見出し画像

おめめの考察

「おめめ、どうしたんですか?」

絶句してしまった。
一回り以上年上であろう女性から
まさか“おめめ”なんて言われようとは。

私の左目は光に弱くて
太陽が眩しい時間帯は無意識に
左目だけを閉じてしまうことがある。

私が片目をつぶったまま挨拶をしたので
それが気になって思わず発したのだろう。

それにしても、おめめ。
大の大人の男に対して向けられる言葉なのか。
幼児にしか向けない言葉なのではなかったか。

そんな考えが日中ぐるぐる巡り続けたので
ちょっと自分なりに整理してみたくなった。

・・・

おめめ、おてて、おべべ。

いずれも大人が、小さい子どもに向けて
優しく語りかけるときに用いる言葉である。
いや、小さい子どもが親の言葉をまねて
言う場合も十分ありえるか。その場合
可愛すぎて悶絶必至なのは言うまでもない。

「お」を頭に付け同一の文字を繰り返すだけで
なんと愛らしく、なんと微笑ましくなるものか。

耳にするだけで気分が和み
口にすれば普段の何倍も優しくなれる。
もしや、この言葉は尋常ならぬ力を秘めた言葉。
もっともっと、皆が使っても良さそうなものだ。

しかし現実は辛辣な言葉が蔓延はびこっている。

攻撃的で、野暮で、刺々しく、心を乱す。
そんな言葉なんか聞きたくないと耳を閉じるが
スマホにはそれ以上の言葉が溢れ目を閉じる。

何も聞かない、何も見ない
なんて生活は不可能なので
仕方なしにうっすら目をあけている。
そんな人は意外と多いのではないだろうか。

まあ、それは本題からずれるのでここまで。

本題はおめめ。
私は「おめめ」に対して母性に似たもの
女性性を感じてならない。

大人が子どもに「おめめ」で語るとき。
それは人が人たりえる愛情を与えるとき。

思いやり、寛容で、温かく、心が弾む。
たとえ「おめめ」と発する主が男性であっても
その内面は女性性に溢れているのではないか。
(女性性とは女性だけが持つものではなく
男性も持っているもの)

そう、おめめとは人類の愛の象徴。
倫理を具象化したものと言っても過言ではない。

・・・

よしよし、少し飛躍しすぎたかもしれないが
私なりに納得がいったのでよいだろう。

つまり、冒頭のように
大人の女性が、大人の男性に対して
「おめめ」を使うのは素晴らしいことである。

それを受けて驚いたり、訝しんだり
あまつさえ引いてしまうなどもってのほかだ。

私は優しく差し出された手をただ
受け取るだけでいい。それだけの話だった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?