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畑で生まれる一体感

去年からクリニックでお借りしている畑がある。
私が「畑がしたくて〜」と呟いていると、
「うちの使っていない土地使うか」と声をかけてくれる患者さんが
現れた。しばらく使われていなかったこともあり、草取りに苦戦しながらもぼちぼちやっている。

今年もそろそろ動き出さねば、ということで
今日はみんなで耕すことになった。
メンバーは勝山福祉避難所に避難している輪島の方々とそこのスタッフと、うちのクリニックのスタッフ。
そして耕運機を貸してくれるおっちゃんと、
畑のアドバイスをもらうために知り合いにも声をかけた。


年代も幅広い。
20代のスタッフもいれば、100歳超えたおばあちゃんも。

去年からやっているとはいえしばらく放置していたこともあり
草は生え放題。
まずは耕そう!の日でした。


「昔はやっとった。もう歳なんでね」とみんなを見守るおばあちゃん。
「根っこから取らな意味ない」と足元の草を黙々と抜いてくれるおばあちゃん。
「畑はしたことない」と言いつつガツガツスコップで掘り起こしてくれるおっちゃん。
「もっと深くしないと、それじゃあかん〜」と言われながら必死に耕す私。

「何植えるんですか」と通りすがりの人に声をかけられることもあった。

みんなのおかげでそれなりに綺麗にふかふかになった。

天気も良く最高の畑日和



畑って

身体を動かす。
日光を浴びる。
役割ができる。
みんなでやる場合)人との繋がりが生まれる。
元気になれる要素が詰まっていると思う。


それだけでも素晴らしいのだが、
それ以上の価値がある気がする。

私が私でいられる
と感じる
黙々と作業してもいいし、何もせず座っていてもいい。
上手く言葉に出来ないが、
人からどう思われるかを気にせずそこにいられる感じ。
年齢も性別も肩書きも関係ない、意識する必要もない。

共通点と言えば同じ場所にいるだけなのに
その場に居合わせている人たちとの一体感がうまれる。
すごく居心地がいいのだ。

この居心地の良さは何なのだろうか。
「生きる」に直結することだからかなのか??
そして、みんなはどのように感じているのだろうか。



それにしても
輪島の避難所で出会った方々と一緒にこうして畑を耕すなんて…











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