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「医療は治してくれない」~文学者が感じた医療~ー問題提起編ー

こんにちは。
総合誌の依頼もこなし、未来にも月詠を出し、ということで最近は一応、きちんと短歌やってますね…。

勝手にペンギンも登場させてしまった「ペンギン文学論」も続きを書きたいのですが、それに加え、「医療と健康の問題」が今回、また首を持ち上げてきています…。いろいろ書き散らかしちゃってすみません。

あまりの更新頻度に目を回している人もいるかも…。ぼくもここで一回休んで、「ここまで」でメルマガを発行します。

いま本当に怒ってるので「書きたいことは書いちゃえ」と思っています。
ちょっと長めのぼくの「怒り」にお付き合いいただければ嬉しいです…。

以下目次です!


先週のできごと


実は昨日、整形外科の紹介先の病院で一悶着がありました。(別に喧嘩はしてないですが…)。

いつもなら引き下がるところですが、さすがに自分の体のことをレントゲンだけで「異常なし」と宣告されるのはたまらないので、「なんでこんなに医療がいい加減なんだ」と、うちのかかりつけの病院の方(一応精神科ですが…)に愚痴をきいてもらって、解決策を一緒に考えてもらっていました。

今回は、

  • 「「肩こり腰痛」みたいな全身のこりとか痛み」って何科が診断するの?

  • それほんとに整形外科で「大丈夫なの」?

みたいなことを書きます。

実は先週、「ペンギン文学論」の記事を書いてる途中で、腰らへんに激痛が走り、ずっと痛みが引かず、今週はなんやかんや大騒ぎしておりました。

リハビリに行ってまず様子を見てもらったんですけど、理学療法士さんは医師の指示なく腰をさわれないので、とりあえず肩だけやってもらってましたが、まあ腰のあたりが泣きそうに痛い…。でも肩も完全に詰まってて、肩のリハビリもめちゃくちゃ痛みがでて、やってもらわないわけにはいかない。

翌日も腰の痛みが引かず。
仕方がないので病院に再度連絡。事務の方に訴えます。するとこんなお返事。

「腰を見るのはいいんですけど、腰のリハビリを始めると、肩のリハビリができなくなってしまいます」

えええっ。そんなー。

「最近、肩こりが治ってきて、猫背とか巻き肩みたいな不良姿勢がことごとく良くなってきたので、負担がそのまま腰に来たのかなあ…と思っています…。実際、どうすればいいですか? いま紹介状を書いてもらった病院にかかればいいですか?」

「どちらがいいかは、患者さんの方でご判断ください」

何だこの突き放したような言い方(怒)。アドバイスがほしいのに何もよりそってくれない感じ。しょうがないので、紹介先の大きな病院へ連絡し、翌日画像検査となりました。

ただそのときはレントゲン撮るのもつらい状況で、「イタタタタ」って言ってたのに、結局診断になったら「骨には異常ないみたいですね」。って言って診療終わり。

えええっ。痛いんですけど…。座れないんですけど…。

と思ったのですが「これはどうにもならない」と思い、「筋肉なんですね」と言って帰ってきました。

ほんと整形の医者って「筋肉」みる気ないでしょ。

ではなぜ、

「肩こりは整形外科」

by 日本整形外科学会

って案内してるの?

せめてお医者さんが「どこが痛いですか」って触ってくれてもいいじゃないか、と思います。ほんと触りもしないし、ただ画像を見るだけ。

ということで憤懣やる方なく、ぼくも腰痛なんて初めてだし、もう整骨院いこうかとも思いましたが、「一応少し様子みて、痛みが引かなかったらまた検討してみたら」と冷静に「かかりつけの病院の方」が、提案してくれました。それでなんとか落ち着いて、その日は銭湯に行くことにしました。

ただ、とにかく肩も痛いけど腰も痛い。食欲も出ないし気も散るので、銭湯に行って少し温浴したあと、筋肉図を見ながら下半身を自分でストレッチしようと思い、あちこち悪そうなところにあたりをつけておりました。

すると、だいたい自分が「ぽっこりお腹」で、「猫背・巻き肩・なで肩」という要素が当てはまるので、悪くなりそうなところを全部調べて、筋肉名で検索。youtubeやインターネットでそれぞれ説明や動き、ストレッチした効果を確認し、自分で納得してから、昨日と今朝、2回にわけてゆっくりと肩と腰のストレッチをしました。

怪しいところをまずやって、まだ痛かったら「ここ」って感じで、首、肩、背中・脇腹・腰回りも全部緩めてみたら、なんと!

