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文学と健康③~死に直面する-私の体験から

はじめに


前回の記事で、ぼくは、「自分が空想していた死」と「直面した死」は全然違ったという話をしました。ほんとメンタルが苦しくて、一人で横になりながら「ああ死ねないかなあ、楽になりたいなあ」なんて考えてる状態は、「死を空想している」だけで、「死に直面している」状態ではないですよね。「死について考えている」という意味では同じだけれど、やっぱり心が弱っているときにあこがれる「死」と、実際の「死」は全然違うと思います。

もう辞めちゃいましたが、むかしX(Twitter)に「国は安楽死を認めてください」みたいなハッシュタグが流れてきてて、ちょっといたたまれない気持ちになっていました。安楽死に賛成か反対かは、また別の議論で、いまではしっかり自分の意見もありますが、いまの日本では制度上、安楽死はできません。

たとえばステージ4の癌で回復の見込みがなく、余命を宣告された人が「尊厳死」とか「安楽死」という話をするならともかく、投稿していた人はおおむね精神疾患で、働ける見込みもなく、回復する見込みも想像がつかないという状態だということは投稿からわかりました。

私はたかが2-3日、カテーテル手術を受けただけで、実際にはもっと死に直面している人ってたくさんいると思いますし、われながら「何を偉そうに」と思います。ほんと「死の瀬戸際までいって引き返してきた」人なんてたくさんいるし、自分ごときが偉そうに語る資格があるとはほんとは思いません。

だから死の実感がある方に「死について説教しよう」なんてちっとも思っていません。みんな寿命も違うし、人によって死の感じ方って変わると思うんです。

だけど、長いこと私もつぶやきはしないけれど、「死にたい」と思っていたことは事実でした。「安楽死を認めて」なんて意見表明していないし、自殺する勇気もなかったけど、実際、回復する見込みの無い精神病みたいな症状がだらだら続いていて、何回も何回も仕事に失敗していたので、「生きるの大変だし死にたいなあ」みたいな気持ちになっていたのは事実なんです。

これからお話しするのは、あくまで「死にたいなあ」とぼんやり自分が空想していた「死」と、ちょっとだけ顔をのぞかせた肉体的な「死」とのギャップに驚いたという、自分自身のみっともなくつまらない体験談にすぎません。

多くの人が、精神的な困難さから「安楽死」したいとおもっているのであれば、では「死に直面する」というか、「死そのもの」ではなくて「死に至るまでのプロセス」ってどうなってるのか、というのを記しておいたほうがいいと思いました。

わたしは「死」というより、自分の体をとおして手術という医療行為の大変さを体験してみてあっという間に「人生観」が変わってしまった、そんな体験をしました。

ちょっと長い文章になります。お付き合いいただければ幸いです。

まあ別に手術したことがあったり、そんなん知ってるわよ、という方には当たり前のことしか書いてないので、読み飛ばしていただいて構いません。

ただ、もし健康についてまったく考えてない、一度も大きな病院にいったこともないという若い人には、ちょっとゾッとする話かもしれません。

私自身、「健康的な生活」とまではいかなくても、とにかく「もう二度と手術みたいな体験したくないな」と思ったので、普段あんまり意識してない人にこそちょっと共有しておきたい情報かもと思って、細かく書きます。

※けっこう生々しいこともそのまま書いときますので、すこしでも「手術はしたくないし、自分も気をつけないと」という人が増えるのを願っています。読みたくない方はこれ以下の文章は読まないことをおすすめします。

私の体験談

・入院前夜から

話は入院前夜から始まります。

結構みっともない話ですが、一週間ぐらい前は、「たかが2~3日でしょ、大丈夫大丈夫」みたいな感じで、ちょっと余裕をこいてた自分がいました。

相談員さんにもそんな話をしてたし、まあ「プチ手術」と思って自分もあんまり真剣に意識してなかったので、周囲の専門家も大丈夫と思っていたらしいです。何かあったときのためにヘルパーさんも同行はしないけど、起こして見送りをしてくれる手はずまで整えていて、「じゃあがんばってね」ということで、かかりつけの先生の手を離れた感じ。

