衛星通信

北海道札幌市の喫茶店「珈琲と衛星」の店主がお届けする衛星通信。 お店のことはだいたいI…

衛星通信

北海道札幌市の喫茶店「珈琲と衛星」の店主がお届けする衛星通信。 お店のことはだいたいInstagramに載せているので、ここではコーヒーのお供になるような読み物だったり、お店と関係のないことだったり、お客様との交流の場にできたらいいなと思っています。

マガジン

  • 衛星の勝手に映画ファンクラブ

    喫茶店もそうだけど、なくなってほしくない場所のひとつが映画館。映画館に行く人がひとりでも増えたらいいなという願いで、勝手に応援、勝手に紹介、勝手におすすめします。あらすじ以上のネタバレをしないような感想に努めています。

  • 私と珈琲と衛星ができるまでの地図

    珈琲と衛星という喫茶店が札幌の片隅にあります。どういう経緯で作ったのか、店主の自己分析や人生観を絡めて少しずつ断片的に語ります。関係ないようなエピソードでも、拾い集めたらきっと大きな一枚の地図になることでしょう。

  • 読書感想文

    子供の頃に苦手だった読書感想文を大人になってやっと書いてみようと思います。

  • あこがれの喫茶人

    格好よく喫茶店を使う素敵な大人を私はひっそりと「喫茶人」と呼んでいる。 あこがれ、目指す喫茶人の姿とはどんなものか、喫茶店に通う側の目線で紹介していく連載。

  • とことん混沌、いつも煩悶

    思ったこと、考えたこと、気になること、どうでもいいこと、つまらないこと、読んでも読まなくてもいいような店主の雑記です。

最近の記事

●異人たち●

街ゆく笑顔の人たちが自分よりも楽しそうに生きているように見える、と感じることは誰しも経験があるかもしれない。 しかしその内側に、自分と形違いの大きな孤独を抱えていると知ることもある。 その形の違いは比べられるものではないし、比べたところで優劣をつけるものでもない。 しかし誰か一人でも近しい人が、大丈夫だよと声をかけてくれるなら、そのままの自分を認めてくれるなら、その孤独はその時だけでも温かいものに変わる。 でもそれはそんなに簡単なものではない。その孤独を易く誰かに伝えること

    • ●苦手から生まれるものもある●

      私にはできないことが多い。 きっちり時間通りに動くことやデスクワーク、スーツやオフィスカジュアルを着るのが苦手だ。 時間の逆算をしてもその通りに行かないし、いつも足りなくなる。仮にものすごく余裕を持って行動できたとしても、空白の時間がとても恐怖だ。 デスクワークはおそらく向いていない。思考があちこちに飛ぶので、気になったところから手をつけてしまい、全体的に完了が遅いし、電話も苦手だ。そして睡魔に勝てる自信がない。 スーツやオフィスカジュアルという服装は、どういうわけか本当に着

      • ●マンティコア 怪物●

        観るかどうか少し迷っていた。予告編を観ても、必ず観たいという気がしなかったからだ。 しかしなんとなく引っかかり、チャンスがあれば行かなくてはと思い、そしてそれは正解だった。 ひとことで言うと「ヤバい映画」である。サブカル映画としても、恋愛映画としても、ノワール映画としてもヤバいのである。 人柄の丁寧な描写に登場人物を愛し始めた矢先、じわじわと広がってくる闇。 具現化しないだけで、誰しもが内包しうる闇。掛け違えてしまえばいつでもそちら側に落っこちてしまう。 後半はその闇に急速

        • ●エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命●

          生まれながらに宗教と密接な人と、そうでない人がいる。 私は後者で、日々の生活で信仰を意識することはない。一応の所属があることを思い出すのはお墓参りやお葬式くらいだ。 だから信仰が生活の一部である感覚を想像するのは難しい。 しかしそのように信仰に明るくない私でも、この物語の恐ろしさはわかる。そして信仰と密接な人にとっては、きっともっと恐ろしく感じることだろうと思う。 この映画は、まだ6歳のエルガルド・モルターラが異教徒に連れ去られるという実際にあった事件を元にしている。 敬虔

