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自己紹介✨公務員を辞めるまでの道のりと今後の活動について

6月末で公務員という立場を離れ、これから色々なことに挑戦してみたいと思っているので、手始めにプロフィール記事から書いてみようと思います。
これからどんなことをしようとしているのか?ぜひご覧ください!


高校2年生、不登校に

高校2年生のゴールデンウィークがあけての最初の登校日。
クラスメイトを交通事故で亡くしました。担任から話があった時、過呼吸になってしまい、それから3年間パニック障害により服薬をします。

実はそのクラスメイトは、女子グループの一部で仲間はずれにされており、移動教室など一人で行動していました。授業でも二人一組を組むとき、いつも一人になってしまっていたので、私も3人組に所属していたので、ペアを組んだり、私自身も疲れた時は彼女と共に過ごしていました。

私は中学生の頃から学校が苦手で、心身ともに疲れており、それに気づいていたのかどうか、連休に入る前に彼女はこういいました。
「なかごしちゃん!死になよー!!」
なんとその言葉が、最後に交わした言葉になってしまったのです。

私は不登校の生徒が通う相談室へ通うようになり、この頃からカウンセラーという職業に興味を持ちます。毎日死にたいと思っていましたが、彼女の「死になよ」という言葉が私を引き留めます。どうにかこうにか高校を卒業し、19歳の時、薬を飲み忘れるようになり、ついには通院も忘れてしまい、以来、パニック障害を克服しました。

23歳で地方公務員(行政一般事務)になる

19歳の時にパニック障害を克服
20歳で1回目の結婚
21歳で第一子を出産
22歳で離婚

という人生の荒波にもまれ、地元に戻ってきました。シングルマザーになってしまったものですから、なんとか食べさせていける職に就かないと・・・ということで、地元の役場へ就職します。

採用試験の面接の時に「家に帰れなくなるけどいいの?」と聞かれ、「覚悟しています」とは言ったものの、これほど残業・土日のイベントがあるとは想像以上でした・・・。(当時シングルマザーの方は職員にいなかったので、そういう質問をしてくれたのだと思います。一度過労で入院、病気休暇は2度取得しました。)

同期が過労自殺してしまう

二度目の大きな転機でした。衝撃的で、どん底へ突き落とされるようでした。高2の時とは状況は違いますが、「また見逃してしまった」「異変に気づいていたのに」「何もできなかった・・・」と二度同じ過ちを犯してしまったと、深く深く後悔します。残業帰りに帰宅途中の橋の上から飛び降りそうになりながらも、同期の皆に支えられなんとか過ごしていました。

そこへ、当時の公立病院の院長からメールマガジンが届くようになります。
偉人の言葉をつぶやくようなメールでしたが、毎週月曜日に送信してくれるようになり、「幹部職員が私たちのような若手を見てくれている」と安心したことを覚えています。
ですがメルマガを始めて1年で転勤されることとなりました。

メールマガジンを引き継ぐ

院長のメルマガに「メールが届かなくなるのが寂しいです」「心を支えてもらっていました」と返信をしたことをきっかけに、メルマガを私が引き継ぐことになりました。

メールは役場のグループウェアでアドレスを持っている人へ(当時70名〜最終100名くらい)市町村長からパートさんまで、すべての人へ一斉送信していました。

最初は目立ってしまうことが恐ろしく、心臓が飛び出すかと思っていましたが、だんだん心臓に毛が生えてきます。毎週月曜日に偉人の名言を送っていたものが、少しずつ内容が濃くなっていきました。(現在のnoteの原型です。)

産業カウンセラーの資格を取得!

同期から誘われ、産業カウンセラー養成講座を受講します。「私なんかがカウンセラーとか無理」と思っていましたが、「あっちの世界を見てみたい」という気持ちに背中を押され、受講することとなります。

その時「どうせなら、どうにか役場を巻き込めないかな?」という考えが浮かびます。資格を取ってすぐに、職員安全衛生委員会に向けて起案書を作成します。(民間でいうと会議書・企画書?)

内容は「このチラシを配っていいですか?」という伺いでしたが、自分の職務を超えての「相談対応」という業務をやるには、こういう方法しかなかったと考えています。

結果、半年待ちましたが、職員安全衛生委員会と市町村長の許可のもと、「困っている人がいたら、なかごしに相談できるよ〜!」というチラシを配ったのです。

組織の中で活動してみて

一応、上記のように許可をもらったものの、辞令をもらって活動しているわけではないこと。担当課にいるわけではないこと。色々、制約を感じるようになりました。

周囲の人が協力してくれるおかげで、委託契約している心理カウンセラーさんへリファーもできるし、研修も必要だと思ったものを呼べるし、やりたいことは色々人に頼んでやってみたんですが、自分の領域の限界を感じました。

メルマガのおかげで、私のことを知ってくれている人が多くなり、所属課をとびこえて相談依頼も来ていたので、大きな実績だとは思っていました。

ただ、組織レベルの介入はできず・・・。もっといい職場を目指すなら、組織レベルでやろうとしないとこれ以上は・・・と感じ、おこがましく市町村長まで進言にも行ってましたが・・・。

新しいことに挑戦し、もっとできることを増やしたい!

現状を維持することはできるけれど・・・。私の気持ちの方が、モチベーションが保てなくなってきていました。産業カウンセラーとしての活動だけではなく、公務員としても打ちのめされるようなことが続き、公務員としてこのまま定年まで働くことはできないと感じたのでした。

転職を見据えるなら10年後の子どもが巣立ってからより、今だと思ったことが転職を考え始めたきっかけでした。

同時期に四国支部認定相談員として相談業務に対応できるようになってほしいという声や、養成講座に関わっていけるよう実力をつけてきてほしいという声をいただき、そういう道もあるのだなぁと感じたこと。

公務員という仕事に限界を感じたのに、公務員から公務員への転職はないなと思ったこと。収入が下がっても、やりたいことをやれる事に幸福を感じること。

幸いなことに面接1件目で内定をいただいたのでした。

今後の活動

まずは転職先のお仕事を覚えることが第一優先です。雇ってくださったことに恩をお返しすること。

そして、公務員の方をメインに、オンラインカウンセリングを始めます!高知の方なら対面カウンセリングもできるかもですが、部屋の準備が難しいので、ZOOMでのカウンセリングをメインに考えています。

本業の定休日が月曜日なので、月曜日はフリースクールのボランティアにも参加したい。フリースクールの運営について勉強させてもらいながら、将来地元にフリースクールが作れたらいいな。

組織へ向けてのアプローチとしては研修講師として関わることを考えています。産業カウンセラー協会にも認定講師というものがあるようです。研修講師をやっている知り合いも増えてきたので、色々聞いてみたいです。

欲張りなので、3つ挙げてみました。まだ職業人生は30年くらいありますから、どれか一つでも成果を出せたらなと思っています。


少しずつこのプロフィールに新しいことが追記できるよう、チャレンジしていきたいと思います!応援をよろしくお願いします✨

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