正直、実際に「動脈硬化」があったとわかって、いままでの不調がかなりの割合で身体的な側面もあった、となったとき、自分を襲ったのは「良かったあ」という実感とは程遠いものでした。複雑な気持ちですが、「あ、わかってよかったな」という思いと、「これから大変かもな」という思いが半々。それは「頭で考えた」漠然としたものです。

ところが、手術日がだんだん近づいてくると、こみ上げてくるのはそういう理性的な考えではなく、生理的な恐怖でしかないんです。変な想像しかしないんですよ。前日から入院したのですが、あれほど「病院が怖い」とおもったことはありません。

頭ではわかるんです。実際1時間で終わるらしいし、カテーテルっていう手術は別に新しいものでもなんでもなくて、危険性はないということ。

ただ、お恥ずかしい話、手術する前からもういろんな想像が頭をもたげてきます。あれほど「死をやすらぎ」だと歌ってた人が、これでは話にならないとおもったのですが、怖いものは怖いんだからどうにもなりません。

危険性はないと聞きますが、当然、先生自身が、成功する見込みなんていいません。むしろ医師には説明義務があって、とにかく「最悪の事態」も全部言った上で同意をとらなきゃいけないので、同意をしたはいいものの、その「最悪の事態」がずっと頭のなかを駆け巡るようになります。

「失敗したらどうしよう?」「遺書書いとかなきゃ」「集めてきた本をどう処分すればいいんだろう」「いま別居してる妻はどうなるんだろう」みたいな人からみたら「大げさかもしれない不安」が次々と頭の中を襲ってきて、それは、別に考えたいわけではないんだけど、自然と頭に浮かんできてとめられない種類のものです。

特にひどいのは、「体のなかを細い管が駆け巡っている」みたいなイメージが浮かんでしまったときです。もう想像するだけでぶるぶるしました。そういうのって、一回浮かぶとなかなか消えませんしね。

あと先生からの説明のなかで一番引っかかったのはこんな危険性。

「あくまで可能性ですが、いままでずっと詰まっていた血管だから、一番事故が起こりやすいのはむしろつまりが取れた直後です」

どうも、血管のなかのプラーク(詰まりの原因のカス)を取り除く過程で、プラークが誤って脳へいってしまうという可能性があるとのこと。正常な方向に流れる血液と一緒に、プラークが流れていってしまうと、プラークが脳を直撃するらしいのです。

「それ、つまりどうなるんですか」ときいたら「言語障害とか麻痺になります」と言われてしまいます。

その「最悪の可能性」ばっかり考えてしまいます。

ということで前日「体の中をどうやって管が駆け巡るのか」という想像と、
「言語障害や麻痺が残った後の自分の姿」を想像すると全く眠れず。

うちに来ているヘルパーさんにちょっと早く一緒に出てもらって、なんとか病院に向けて出発しましたが、もともとふらふらな状態なのに、さらに「寝てない」から、たった2駅しか離れてない駅のホームで座り込んだりして、病院へ「ちょっとやばいです」と連絡をいれたくらい、仕上がりが悪い前日になってしまいました。

2時間くらいかけて、なんとか自力で病院に到着しました。

・入院初日

病院に着いて「電話したものです」と名乗ったら、看護師さんを呼んでくれたはいいんですが、そのまま「危ないから動かないでください」ということで車椅子に載せられて運ばれるような始末でした。

看護師さんから見ると、あきらかに歩き方がおかしかったらしく、膝に力が入っていなかったので、どうも要介助者と判断されたようです。

入院に必要な検査を済ませて、病棟へ運ばれたはいいのですが...。

トイレなどで自分で動こうものなら、「勝手に立とうとしないでください」と怒られてしまう塩梅だし、とにかく怒られっぱなし。ほんとに介助されてトイレなんていったことがないので、勝手がわからずとにかく自分で力をいれると怒られるので、人に体を預けるしかない。これ、最初けっこう勇気いります。

(看護師さんの話では、患者さんが転倒した場合、責任問題になったり、始末書を書かされたりするそうです)

精神科へは入院したことはありますが、内科ははじめてでした。精神科の場合、リラックスするためのスペースとか結構あるし、場合によっては差額ベッド代などなしでそもそも個室だったりしますが、内科にはそんなものはありません。だいたいイメージどおりの大部屋な感じ。

