私の母が施設にお世話になって、この秋で2年になる。
入居時、リピートは多く時々混乱するものの、まだごくごく軽度だった認知症は、徐々にしかし、着実に進行しているようだった。
だけれども、
それまで「私は苦労するために生まれてきた」といい、
過去を悔やみ、未来を憂いで、側から見ても生きづらそうだった母が、
薄れる記憶の中で、過去の恨みごとを昇華させ、
すっかり前向きになって、”今”を懸命に生きる姿は、それまで悲しく切ない病だと感じていた認知症という病気も、彼女にとっては命の祝福の側面もあるのだなと感じられることは、娘の私にとってはとてもありがたいことだった。
そんな母に今年もお花とお菓子を贈ったのだけど、昨年、受け取りでちょっと混乱したのを思い出し、
大丈夫だったかしら?と電話した。
母は
「まだ届いていない。いつ届くの?」と言うから、
配送記録を確認すると、配送済になっていた。施設のどこかで止まってしまったのだろうか?
贈ったものの詳細を話すと、
「それ、お父さんのところ(お仏壇)にあるよ」
と母は言った。
「あぁなら届いだんだね。良かった」
と言いながら、あぁもう母は誰からのものなのかはわからないんだなと
思ったら、切なさに胸が痛んだ。
その後、またたわいのない話をしばらくし、切り際
「無事に届いたのがわかって安心したよ」
と伝えると、
「千果からの贈り物だとわかったら、嬉しくて涙をぽろぽろこぼしながらお父さんに報告したんだよ」
と言った。
私は少し混乱しながら、あぁ母はちゃんと受け取って、受け取ったその時には、私からの贈り物と認識していたのだな。
だけど、そのことも次の瞬間には忘れてしまうのだなぁとやっと気づき、涙が溢れた。
どんどん不確かになる記憶の中で、
それでもひたむきに“今”を生き、
「私のことは本当に何の心配もないから。娘2人とその家族も元気で、幸せに暮らしてくれている。それだけで本当に幸せ。ありがとうね。」
と毎回言ってくれる母。
お母さん、こちらこそ本当にありがとう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?