祝日がないのは悪いことばかりではないのかもしれない。
朝、起きると何もやる気が起きないのだけど、こうやってパソコンの前でいろいろ書くことだけはちゃんとやっている。
でもこれが一つのバロメーターで本当に調子が悪くなるとこれすらできなくなってしまう。
書きたいことが頭の中から消え去ってしまうのだ。
自分でも不思議な感覚である。
あんなに書きたいことがあるにもかかわらず調子が悪くなるとそれがすっかりなくなってしまうのである。
きれいさっぱり忘れてしまう。
忘れてしまう……というより頭の中から無くなってしまうという感覚だ。
だから、思考できないわけではない。
それで、これに関してはメモを残すようにしているので、最近ではよっぽど調子が悪くないと『書かない』ということはなくなった。
毎日、何らかのことは書いて発信することによって、自己表現を磨いていきたいと思っているから、ちゃんとした記事は書けなくてもつぶやきとして140字程度のものを発信するようにはしている。
こんな感じで。
それにしても『ここのところ調子が悪い……』と書くと、なんだか自分は常に調子が悪いと書いているみたいで嫌になる。
ただ起きてからなんのやる気もでないということはけっこうある。
だから常時調子はあまり良くないのだ。
過去に書いたものを少し見返しただけでも『調子が悪い』と書いている記事はけっこうある。
これは恐らく、ボクは本来、人と話すことがあまり得意ではないからではないかと思う。友人などと会って話をすると、人一倍疲れてしまうのである。
そして人と話すことを生業としているケアマネジャーという仕事はやはりボクには向いていないのだ。
ただどんなに後で疲れても、気の置けない友人と一緒の時間を過ごすのはやはりボクにとっては重要な時間でとても楽しいことではある。
だからそこは継続していきたいのだ。
それは身体に悪い行為を悪いと知っていながらも楽しいからやってしまうのと同じことなのかもしれない。
調子が悪いというのは季節や天候も非常に関係してくる。
それで今日は朝から窓の外を見てみた。
いい天気だった。
雲一つない晴天で、4階のベランダからはすでに花が散り、新緑の葉をつけた桜の木が見える。
もしかしたらボクは5月と6月が好きなのかもしれない。
そんなことをふと考えた。
例年、紫陽花の時期は確かになんだか気分がいい。
それは調子がいいと言うことではなく、なんとなく好きな雰囲気であるということだ。
5月の連休が終わると、7月までは祝日がない。
しかし下手に連休を挟むと精神的なリズムが崩れて連休明けにはいつもにも増して調子が悪くなる。
仕事で人と話すのは疲れるが、それでも同じ間隔で休んだり働いたりしている方が調子の波は小さくてすむ……ような気がする。何の根拠もないけど。
祝日のないこの時間。
仕事が嫌いなボクがもっとも嫌がる期間に思えるけど、実は祝日がなくリズムよく生活できる静かな月だと考えれば、この時期はボクにとっては静かに安定して過ごせる季節なのかもしれない。
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