隣の人とは布一枚しか隔てられていないし、なんか声を挙げるのもはばかられる感じ。看護師さんたちもバタバタ忙しくしていて、「スマホでなんか見たいな」と思っても、電気の場所もコンセントの場所も全くわからない状態。

そんなことでナースコール呼んでいいものかどうかも全然わからないし、トイレでさんざん怒られたので、なんかまた怒られそうな気がして、くらやみのなかで3時間くらいじっとしていました。

基本的にぼくは人に触られるのが大嫌いです。極度のくすぐったがりなので、女性の看護師さんが慣れた手つきで「てーもー」とか言うのを、何だ? と思って、意味がわかって愕然とするという経験もします。

(経験した人はわかると思いますが、手術しやすいように下の毛を剃るんですよね)

さらに翌日が手術だったので、「全身麻酔ですよね」と聞いたら、「え、局所麻酔ですよ」と言われたりとか…。

「それって手術中も意識はあるってことですか?」

「そうです。意識がなくなってしまったら、間違って脳にプラークが行ってしまったとき、気が付かないじゃないですか。起きていてもらわなければ困るんです!」

そういうの早く行ってくださ-い。ますます怖いでーす。

さらに夕食が出て、自分はその夕食にも愕然としました。減塩食というのは聞いていましたが、うまいとかまずいとか判断する以前の問題です。

「これ、どうやってごはん食べるんですか...」

基本的にぼくは鮭とか、塩気のあるものをおかずにご飯を食べるのに慣れています。ただ、そうじゃない食べ方をしたことがないので、ごはんの食べ方がわからないという現象が発生。

結局、塩分量が限られているので、少ない塩分をどう割り振るかでいろいろ苦労があるんだと思いますが...。

塩味をつけるなら、ごはんが進むように「おかず」には必ずつけてほしいのですが、お吸い物には塩気があるけど、おかずにはまったく塩気がなかったり。生まれてはじめて「味がしない」ものをおかずにご飯を食べるという経験をしました。

これには、普段、出された食事は残したことがない自分も絶句してしまい、そのまま固まってしまいました。

1時間後、看護師さんが様子を見に来てくれたときは、食事をほったらかしてもう完全にパニック発作を起こしていました。

「手術以前の問題でここにはいられない!」

と自分でもびっくりするほど、「病院が嫌いだ」とわめいてたんですね。

あ、手術以前に入院生活ってメチャクチャ大変なんだ、と思いました。

ふっと思い浮かんだのは、私が見舞いにいったとき、減塩食を嫌がっていて、「まこと、煙草吸いたいな」って言ってた父親の顔です。父親はこんな生活をもっと長く経験していました。糖尿病で血管がぼろぼろだったので、脳も心臓も、という状態で、おそらく3ヶ月くらいは入院していたかもしれません。結局、帰らぬ人になりましたが…。

「お父さんすいません。大変だったねこれは…。」

と思いました。

「入院して手術」なんて簡単にいうけど、自分が当事者になってそれを体験したら、こんなになるんだと思って…。たしかに父親もぼくとか祖母にすごいキレてたしなあ、と思いながら、自分が当事者でないからその辛さがわからないんですよね。

当時大学生だったし。

でも、自分の意に反するというか、頭でばかり考えていたので、急に体を触られたり、抱きかかえられたりとか、ほんと自分の想像を絶することをいきなりされると驚きます。

こんなにはっきり「拒否」の意思を示したのはたぶん人生ではじめてかもしれないです。

あまりにも屈辱的で耐え難いと思いました...。

看護師さんが慌てて、当直の先生を呼んでくれたのですが、「帰ります出直してきます」とわめく私に、「帰るっていってもどうやって帰るんですか? もう明日手術だし、寝たほうがいいですよ」

と何度も説得され、結局根負けして寝ることにしたのですが、前日からこんな様子なので、ほんとみっともないですね。ほんと自分はなんとよわい人間なんだろう、と痛感したのです。

・手術当日

当日、まったくその前日寝てないのもあって、すやすや寝てしまっていたのはいいのですが、起きたら喉がカラカラです。

手術の予定は午前中だったのですが、起きたら午前10時。急患が入ったらしく、手術の予定は少し延期になっていました。

「すいません、水くださーい」

「あ、すいません。おやすみだったので言わなかったんですが、実はもう飲水禁止期間に入ってるんですよ」

え、それってどういうことですか?

