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ソフトボール対決はカルピスの味がした

「わぁ、ここ、介護施設が建ったんだなぁ!」

約40年前に暮らしていた町は、すっかり様変わりしていた。近くまで来たついでに少し寄り道をして、懐かしい場所を車で巡ってみる。

いつも遊んでいた空き地には立派な白い施設が建ち、土だった部分は舗装されて何台も白い車が並んでいた。

目の前の白く整った景色が、同じ場所で行われた40年前の泥くさい試合と、頭の中で重なる。
空に届くような大歓声と濃いめのカルピス、親友の涙や笑顔。

彼女は今、どうしているんだろう。

車のフロントガラス越しに見上げた空は、あの日のようにどこまでも青かった。




*****

幼い頃住んでいた小さな借家の近くに、折り紙のように真四角ましかくの広場があった。そこは昔、関西電力の社員寮が建っていたらしく、そのため町民から「カンデン」と呼ばれていた。

地域の盆踊りや子ども会のスポーツ大会に使われるほど広い空き地で、普段は子どもたちが野球やサッカーをする遊び場だった。



当時、我が家の真向かいに、ゆみちゃん(仮名)という同級生が住んでいた。
ゆみちゃんはひときわ背が高くて頭も良く、みんなのリーダー的な存在だ。
対照的に、私はかなり鈍臭い子だった。

近所ということもあり、私はゆみちゃんと仲が良かった。
でも正直言うと、私はゆみちゃんになんでも合わせていて「ゆみちゃんの子分みたいな存在」だと、自分でも感じていた。

どこで何をして遊ぶかは、いつもゆみちゃんが決めていた。ほかの友達が一緒の時もあったが、ゆみちゃんと2人で遊ぶことが多かった。


小学六年生になったばかりの頃のことだ。
ゆみちゃんが突然、「ソフトボールチームを作ろう。」と言い出した。彼女には中学生で野球部のお兄ちゃんがいて、その影響で彼女は大の野球好きだった。
だから急に、ソフトボールをやろうと思いついたんだろう。

私はソフトボールに全く興味がなく、球技も得意ではなかった。それでも嫌とは言えず、2人でクラスの女子に声をかけて、なんとか9人を集めた。
そして私たちは、いつの間にかカンデンで毎日練習をするようになった。


ゆみちゃん以外は、誰もソフトボールなどやったことがなかった。新品のグローブとボールを持って集まったものの、ボールもまともに投げられない。
バットはゆみちゃんが持ってきていたが、どう扱っていいかもわからない。

結局、隅っこにある水色のベンチに座っておしゃべりばかりしていた。
かちかちのグローブを左手にはめて、手に収まりきらないほど大きなソフトボールを右手で握りしめ、ボールを30cmくらい上からグローブにストンストンと置くような動作を、みんなが繰り返すだけだった。


そんなとき、近所に住むおっちゃんがふらっとカンデンにやってきた。
おっちゃんは同級生のトシ(仮名)のお父さんで、カンデンの近くの自宅で雑貨屋さんを営み、地域の子ども会の会長さんもやっている人だった。

「あんたらソフトボールをやってるんか。おっちゃんが教えたろか!」

その日から、おっちゃんは私たちにキャッチボールのやり方から、バッティングの仕方、ソフトボールのルールまでも教えてくれた。
ポジションもおっちゃんが決めた。
守備練習でなんとかノックをしてもらえるくらいに、少しずつみんなが上達してきた。

おっちゃんの口癖は「ナイスキャ」と「ナイスバッチ」。
つまり、ナイスキャッチ、ナイスバッティングの略だ。
おっちゃんにそう言われると、上手くなれたみたいで嬉しかった。
おっちゃんは、

