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自由の限界


初めてあの曲を聴いた日の夜は、興奮して眠れなかった。

彼の楽曲は、たまにTVの歌番組などで耳にするくらいで、それまでほとんどちゃんと聴いたことがなかった。



二年前の六月、一人旅で行った宮古島の宿泊先で、ひとつの出逢いがあった。

その人は、その場所でダイビングインストラクターをしていて、わたしが旅の中日に申し込んでいた、シーカヤック体験の担当インストラクターだった。

旅に出る前のわたしは、身近な人間関係に揉まれ、子育てに疲れ果て、随分と消耗していた時期だった。そんなわたしのふらふらな姿を見ていた夫は、一人でゆっくりしておいでと、快く南の島へと送り出してくれた。

人と関わることに疲れていたので、とにかく一人でゆっくりしたかった。宿は大好きな与那覇前浜ビーチにすぐ出れるところを夫が探してくれた。そんな流れで五泊六日、海辺でのんびりと過ごす旅に出ることになった。

それでも流石に、六日間ずっと一人ぼっちで過ごすことを想像すると、ほんの少し味気なさも感じた。疲れていても欲張り精神は変わらないようだ。まぁ、そう感じてしまったものは仕方がない。ここはひとつ、アクティビティをど真ん中に仕込んでおこうと、シーカヤック体験を予約することにした。ほどよい冒険気分を味わえそうだし、海の上でなら人と関わることにストレスを感じずにすみそうだと思ったからだ。爽やかな波風に乗って、気持ちよくシーカヤックを漕いでいるイメージが浮かんだ。よし、いいかもしれない。ほのかな期待を胸に、わたしはこの旅をスタートさせた。


6月の宮古島は、台風が多い。わたしの旅の日程も、台風の影響を受けそうだったが、何とか無事に島に到着した。

着いてからは、くすぶる台風の影響で波風が強かった。波が強いとシーカヤックに乗れないかもしれないと、チェックインの際に受付のお姉さんに言われた。

唯一楽しみにしていたイベントなのに、乗れないのはやだなと思った。いつのまにかシーカヤックは、旅の一大イベントに昇格していた。心配性なわたしは、体験の日まで毎日受付に行き、海に出れるのか、シーカヤックに乗れるのか、台風の状況をいちいち確認した。今思うと、完全に変な人だった。

待ちに待ったシーカヤック体験当日、空は眩しいほど鮮やかに晴れていた。が、海はまだ台風の名残で波が荒れていた。当日のアクティビティの変更もOKと言われていたので、とりあえず、ロッジのロビーで担当インストラクターさんを待った。

やって来たのは、20代後半くらいの茶髪の男性だった。痛いくらい真っ直ぐな鋭い眼差しと焼けた肌が印象的だった。目が合った瞬間、かすかに緊張が走る。海の状況を尋ねると、まだ少し波が高いから、シーカヤックには乗れても、近場を回遊する感じになると言われた。その時わたしはシーカヤックとシュノーケリングの二択で迷っていた。シーカヤックに乗るためには、当たり前だが大きなカヤックを浜辺まで運ばなければいけない。インストラクターさんにとってはかなりの手間と労力だ。しかも近場でチョロっとしか乗れないとなると、なんだか申し訳ない気持ちにもなる。決めかねたわたしは彼に聞いてみることにした。

「どっちがいいですかね?」

「…どっちでも。お好きな方で。」

一瞬の沈黙の後、迷いのない返答に、わたしの心は霧が晴れたような心地になった。

「じゃあ、シーカヤックでお願いします。」


車で来間島へ向かい、彼がカヤックを運んできてくれるのを、浜辺でサンゴや貝殻を拾ってのんびり待った。遠目に大変そうだなと思いながらも、海を目の前にすると最初の申し訳なさはどこかへ行ってしまった。ワクワクワクワク。一人旅の一大イベントがいよいよ今始まろうとしている。

