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「はよお迎え来んかな」

この前、88歳の患者さんと一緒に花見に行った。
この花見ももう3回目🌸
今年もたまたま道で遭遇した時に


「暖かくなってきましたね〜」
「桜はもうすぐですかね〜」
「あと少しやろね。今年は遅い。また見に行きたいわ」
「じゃあ今年も行きますか」
「いいんか、こんなばあさんと」
「もちろんです、迎えに行きますわ」
「あら嬉しい、あとは天気だけやね」

こんな会話をして約束。

当日はよく晴れました。
屋台で食べ物を買って、階段に座っておしゃべりを。


花より団子

「この木も昔はもっと綺麗だったけど、古くなったなあ。」
「足があかんようになって、全然歩かれん。」
「でも今日は調子いいんや。こうやって出られてよかった〜」
「嬉しい」「綺麗やねえ、、、」
ゆっくりと自分の足で歩きながら、話される。

これは別日の会話だが

「もうあかんわ」
「はよ参らせてくれたらいいのに。」
「元気になる薬ないんかね」
と訴え、受診される日もあれば


畑仕事に不慣れな私が畑を耕していると
「あんた〜これじゃあかんわね」と言い、杖から鍬に持ち替え
スパルタ指導してくれる日もある。


前を向いて頑張ろうと思う日もあれば
もういいやって思う日もある。
行ったりきたり
絶えず変化しながら
老いを感じながら生きているのだろう。

もうあかんと思っている時に、
頑張って前を向いてもらおうとは全く思わない。
その変化とともに寄り添える人でありたい。


「はよお迎え来んかな」
高齢の方と話しているとよく聞く言葉
ふと思ったことがある。

「死ぬ」と聞いた時
「死」に向かうものというイメージがあったが
この表現を聞くと
「死」を待っているようにも感じる。

いつどこで死ぬのか誰にもわからない
不確実性なもの
と思うとこの表現は
しっくりくるのかもしれないなあ

天気も桜が咲くタイミングも
コントロールできないもの
だからこそ
満開の桜をよく晴れた日に、元気な状態で花見ができることに
喜び、
喜び以上の何かが生まれるのかもしれない。


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