「手術が終わるまで水が飲めないんです。当然ごはんも食べられません」

あらら。それならいっそ早く手術してくださーい。

と思いましたが、どうも前の患者さんが長引いているらしく、なかなか順番が来ません。午後になってようやく手術開始になります。

手術自体は先生も手際が良くて、あ、カテーテルってこんなかんじか、と思いました。

なんか腕に押し込まれている感じはあるけど、麻酔してるから痛くはないですし、なんかその麻酔のあとにとろんと眠くなるような薬が投入されるので
リラックスはできます。

一見順調に血管からカテーテルが進んでいるかとおもいきや、「あれ?」という声が聞こえ、先生が助手の方と何やら話していました。

突如、先生から無情な宣告。

「西巻さん、最初わたし、手からカテーテルを入れれば詰まりが解消される「狭窄」だと思っていたんですが、かなり長い間ほっておいたのか、もう完全に詰まっていて、「閉塞」です。手からカテーテル入れただけだとちょっと足りないので、足からも入れますね」

もういまやってるんでしょ。いまさらやめてとも言えないし、ここまできたら好きなようにしてくださいーー。

「輸尿管いれます?」

???

「よくわからないけど、それどうなるんですか?」

「おしっこが勝手に出てくれるんですよ」

「それどこにさすの?」

「尿道です」

いやいやいやいやいや。ムリムリムリムリーーー。管をいれるとか想像できないから。

「まあそんなに心配ないんですが、じゃあ今回は輸尿管は入れないでおきますね」

と言われて、ほっとしました。

「時間ちょっとかかります」

最初は1時間の予定が、手だけではなくて足からもいれて両方からぐりぐりされてるのが伝わりました。痛みはないんですが、なんか入れてるなあ、って感触は伝わってきます。

2時間半くらいかかったのかな。プチ手術にしては結構長かったようです。

「西巻さん西巻さん、終わりましたよ。しゃべれますか?」

あー、あー、うー。

「あっ、大変だ、言語障害になってる」

否定するのも大変だったのですが、起きたときから水を全く飲んでいないので、手術が終わる頃には舌と唇がくっついてうまく話せない状態でした。

看護師さんが、

「あ、先生、西巻さん喉が乾いているだけらしいですよ」

と助け舟を出してくれたので、なんとか誤解は解けました。

「よかったですね。無事成功しましたよー」

「み、みずくださーい」

書いているとコントみたいですが、真面目です。病室に戻ってようやく水が飲めるようになりましたが、あまりにもカラカラすぎて水だけでは渇いた感じが治りません。

ドタバタはまだまだ続きます。

・手術後


「なんか手術自体そんなに苦しくなかったし、案ずるより産むがやすしだな」

と思っていたら、どうも変な感じが。足からも手からもカテーテルを入れたので、板みたいなので固定されています。

「あ、これあれですか、止血のためみたいなやつですか?」

「そうですそうです」

「先生そういえば6時間で解除されるって言ってましたよね」

「えっ?」

なんか詳しく聞くところによると、6時間で固定が解除されるのはこの固定している板だけみたいで、ベッドを離れても大丈夫な状態になるのは翌朝だそうです。

「すいません。急に予定外で足から入れたので説明抜けたかもしれないですね」

「えっ、ベッドから動けないんですか?」

「そうなんです」

「え、車椅子もだめ?」

「だめです」

「立つのも…。」

「だめです。足からカテーテルを入れた人が、急に立ち上がったら大量出血してまた処置が必要になる可能性があります。」

「トイレどうするの?」

「この尿瓶(しびん)でしていただきます」

「えっ。。。それが翌朝までということですかね」

「そうです」

看護師さんは慣れすぎてるのか、あまりにも淡々と言うのですが、私にとってはトイレ以外でおしっこなんてしたことがないので、もう戸惑うばかり。

「6時間ならなんとかなるかもしれないけど、翌朝ですか…。だから輸尿管とか言ってたのか」

「そうですよ。いまから入れてもいいんですが、たぶんもう麻酔きれてるのでめっちゃいたいですよ。男性は女性より尿道長いですし…。」

「いやーーー。」

ぼく体のなかに管が入るとか想像するだけで絶対ムリです。
