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世界の終わり、青春の終わり。

チバユウスケが死んでしまった。

様々な世代の偉大なミュージシャンが天国へ旅立っていった2023年、その中でも僕にとってとても大きな存在だったロックスターの訃報は、この国の多くのロック好きと同じく僕の心に大きな風穴を空けてしまっている。

今年のフジロックで出演予定だったザ・バースディは、4月にリーダー・チバユウスケの食道がんの発見により出演がキャンセルされてしまった。
2018年以来、5年ぶりにフジロックでザ・バースディが観られることを楽しみにしていた僕は、そのニュースを聞いて落胆してしまったが、「まあ、チバさんならバッチリ直して来年はリベンジしてくれるだろう。」なんて考えていた。
日本を代表する無敵のロック・ヴォーカリストが、病気なんかに負けるはずがない、と。
思えば、十数年前の忌野清志郎が闘病中の頃にもそう思っていた。

訃報は、12月5日の昼にXのタイムラインで知った。
その日は午後から自営業の家具製作をする予定だったがやめて、リビングのこたつに入りながらザ・ミッシェル・ガン・エレファント(以下、TMGE)のベスト盤『THEE GREATEST HITS』を聴いていた。
それまでは、地に足がつかないような気持ちでただ呆然とスマホを眺めていただけだったが、2枚目の「武蔵野エレジー」のサビが流れた時点で、もうダメだった。
涙が止まらなくなっていた。



僕とチバユウスケ、つまりTMGEとの最初の出会いは、当時住んでた愛知県犬山市の駅前のイトーヨーカドーにあるCDショップ・新星堂の試聴機でのこと。彼らのデビューは1996年だから、僕が二十歳になる年の春だ。
小学生のころにザ・ブルーハーツでロックに目覚めた僕は、彼らのルーツであるブリティッシュ・ビートやパンクなどのビート・ロックを愛好する青年になり、当時はモッズ・カルチャーに憧れていた。
試聴機に入っていたTMGEのファースト・アルバム『Cult Grass Stars』のジャケットを見て、まずそのモッズ然としたタフでスタイリッシュでダーティな佇まいに惹かれ「これは!」と思い聴いてみると、1曲目の「トカゲ」のイントロ数秒でもうOKだった。
小気味よいシャッフル・ビートにイカしたギターカッティング、そして耳に飛び込んでくるいかにも一筋縄ではいかなそうなヒネクれたがなり声のヴォーカル。おまけに歌詞も意味不明。
「これしかない!」と、思わず拳を握ってしまうような出会いだったことを、今でもよく覚えている。

細身のスーツを身にまとい、シャープでデタラメにカッコいいロックンロールをキメていた彼らは、僕の最初の印象からどんどん逸脱していき、所謂「モッズバンド」でも「ガレージバンド」でもなく、もっと大きな存在になっていく。
その軌跡は、あえてここで書くまでもないだろう。


歴史ではなく、個人的な話をしよう。

初めてチバユウスケ、つまりTMGEのステージを観たのは、1998年に豊洲で行われた第二回目のフジロック・フェスティバルだ。
その時のステージの様子はよくネットに映像が上がっているようにオーディエンスの熱狂で中断に継ぐ中断だったが、実際にその場にいた人間として言うと、さほど危険な状況ではなかった(前年の初回フジロックの地獄っぷりよりは全然平気だった)。
それよりは、オーディエンスを落ち着かせるために放った「ロックンロールが好きな気持はわかる」という、チバの人となりがうかがえるあの天然なMCで、あの場にいるみんなハートをヤラれたに違いない。

TMGEは、アルバムを出してはひたすらツアーをする、という生粋のライブバンドだ。
にもかかわらず、アルバムを発売日に買うほどのファンだったのに僕はライブハウスで彼らを観ることはなかった。
その頃はフジロックを起点とする日本のフェス・カルチャーが始まった頃で、僕としては「どうせ観るなら野外で」という気運だったかもしれない。「いつでも観れるさ」とも思っていたのかも。
いずれにせよ伝説のバンドと同時代をすごしていながら、非常にもったいない話だ。
結局のところ、TMGE解散後のROSSOやザ・バースディのステージも、その殆どを観たのはフジロックなのだが。

TMGEの解散は、ちょうど20年前の2003年の秋。
大体そのころを境に、僕は同時代的なロックを洋楽・邦楽問わず聴かなくなっていた。
その頃からアナログ・レコードの収集をはじめるようになり、クラシック・ロックやジャズをメインに視聴するという単純な好みの変化が要因なのだが、発売日にアルバムを買うほどに夢中になったTMGEやブランキー・ジェット・シティやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンが解散してしまったことも、きっと無関係ではないだろう。
それ以降の彼らがそれぞれの音楽を続けていても、それらに夢中になってのめり込むことはなくなっていったのだ。
綺麗な言い方をすれば、それが「青春の終わり」だったかもしれない。

世界の終わりはそこで待ってると 思い出したように君は笑ってる
赤みのかかった月が昇るとき それで最後だと僕は聞かされる

thee michelle gun elephant 「世界の終わり」

少し寂しい話だが、そういう「熱い時期」にピリオドを打つのは、長い人生においてさほど悪いことでもないだろう。
ただ、僕はロックを「卒業」するつもりは死ぬまで無いけど。


チバの訃報を聞いたその日の夜は、たまたま数年ぶりにフジロック仲間に会う約束をしていた。
ディストロ経営者としてライブに行ったりイベントを主催しながらも、プライベートではソロキャンプや映画鑑賞や一人旅など、どちらかといえば一人でいることが好きな僕でも、空虚な心を抱えたその日の夜を一人で過ごすことは無理だっただろう。
大切な音楽仲間との久しぶりの邂逅で悲しみを少しでも癒やすことができたのは、本当に幸運だった。

そうだ、きっと当の本人は缶ビール片手に持ちながら「何泣いてるんだよ。お前ら?」なんて言ってくるに違いない。
そうだね、いつまでも泣いてはいられらいよな。

チバにとっての最後のメインワークとなり、最も活動歴が長期に渡ったバンド、ザ・バースディ。
実のところ、僕は2010年代以降のザ・バースディの音源をほとんど聴いていない。
久しぶりにTMGEのアルバムを遡ってもいいし、ROSSOだって今でも抜群にカッコいい。
魂を揺さぶるあの歌声は、手元にたくさん残されている。

骨になってもハートは残るぜ!

まだまだ楽しませてくれそうだ。


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