        ●異人たち●

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        記事

          ●台所のおと/幸田文●

          幸田文の文章を、流れるような美しい日本語、と評するだけではとても陳腐に聞こえる。けれど一言で表すとしたら美しいというよりほかない。 過ぎてしまったかつての時代には生き生きと使われていた日本語の表現。いつのまにか画一化され、柔軟さを失ってしまった言葉たち。ああそうだ、こういう表し方もあったのだ、この言い回しの方がぴたりとはまる、といった日本語の使い方に改めて出会い直し、心が清涼となる。 濃紺、雪もちの二篇がとりわけ素晴らしい。知らないはずの時代なのに、空気のにおいや手触りさえ

          ●台所のおと/幸田文●

          ●プリシラ●

          恋は世界に色をつける。 ときめきの色、喜びの色、幸福の色、悲しみの色、苦しみの色、絶望の色。 どんどん移りゆく色、色、色。 14歳から28歳までの彼女の恋。 その感情の流れをドレスや狂乱の遊びが表している。 終わり方がとてもよかった。 ラストシーンで彼女の心情にこちらの心がぐっと近づく。 それにしても主演のケイリー・スピーニーが素晴らしい。

          ●プリシラ●

          ●あこがれの喫茶人●第3回 喫茶店は"ただ行く"もの

          以前俳優の柄本明氏が、今は亡き伴侶とともにテレビ番組の取材を受けていて、行きつけの喫茶店を紹介していた。 喫茶店には毎日二人で行くという。どんなことがあっても喫茶店には必ず行く。ケンカをしていようが何しようが、喫茶店には「ただ行く」と二人で声を合わせて言っていた。 何をするでもなくコーヒーを飲みながら時間を過ごすために、ただ行く。 私が眺めて憧れていた喫茶人たちも、ただ来ているといったふうだった。 新聞を広げる、店員さんとおしゃべりする、本を読むなどそれぞれ目的はあるけれど

          ●あこがれの喫茶人●第3回 喫茶店は"ただ行く"もの

          ●私と珈琲と衛星ができるまでの地図 〜はじめに〜●

          まずはじめに断っておくけれど、この連載は喫茶店ができるまでの具体的な工程やハウツーではない。だからそれを期待して読むと期待外れかもしれない。 ただ、なんの資格も技術も持っていなかった人間が小さな喫茶店を開くことができたというのを知るのことはできる。 そして、それを語るには自身の生い立ちだとか性格だとかの自己分析を絡めながらでないと、まるで色も中身もない上辺だけのものになってしまうだろう。 だからとても複雑で回りくどい内容になる。それでも少しずつ始めてみたいと思う。誰かに何かを

          ●私と珈琲と衛星ができるまでの地図 〜はじめに〜●

          ●春とコーヒーの話●

          初夏のような暖かさになった今週は、コーヒー抽出の湯温を1℃下げました。 冬の22℃と春の22℃、同じ室温でもお湯の温度の下がり方が違います。 抽出中に自然と湯温が下がる冬と、下がりにくい春。 同じ湯温でスタートすると味に違いが出るのです。 先週は淹れていて、いつもよりやや苦味や酸味が出やすいと感じました。 今週は湯温を下げてみたところ、いいバランスに落ち着いたようです。 たった1℃ですがコーヒーは繊細に受け取ります。 湯温で感じる春。 何もかもが軽やか、過ごしやすいいい季