乗り心地は微妙だった。わたしが前に乗り、後ろにインストラクターさんが乗った。オールを漕ぐ手がやたらとぶつかる。タイミングが合わない。どうもシーカヤックは得意ではないらしいようだ。でも逆にそれがよかった。最初の鋭い眼差しの印象とは違う、インストラクターらしからぬゆるい雰囲気に安心したわたしは、聞き上手な合いの手にも乗せられ、ここ最近の鬱憤を晴らすように饒舌になった。

海の上での会話は、仕事や夢の話から家族構成、本や音楽の話まで多岐に渡った。その中で、今読んでいる本の話になった。彼が「何て言う本なんですか?」と興味を示してくれたことがとてもうれしくて、ちょうど読み終わったばかりの友人が書いた本を、宣伝もかねてあげることにした。

帰る日の前日、仕事途中の彼を捕まえて本を渡した。連絡先も交換し、本の感想を送ってもらうことになった。旅に出る前は想像もしていなかったご縁に恵まれて、疲れ果てていたわたしの心身は、ゆるゆると癒されていた。こうして五泊六日の宮古島一人旅は無事に幕を閉じた。


その後も彼とは、他愛の無いメールを時々送り合った。その中にはいつも宮古島のエネルギーが漂っている気がして、とても安らかで心地が良かった。まるで宮古島の妖精とメールをしているみたいだった。中でも音楽の話はとても楽しく盛り上がった。好きなアーティストやおすすめの曲なんかを教えあったりした。旅先で出逢った人と、旅を終えた後もこんな風に繋がって、教えてもらえる音楽があることは、わたしにとってとても感慨深く喜びに満ちたものだった。音楽とはその人の人生に寄り添ってきた大切なパーツのひとつ。だからこそ、そこには特別な響きがあって、それを感じられることは、わたしにとっての音楽の醍醐味でもあった。


しばらくして、旅から一年ほど経った八月末のある日、ふと彼のことを思い出した。せっかくだしその直感に従って、久しぶりにメールを送ってみることにした。

翌日、届いた返信には

「“夏の終わり”聴きながら読んだよ。」

と書かれてあった。

「“夏の終わり”って、森山直太朗?」

「うん、そう。」

夏の終わりの切なさが大好きで、人生を切なさと共に生きてきたようなわたしにとって、あまりにもど真ん中のタイトルとタイミングだった。期待で高鳴る鼓動を抑えながら、早速、森山直太朗の “夏の終わり”を聴いてみることにした。



わたしが知っているのは、サビだけだった。初めて聴いたイントロ、そしてAメロBメロのあまりの美しさに驚いた。夏の終わりの切なさと儚さがそこはかとなく漂い、様々な夏の思い出が蛍のように浮かんでは消えてゆく。息を吐くのも忘れてしまいそうな、美しく伸びやかな音色と優しく繊細な息づかいが、震えるほどに満ち溢れていた。

そこからは怒涛のスピードだった。森山直太朗の美しい歌声と独特の世界観に魅了されたわたしは、ありとあらゆる曲を手当たり次第聴きまくった。本当にいい歌がたくさんあって驚いた。

彼の創作の根源は自然。そして何気ない日常の風景を切り取るセンスがすごい。そんな世界感がモロ好み過ぎて、秒で恋に落ちた。こんな高揚感は久しぶりだった。この人の歌を生で聴きたいと思った。一ミリも迷うことなく、その場でファンクラブに入会した。

そして、とうとうさらなる衝撃の一曲が目の前に現れた。

タイトルが好みで、アルバムタイトルにもなっていて、ジャケットデザインも好みで、これで歌詞や曲調も好みだったらパーフェクトだなーと思いながら、わたしは再生ボタンを押した。



ワンコーラスが終わる頃には 、もう興奮を隠せなかった。

誤解を恐れずに言うなら、すっごい気持ちのいいセックスをしたときのような高揚感が極まって、気を失いそうなくらい、身体中の細胞がギュウーッと感じ集まって収縮するようにいっせいに蠢めいている。

曲の疾走感が興奮を煽り、メロディーのコード進行に快感を刺激されながら、少しずつ山を登って感情を高ぶらせ、サビで爆発する。

まるでオーガズム。

そして最大の魅力である彼の甘くて深い、舌の上で優しく溶かされていくような歌声は、疾走感からの息苦しさとかすかに刺すような痛みを、繊細な振動の響きでそっと包み込んでくれる。

