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じゃがりこ革命

 新学期ブルーだというのに、じゃがりこってほんとうにジャガイモなんだね なんて呑気な話をした。今までじゃがりこはじゃがりこでしかないと思っていたけれど、久々に口にしたじゃがりこは まぎれもなくジャガイモだった。わたしが思っていたより ずっとずっとジャガイモだった。(なに言ってるんだろう)

 ここ数日でわたしの味覚がザラザラに粗く変わってしまったのか、むしろ鋭敏になったのか、それともじゃがりこがミラクルに変わってしまったのか。ともかく自分の味覚とじゃがりことの間で確実に勝手に、革命が起きた。じゃがりこさん、今までもこれからも 大好きな味わいをありがとうございます。

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 認識しているようで実はそんなことなかったと思い知る瞬間は 度々ある。今まで何十回見ても気に留めてこなかったCMが、急に自分の内におちてきたり。あんな看板いままであったかなって捉えなおしたり。はじめてちゃんと 咀嚼する瞬間。

 あるいは いつも見ていたものが全く違うものに見える瞬間 とも言える。だれかがうつっている景色とうつっていない景色では全くの別物に見えたり。桜桜桜桜桜、ゲシュタルト崩壊だったり。久々にたずねた母校は ほんのすこしだけ ちいさく見えた。


 自分が認識している世界は、自分が無意識にも信じているものだけで 信じているとおりにつくられている世界だ。使いやすいように 必要なものを 心地良いように。そのときに合った見方で、見たいものを見たいように見ている。そのときのアンテナでビビビっとくるものを拾っている。人間の 一種の適応能力なのかもしれない。そんな、信じてつくられた世界にひょっこりと新入りがやってきたとき、その瞬間が、じゃがりこ革命。

 

 noteでいうと、自信をもって表に出した作品がなんだか色を失って見える日もあれば、長らくあたためていた下書きを 突然思い立って公開する日もある。自分の作品をとても好きになる日も、見切りをつけたくなる日もやってくる。

「あんなふうに書いたけれど今はこう思うな」

 作品への情が変わるのはきっと、自分が変化している証拠。流転する万物に現状維持などない。そのとき考えたことも今考えて思うことも、ぜんぶ正解。昨日までとは違った今日があることも、ちゃんと正常。すべてはアポトーシスだと肯定したい。

 じゃがりこ革命は、脳内の既存の枠組みを壊して また新たに構築してくれる。生きているかぎり 絶えず入れ替わり循環するそれは、社会のシステムも人間も同じ。咲いては散る 出会い 別れ 旅立ち 見送り 移動 異動。新学期ブルーも春も、ぜんぶ抱きしめていよう。空は青い。今日も生きている。


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