「お互いに上手にプレーできたら、ナイスを言い合うようにしよか。」

と言った。

「そうしたら、あんたら強くなれるよ。」と。



夏のある日、おっちゃんがにこにこで私たちにすごい提案をしてきた。

「試合しよか!うちの息子にチームを作らせるわ。男子のチームと試合や!」

トシたちもよく野球で遊んでいたので、彼が集めるメンバーは間違いなく上手い男子ばかり。
私たちには、勝ち目など到底ない。
でも、ゆみちゃんのひとつ返事で試合をすることになった。


そして迎えた試合の日。
男子9人のチームは、グローブも使い込んでいる感じで、守備の時の構えがサマになっていた。

男子のピッチャーは気を遣って、ゆるゆるボールを私たちに投げてくれたが、私たちは全く打てない。
そして相手の攻撃がすごくて、アウトのひとつさえもなかなか取れないので、私たちの守備の時間が全然終わらない。

確か、80対0くらいの大差で惨敗。
試合にならないほど、ぼろぼろだった。

「下手くそすぎやなー。試合にならんわ。」と、試合後に男子がニヤニヤ笑ってきたが、私たちはしょんぼりするよりもヘラヘラしてしまった。

仕方ない、始めたばかりの女子なんだから。

でも、ゆみちゃんがひとりだけ泣いていた。
一番強くて、いつもガラガラと笑うゆみちゃんが、堪えきれずにポロポロ泣いている。

私はびっくりした。
一番の友達なのに、彼女に声をかけることもできなかった。
「真剣にやらなくてごめん」と、胸が苦しくなったことをはっきり記憶している。そして、ゆみちゃんをぐーんと近くに感じたことも、うっすらと覚えている。



次の日から、みんなが練習に気合いを入れはじめた。
私も、素振りしすぎて手のまめがつぶれた。
グローブもみるみる柔らかくなってきた。
ルールもやっと覚えた。
サードだった私は、なんとかワンバンで一塁までボールが届くようになった。


そして数ヶ月後、少しだけ空気が冷たくなってきた秋の日曜日に、男子とのリベンジ対決が行われた。
ベンチには親がたくさん来ていた。

昨夜、寝る前に

「はいね、おっきなまぁるい水筒にカルピス入れて持っていくから、明日は頑張りなー。」

と言っていた母も、わざわざ仕事を休んで見に来ている。

自分のギアがグンと上がる。

母が見てくれる。
しかもカルピスだぞ!
もう、やるしかない!


試合が始まると、私たちは大きな声で「ナイスキャ」「ナイスバッチ」を叫び続けた。
男子も前よりやる気だ。だって、彼らの親も見ている。

ピッチャーも前回とは違い、わりと速いボールを投げてきた。私たちは、なかなか打てないなりにも小さなヒットを重ねて、なんと1点をもぎ取った。
それでもやっぱり、男子にはバンバン打たれて、毎回得点を重ねられた。

結果は18対1
この数字は忘れられない。


わーわー泣いて悔しがる私たちに、親の応援団はいっぱい拍手をしてくれた。
不思議と、ゆみちゃんだけは泣かずにニコニコしている。

おっちゃんも、

「強なったなぁ!すごいぞ。点差も縮まったし、1点取れたやないか!」

と、自分の息子がいるチームではなく、私たちを褒めてくれた。
男子たちも「必死で試合できておもしろかったよ。」みたいなことを口々に言ってくれた。


母が、女子にも男子にも、おっちゃんにまでもカルピスを振る舞う。みんながキラキラの笑顔になった。

「カルピスってさぁ、めっちゃ美味しいなぁ。」

カルピスを飲み干したゆみちゃんが、青空みたいにカカカっと笑った。



*****

ソフトボールをするようになり、ゆみちゃんとは少しずつ対等な関係になれたように思う。
とにかく毎日一緒にいた。

中学一年生で私が隣町へ引っ越し、そのあと少し経った頃にゆみちゃんも遠方へ引っ越したらしいので、その後は彼女とは会っていない。

ゆみちゃんも秋の青空を見上げて、あの日の試合を思い出してくれていたらいいなぁと思う。






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