でも尿瓶でするのも全然想像つかないし…。

「と、ところで水以外飲んじゃいけないんですかね。なんか甘い飲み物じゃないと、喉がカラカラで…。リンゴジュースとかでいいんですけど。」

「それ先生の許可がいります」

「なるべく早くお願いしますねー」

そうなんです。手術自体は1時間ちょっとで終わるかもしれないですが、足からカテーテルを入れた日は、一日ベッドから動けないんです! つまり拘束時間がめちゃくちゃ長いのです。

さらに渇いた感じも治りません。そのままましばらく放っておかれてしまって、「はやく許可出ないかな?」とやきもきしながら待っていたら、また長いことたって夜になって、執刀した先生がひょっこり顔を出しました。

「大丈夫?」
「先生、みずー」
「あ、ごめん、オレンジジュースとリンゴジュースの許可いま出しといたから」

「このあとなんも聞いてないんですけど、たとえば定期的に通院とか必要な感じですかね」

「そうだね、どうしても動脈硬化になってしまった血管は、もとに戻るわけではないからまた詰まりやすいです。定期的に診察しましょう。おくすりも血液サラサラのやつ入れておきますね」

「ところで、おしっこどう?」

といきなり訪ねられました。「いや、そんなすぐ出ないですよ」と応えると、先生は困ったようすで、

「いやー。まあそんな心配ないと思うんだけど、点滴増やしとこうかな?」

といいながら、そそくさとお帰りになりました。

看護師さんに、

「看護師さん看護師さん、先生なんでおしっこのこと心配してるの?」

と聞いたら、

「いや、実はですね、カテーテルする前に血管広げるような造影剤入れたの覚えてます?」

「そういえば入れてましたね。あれ入れると、体が養命酒飲んだみたいに突然かーっとするんですよね」

「それですそれです。かーっとするのは問題ないんですが、造影剤をあんまり長く体内にとどめておくと、体によくないので、実はさっきから点滴として水分を入れてるんですよ」

「えっ! 嫌でもなんでもおしっこしなきゃいけないってこと??」

「まあそういうことなんです」

「手術のあとの最初のおならみたいな感じですね…」

「そう言われるとそうかもしれないですね」

「でもなあ、そんなガンガンだせってプレッシャーかけられても、困るなあ」

「いまどんな感じですか?」

「だせといわれたら出るかもしれないけど、そんなにすぐトイレいかなきゃって感じでもないですね」

「もう夜なんで、寝てしまって翌朝起きたらでもいいですよ。もちろん、出したいと思ったら、深夜でもナースコールしてください」

しょうがないので何回か試しましたが、いくらがんばっても寝た状態でおしっこが出ません。深夜2時頃、そんな出る感じもしなかったのですが、ナースコールを呼んで「一回してみる」と言ってバタバタしていたら、隣の人からいきなり「もう夜ですから静かにしてくれませんかね」と言われてしまいます。

そうなんです。自分のこともいっぱいいっぱいなのに、隣の人への配慮も欠かしてはならないのです。しょうがないので、動いていいよという許可がでる朝の午前6時までまんじりともせずただ待ってました。

その間、幸いにも「おしっこ出そうでたまらない」という状態にはならず、包帯を取ってみて「あ、もう血止まってます」となってから、車椅子で
出かけていつもどおりおしっこしたら、「もう大丈夫」とのことでした。

あー。やっとなんか制限とかプレッシャーがなくなった、という感じがしたのを覚えてます。

そしたらもう、その日に退院で、朝食がちょっと出たと思ったら、もう次の患者さんが来るそうで、そそくさと荷物を片付けて退院の準備をしてくださいと言われ、慌てて荷物を片付けて無事に退院。

まあとにかく、なんか制限とか不本意なことばかりでしたが、とにかく何か「治った」というよりまあ、解放されたーみたいな意識でなんとか家に帰ってきました。

              ※

そのあと私の「健康」に対する考え方は根本的に変わるようになります。
実際にどう変わったかというのはまた次の話になります。ちょっと長くなりました。また次回!

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