見出し画像

カキカキ 3

昨晩、24時に映画のチケット予約をして、それからいつもだったら布団から出て、薬を飲んで歯を磨いて、という流れなのですが、何故か、そのまま記事を書き始めてしまって、2時半くらいに書き終わって。

そこで止めて、眠れば良いところなのですが、プレビューを見ては「ここ削る。ここ足す」と始まってしまいました。

目は乾くし、身体も疲れてるはずなのに、続けてしまって、3時半くらいに、「まぁいいかな」と閉じて、布団から出て。
トイレに行って、薬を飲んで、歯を磨いて、お布団に入ったのが4時過ぎでした。
結果、朝起きれなくて、昼過ぎにやっと伸びをして、起き出しました。

気づくと、書いてしまっている自分がいます。

書く内容が明確に見えているときもあるし、画像を見ていると浮かんできて書き始めることもあります。
1日のなかで、お昼やお夕飯前に他のかたの記事を読ませていただいて、あとはずっと、何か書いています。

気をつけていることは、ひとつだけ。

何気ない日常でも、メッセージ性の強いものでも、どれくらい昇華させられるか。

発信する、ということが私の役割のひとつでもあるので、続けていられるのだと思うのですが、ただ送り出すのではなくて、『綺麗な珠』にして届けることを意識しています。

天の泉から汲んだ水を、濁らせずに、器に移しかえる。そして、器である私は、その水から音を聴き、色を見出して、文章に表していく。
そういった作業をして、日々を過ごしています。

だから、『書く』というのは私にとって、神聖で、新鮮で、静謐な空間に包まれる時間でもあります。
オタッキーな記事でも、不思議と、どこか俯瞰して、静かな目で見つめている自分がいます。
そして、少しでも天意から逸れていれば、手が止まります。
読み直して、水が美しく流れるように、良い循環を迎えるように、整えていきます。

言葉は分かりやすく、ひねったりせず、漢字と仮名を使い分け、全体的に柔らかく、また、読み手の方が呼吸できるような、読み手の方に光が射し込むような、そういう『造り』にしてお届けするように心がけています。


懐かしく思い返すと、中学生の頃、友だちと創作活動をしていました。
「◯◯ちゃんのお話、おもしろい!」と喜んでもらえて、とても嬉しかったのを憶えています。
それまでは、日記を書く、国語の授業で作文を書く、といった日常を書き記すような作業でした。
でも、上の方で見えてくる景色を引き降ろして、想像力を膨らませていくと、今までとはまったく違う、新しい世界が拡がっていきました。
「私、ファンタジーとか書けるんだ」と教えてもらった瞬間でした。
20代から40代は、誰の目に触れることもなく、ひっそりと、創作をしていました。
書くこと自体が楽しくて、書いている時間が幸せでした。普通の欲求、「誰かに見てもらいたい」すらも浮かんでこなくて、ただただ、書き続けていた日々でした。


私がnoteを始めたきっかけは、とっても単純で、好きな配信者さんがnoteやってると聞いたから、です。
でも、始めてみたら、その人はもうnoteやっていなくて、「なぁんだ」と拍子抜けしました。
だけど、記事を書いて、書き始めると「あれもこれも書きたい」と思うようになって、気づくと毎日記事を上げるようになっていました。
書き溜めた記事も、かなりの本数になってきました。

noteを始めてから、私の日常は、格段に良い方向へ変化してきています。
自分の生の役割が明瞭になって、でもそれは使命感みたいなものではなくて、軽やかにつま先で触れては跳ねていく、そんなふうな感覚です。

やはり、『書かせていただいている』のだな、と深く感じます。


あなたにとって、私のお届けする言の葉が、良い響きでありますように。
優しい子守り唄でありますように。


読んでくださって、ありがとうございました。
また明日。
おやすみなさい。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?