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結婚の後のはなし

子どものころ。
結婚というものに憧れを抱いていた。
だって、好きな人と暮らせるんだよ?
なにか不都合が生じたとしてもさあ
それだけで充分おつりがくるじゃん。

そして縁あって結婚したわけだけど。

正直に言っていい?
なんかみんな正直に言わないような
そんな妙な空気を出しているからさ
もしかして言うのはタブーなのかと
長年訝しんで自主的に黙ってたけど
まあ、正直に言っちゃうね。

結婚って最高じゃん。

やっぱさあ、好きな人と暮らすのは
最高に楽しくてハッピーだったよね。

そりゃ、24時間永遠永久に仲良しで
ベッタリ一緒ってわけなんかないよ。

ケンカ?しょっちゅうするよ。
ひっぱたかれることだってよくある。
罵り合いや取っ組み合いはないけど。

時には憎らしいって感情にもなるし
気持ちがすれ違って落ち込みもする。

でもさあ、わかるんだよね。

自分の根っこみたいな所が、こうさ
水が染みこむように満たされるのが。

好きなひとと、話したり、触れたり
するのはそんだけ素晴らしいことよ。

何度も、何度も、繰り返すわけだよ。
水やりすぎってくらいまで繰り返す。
根っこが乾いていたみたいなんだよ。
ああ、俺乾いていたってわかったね。

・・・

まあ、言うてもね。

「なんかイイな」ってお互いなって
そんでまあ、男女の関係になるのは
自然の流れというか、よくある話よ。

そんで恋の炎が高まっているときに
勢いで結婚ってのも、よくある話よ。

でまあ、勢い8割くらいで結婚して
そのあと確実に炎が弱まっていくよ。
所謂「恋の魔法」が解けたってヤツ。

なんか三年くらいで解けるらしいよ。
人類の子孫繁栄プログラム的にさあ
そのほうが都合がいいって話もある。

男はより多くの女と関係を持てるし
女も、子供が安定する二歳位までは
男の庇護を得れるとかなんとか、ね。

まあ動物的にはその解釈アリだけど
人として倫理的にはちょっとNGだ。

・・・

脱線してきたので話を戻すね。

つまり「恋の魔法」が解けたときに
夫婦としてどうするべきかって話よ。

ウチもとっくに三年以上経過してる。
実感するほど炎は確実に弱くなった。

この「炎が弱くなる」ってのを少し
言い換えてみると「視野が広くなる」
ってことにもなるわけさ。

言ってみれば、出会って三年ずっと
相手しか見えていない恋の盲目期間。
相手しか見えていなくて視野が激狭。
それが時間経過で解消されるんよね。

ここってひとつの、夫婦の転換点で
いわゆるターニングポイントって奴。

つまり、興味が失せたままでいるか
それとも興味を持つため行動するか。
そういう選択する時期なのかなって。

ほらほら
面白いコンテンツの漫画やアニメも
長期間続けていたら飽きられるよね。
いわゆる「テコ入れ」をしないとさ
コンテンツが駄作とみなされちゃう。

パートナーとの関係とコンテンツを
同列に扱うのは正しいことなのかは
ちょっと正直自信がない所だけども
似た例のひとつとしてね。ダメかな。

・・・

それで、話を俺たち夫婦に戻すけど
ウチは特に「テコ入れ」しなかった。

だって、炎は弱くなったとはいえさ
やっぱりまだまだ燃えているわけだ。
だから、必要に迫られないというか
ぶっちゃけ「テコ入れ」不要だった。

いやまてよ。
「テコ入れ」したかも。

俺はほら、他人の心に無頓着だから。
平たく言うとデリカシーがないから。

そこはやっぱりよくないなぁ、って
自分でも結構思っていたわけですよ。

そういう所は改善しようって思って
自分なりに学んだり実践したりした。
それが「テコ入れ」といえばそうか。

・・・

さてさて、話長くなってきたし
少しごちゃごちゃしてきたので
いいかげんまとめにはいります。

結婚して時間が経つと、恋は薄れる。
でも、恋が燃え上がっている期間に
どれだけ相手とコミュニケーション
とれるかどうかで、その後が変わる。

相手のことを他者として見れるか。
一人の人間として、尊重できるか。
話題がなくても「話」ができるか。

そういうことが「愛情」なのかなって。
恋心が弱くなっても愛情が受け継いで
二人の生活も楽しくいれるのかなって。
そう思います、です。

結婚不要論を否定するわけじゃないけど
俺は絶対に結婚賛成派。だってお互いの
行動次第でずっと仲良くいれるのは可能。

俺はひとりのときは乾いていたけど
ふたりになってから乾かなくなった。
そんだけでも充分よ。価値ありあり。

だからってわけじゃないけど
過去も今もこれからも
惚気的な記事をたくさん書きたくなる。
いやもう書いてるか。


「仲良し夫婦サークル」の企画記事でした。

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