずべき人間だったから。
それだけだ。

彼女は帰り道は、彼氏さんが車で迎えに来てくれて、乗って帰っていきました。
一度だけ、私も乗せてもらいました。
通勤時も、会社でも、見たことがない彼女の明るい笑顔がそこにはありました。
そうか、この子、こんなふうに笑うんだ。

私は彼女よりも先に会社を辞めてしまったから、その後のことは分かりません。
会社では私語を全く挟めないほど忙しかったし、連絡先を教えあうほど仲が良かったわけでもなくて、歓送迎会で顔を合わせたのが最後です。
歓送迎会でも、彼女は同じスーツでした。

もしかしたらジョブズみたいに、同じ服何枚も持ってただけかもしれない。
それだったら、笑ってシャンシャンなんだけど。


読んでくださって、ありがとうございました。
また明日。
おやすみなさい。

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