          ●春とコーヒーの話●

          ●あこがれの喫茶人●第2回 喫茶人は馴染み上手

          喫茶人の素敵だなと思うところに「馴染み方」というのがある。行きつけの店の空気に溶け込むように馴染むのである。 行きつけだからといって我が物顔をせずに入店し、お気に入りの席が空いてないとしてもさっと別の席に座る。 常連だからといって我先にということはせず、注文が決まっていても店員から声がかかるまで待つ。 店への信頼と言ってもいいかもしれない。よほど席数が多くて顔馴染みの店員もおらず見逃されているような状況でない限り、頃合いを見つつ待つのである。 そしてその「待ち方」も格好い

          ●あこがれの喫茶人●第2回 喫茶人は馴染み上手

          ●モンタレー・ポップ●

          私はママス&パパスが好きだ。 当時の彼らの姿を見たくて行ったのだけれど、1967年がそのままそこにまだ続いているようで胸が熱くなった。 生まれる前のことなのに、私もその場にいたような郷愁にも似た感情はなぜ起こるのだろう。 時代の熱が確実に収められているからだろうか。 感度のいい人が集まっているのか、観客が全員おしゃれでそれぞれに似合う服装をしていてそれを見るのも楽しい。 また、当時からステージの背景に視覚効果がなされていることに驚いた。 そしてロックはずっとロックなんだよな

          ●モンタレー・ポップ●

          ●英国式庭園殺人事件●

          12枚の絵の構図とともに物語が進み、まるでパズルのように散りばめられた不穏と違和が最後まで続く。 もう一度観てその正体を確かめたくなる。 ピーター・グリーナウェイという監督の名を思い出すのには少し時間がかかった。 しかし「ZOO」というタイトルと照らし合わせてやっと繋がった。 20年近く前、1本100円の旧作映画を週に2~3本借りてとにかく観ていた。 もう一度観たいリストに書いたのがその映画だ。 今回、レトロスペクティヴということで4作品の上映があった。 残念ながら2作品

          ●英国式庭園殺人事件●

          ●Ghost Tropic●

          かけ違えてしまえば、いつのまにか知らないどこかに立っている。 はるか遠くではなく、ほんの少し先に、まるで旅先のように待っている。 始めから終わりまで構図がすばらしい。 美と心の動きが明確にそこにある。 ブリュッセルのあの夜を私も徘徊していたように錯覚し、時々思い出のように断片がよぎる。

          ●Ghost Tropic●

          ●市子●

          なぜ彼女は彼女なのか。 まるで爆発するように世界を引っ掻き、布地が水を吸い込んでいくようにやがてあきらめに満たされていく。 知るほどに思考と感情の泉に石が投げ入れられていく。 その波紋や波立ちに目を逸らすことができない。 観終わっても思考は止まらず、幾度も反芻してしまう。 こんなふうにしか生きられない彼女について、一人でも多くの人に観て考えてほしい。

          ●福田村事件●

          かつてあった世の中は、別世界ではなく今と地続きだ。 地続きの、いつかの現実。 知って、考える。 知って、自分の頭で考える。 自分の頭で考えるということが、今生きる現実に必要だということを、いつかの現実が教えてくれる。 住んでいる場所だとか国だとか、私たちは何かしらの集団の中にいる。 集団には必然の決まりや同調が生まれるけれど、立ち止まって目を凝らしてみないと個人にとって必要なのかはわからない。 目を凝らして考えるための手がかりになる作品。

          ●福田村事件●

          ●哀れなるものたち●

          「自分」になるために世界を知り、誰かと会って、何かを感じて、考える。 世界を見る目を作るために、学ぶ。 成長するということは、それをやめないこと。 成長し続けるということが、生きること。 彼女は人生の喜びも悲しみも急速に吸収し、新しい視線で現在と過去と未来に向き合う。 そんな彼女から、私たちも学び考えることで今までの自分と新しく対峙できるということを教えてもらった気がする。 作り込まれた映像美にも眼福。 荒木飛呂彦が好きな人には好きな世界観かも。 原作を読んでみようかな

          ●哀れなるものたち●