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日光のルーツを巡る旅(6)

前回は、日光の神仏習合のお話でした。
次は、足尾との関わりのお話。

不思議なねずみ

勝道上人が男体山に登るため、湖に祈願したところねずみが波の上を走るように現れ、上人に力を貸してくれました。
それで無事に登頂に成功したのです。

波之利と書いて、"なみのり"ではなく“はしり”、これが中禅寺と足尾の波之利大黒天のはじまりです。

「足尾」の名

上人がお寺にいる時、ねずみが粟の穂をくわえて、どこからともなく現れたり消えたりしました。
でも、この山奥に、粟の穂があるはずがないと不思議に思った上人は、このねずみの足にひも(緒(お))を結んで、そのあとをついてみると、山のふもとの方に集落がありました。ここを「足緒」と名付けたのが、「足尾」の名の由来と言われています。(諸説あり)

波之利大黒天(はしりだいこくてん)

上人の作と伝えられる波之利大黒天は、700年代に渡良瀬川の大黒橋の近くに創建された宝増寺に安置されました。
(この寺は、江戸末期に現在の場所(赤沢)に移転しています。)

宝増寺の波之利大黒天

また、今でも大黒橋のたもとの岩場には、お参り用の「波之利大黒天」が祀られています。

大黒橋たもとの波之利大黒天

龍藏寺

701年に創建されたと言われる龍蔵寺は、上人の弟子・悪雲が開基したと伝えられています。(諸説あり)

今では、足尾ダムが完成した際の諸仏を合祀した「旧松木村の墓塔」も境内にあります。

龍蔵寺

方等寺

また、790年には、足尾郷が中禅寺の神領(後の日光神領)となり、上人の弟子・慧雲が、松木に方等寺を創建したと伝えられています。

このように、勝道上人は、足尾とも大きな由縁が有るのです。
合併後の日光市のエリアは、まさに当時もひとつだったのですね。

日光市観光協会の
パンフレットに加筆しました


(つづく)

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