なんなんだろう?この曲は。緊張と弛緩のバランスが絶妙なのかな。

とにかく、何度も何度も繰り返し繰り返し聴いても聴いても涙が出てくる。

気が遠くなるほどの快感。

生きる力が湧いてくる。

生命の源に繋がっている気がする。

もうわたしの魂にとって、ものすごく特別な響きを持つ曲であるのは間違いなかった。

歌詞の言葉数が多いのに、それも見事に曲調にハマっていて、全てが相乗効果でしかなかった。

こめかみを打ち抜いた 憂鬱なメロディー
暗い部屋にうずくまって孤独な素振り
今にフッと消えそうな小さなアイデンティティ
常夜灯にぶら下げた 陳腐な誓い
目を瞑って逃げ回った 因果な巡り
なにかしらどこかしら いつも感じていた      朝焼けに背を向けて              嗚呼 生きて 生きて 生きるのならば 自分を越えたい
この声が 空を破るのならば 自由の限界
粉々にして 無茶苦茶にして 有耶無耶にして


タイトルは『自由の限界』。



自分の限界を突破しようとする歌だった。この突き抜ける感覚がわたしは好きなんだ。とてつもなくドラマティックで官能的で前向きにひたむきに焦燥と達観を表現している。

生きることへの希望と儚さのコントラストが強烈なんだ。

この人は本当にアーティストだ。わたしの中で眠っていた創造性が刺激される。本来の感覚を思い出す。自分のやりたいこと、自分の在りたい姿が見えてくる。

音楽のチカラ。

すごいよ。

音楽ともセックス(一体化)できるんだね。

ここまでの融合の感覚は久しぶりだった。


それからは、内側からエネルギーを奮い立たせたいとき、“生きてる”って実感が欲しいとき、わたしはこの曲を聴く。



随分と前置きが長くなった。何だか長い旅から帰って来たような気分だ。だけど特別だと思える音楽に出逢うまでのストーリーこそ、音色から受け取る深みや重みに直結する部分だと思ったから、ここで読んでくれている人たちにも、一緒にじっくりとこの旅を味わって欲しかった。

これが【#私の勝負曲】
『自由の限界』に出逢うまでのストーリー。

わたしの描きたかった世界だ。

しかもこの文章は、偶然にもインストラクターの彼と数ヶ月ぶりにメールで話をしながら書き上げるという、嘘みたいな奇跡が起きた。

おかげで、あの夏の日に時が戻ったような、臨場感溢れる執筆時間になったことは、最大のサプライズ的幸運だと思う。

何という運命のイタズラだろう。


そしてもうひとつ、これも旅の後に聞いた話だが、宮古島でのアクティビティ体験の当日、シーカヤックかシュノーケリングの二択で決めかねていたわたしに、「…お好きな方で。」と言ってくれた彼は、前日までに何度も受付にシーカヤックが出来るかどうかを確認しに来ていたわたしの様子を、受付の人から聞いて知っていたそうだ。だからこそのあの言葉だった。あの時は見えなかった思いのカケラが、時を超え、目の前に現れたような気がした。それはまるで宇宙を流れる彗星が撒き散らした、流星の煌めきを見ているみたいだった。


こうして、ひとつ、ふたつ、曲と共に紡がれてゆく思い出が増え、想いは連なり、音楽は広がってゆく。聴くたびに愛しい感触はよみがえり、優しい気持ちになれる。それは人生の何よりの喜びであり、今を力強く生きていくための希望にもなるだろう。そこにまた、新しいカケラが集まってきてくれる。その繰り返しで、美しい想いを乗せた音色は、宇宙空間のようにどこまでも膨張しながら響きつづけてゆくのだろう。



…そう、初めてこの曲を聴いた日の夜は、興奮して眠れなかったんだよな。

あぁ、今夜もあの夜のように、また、眠れそうにない。





【旅の思い出】

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