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厳しいことは辛いこととは違う

 家庭訪問があったのでその時間は自宅にいるように仕事を調整した。
 家庭訪問とか授業参観だとか……
 まさか自分が親としてそんなイベントに参加するなんて思ってもいなかったから、何だか変な気分である。
 すでに息子はこれを書いている時点では小学4年生で、ボクはこれらのイベントに4年も参加しているにもかかわらず、なんだか落ち着かないというか、どうにも自分のことではないような気がしてしまうのはなぜだろう。

 家庭訪問があるのは春先の話で進級してすぐに先生が自宅にやってくる。

 これ……
 ボクも仕事で毎月同じようなことをしているのでその大変さはよく分かる。
 そんな中でも時間を割いてくれる先生には感謝しかない。
 前の話で過去にボクが出会った嫌な先生の話をしたのだけど、正直、あんな人は滅多にいないと思っている。
 息子の担任をしてくれた先生方も毎年、家庭訪問で何度も話をしているが、実に良い先生方だ。

 新学期に入り、うちの息子は無事に進級したわけなのだけど、懇談会で先生はこんなことを言っていた。
『漢字に関しては書き順からシビアに採点していきます。しっかり書けばこんなにも漢字が綺麗に書けるんだって知ってほしいんです』
 実はボクは先生のこの言葉にいたく感動した。
 教育ということに対してこの先生が真剣に考えていることが伝わったからだ。

 そして先生の言っているシビアに採点するというのは目的が子供たちに漢字をしっかり覚えてもらいたいというものなので、子供が間違ってもどうすれば正しく漢字を書けるのかを粘り強く指し示してくれるのだ。
 現に漢字が大嫌い……というかボクに似てサボることしか考えていない息子は先生の授業が楽しいといつも言っている。
 漢字もよく間違えて再提出になるのだけど、嫌じゃないと言っていた。

 漢字だけに限らず、なんでも細かに行うということは労力が求められることではないかと思う。

『厳しい環境の中で人は育つ』
 そんな言葉が昔からある。
 ただ最近になって思うことは厳しい環境が必ずしも『辛い』環境とは限らないということだ。
 厳しいけど楽しいということはあるのではないだろうか。

 例えばマラソンなどはその良い例である。
 長距離を走ることは普段から節制も求められるし、トレーニングもしなければならない。
 厳しい環境に身を置くことができなければ42.195㎞は完走できない。
 
 そうにもかかわらず、たくさんの人がマラソンに心を惹かれて走っている。これは厳しい環境で自分を律していることが楽しいからに他ならないからではないだろうか。

 同じように『厳しさ』はイコール『辛さ』ではないし、辛いことは長続きしないのだ。

 よく『継続は力なり』という。
 どんなことでもまずは継続することが大事なのだ。
 でも継続するためにはやはり『楽しさ』がなければいけない。

 勉強でもスポーツでも上達するための努力や工夫は楽しいものである。
 以前から言っているがボクは人間は『学習を楽しむ生き物』だと思っているから。
 上達するための努力や工夫が楽しいと感じることができなければ、楽しいと感じるように指導者が導いてあげればいいのだ。
 息子の担任はそれが上手な先生なのだろう。

『厳しさ』に『楽しさ』が加われば継続する強さが身に着く。
 厳しさの中で人が育つと言うことはそういうことなのかもしれない。

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