なおりました…。
(イタタタタって言いながらやるの、相当大変だったけど…。)

実際は、全ての筋肉が突っ張っていて痛みを発しているというわけはないです。ゆっくりストレッチしていたら、あるとき急に患部がわかって、その痛みの出どころに関連する筋肉を伸ばしていったら、痛みが引いてしまっただけです。

幸運なことに、そもそも腰痛ではなかったみたい。巻き肩が最近治ってきたのはいいことですが、背中はカチカチの状態のままだったので、急に伸びた背の高い姿勢に引っ張られて「腰が反って痛かっただけ」みたいです。

ただ、病院がこんなにいい加減で「患部を見ずに画像だけ見る」感じで、それを自分がyoutubeを見てセルフケアで治す。ってさすがに本末転倒すぎない? という怒りがふつふつと…。

こうした方が良い、という医師からのアドバイスもないです。
「薬だしときますから」でおわり…。

その薬も「ちゃんと飲み合わせ見てる?」とぼくはキレそうになりました。さすがに前の整形外科でも「2科から薬がでていて、飲み合わせが怖いから」という理由で、貼り薬だけにしておいてくれたんだけど…。

それを指摘したら、

「貼り薬と飲み薬どっちにするかは患者さんで選んでください」

と言われてしまいます。

ムッキー。
薬を飲むかどうかも「自分で選べ」とか…。
これが現代の整形外科の「最低限の仕事」なのかな、と思いました。

医療は治してくれない?

1.やっぱり不仲なんですか?

整形外科をはじめとした医師会みたいな団体が、どうやら「整骨院や整体」みたいな治療院と仲が悪い「らしい」のは推測出来ます。

「腰痛になったとき、患者はなぜ整形外科ではなく、鍼灸などに頼るのか?」 (日経メディカル,2009/12/18)

だいたい医師の方たちのお考えはなんとなく聞いてますので理解はしています。

・「整骨院で本来許されない勝手な診療行為をしている」とか、
・「不適切な施術で半身不随のような大事故になった」とか、
・「実は腰痛ではなく癌の痛みだった」

みたいな悪いことばかりが聞こえてきますが…。

それ、実際は「うちと提携して一緒にやろうよ」といってしまって、お互いに患者を紹介しあえば全く問題ないことなのでは…。

治療院の先生が「これちょっと怖いから一回診断してもらって」とか、逆に整形の先生も「これは筋肉が中心だから手技してもらうと治りが早いよ」と紹介状を出しあえば、「診断は医師」「医師が治療を指示し、把握している」「治療は資格を持った人」で全然済む話のような気がします。

そう考えると、「理学療法士」「柔道整復師」「鍼灸師」「あんま・マッサージ師」っていう既存の国家資格の分け方も、なんか怪しい気がするんですが…。(整骨院を開業できるのが「柔道整復師」だけってどういうこと?)

おそらく医学の立場からは、施術に「エビデンスがない」と言うんでしょう。これは十分な検証を単にする気がないか、政治的な理由でしないだけなんじゃないかな、と僕などは勘ぐってしまいます。

ほんと、患者の体を触ることもない医師が、どうしてこりの問題で実際に触って治療している人たちの問題点を指摘できるのか、「謎」です。

肩こりを薬で治すってさすがにナンセンスですよね。

骨がどうもなってなければ、筋肉が骨を引っ張ってるだけなので、引っ張っている筋肉を緩めてあげれば通常の姿勢に戻るんです。

実際、「整形外科のHP」にも「ストレッチ」と書いてあるし、そのために具体的な治療をしている治療院の技術を「エビデンスがない」なんて言えないはずなんだけどなあ…。

さわったり動かしたりして治すのって、素人の僕がみても、薬よりリスクが低くて効果が高そうに思います…。「薬の危険性」と、「ストレッチの危険性」をそもそも比べた実験って、あるんでしょうか。だいたい痛み止めとか筋弛緩作用のある薬って、胃を荒らしたり依存性があったりする可能性が高いという説明を受けますが…。

肩こりだって、だるかったり痛かったりするのにはきちんと理由があるし、筋肉のどこかが凝ってるから引っ張られて別のところが痛むなんて、医学の問題じゃなくて、もっと広い科学の視点で考えれば理解できる話なのに。

たしか医学部は一年生で「解剖学」をやってたんじゃないかな、と。

「科学的なんだけど、エビデンスがない」ものしか認められないというのが「医学の立場」なら、「画像診断で異常なし」と判定して、そのまま薬出して治療しようとする医師は科学的なのかどうか、よくわからないです。筋肉なんて画像に映らないんだから、絶対どこが凝ってるか、なんて医師はわからないはずですよね。それなのに「肩こりは整形外科」みたいに宣伝するのはもはや患者を騙しているとしか思えません。

2.信じたものがバカを見る?

実は私もいまの精神科の先生や、いつも訪問に来られる相談員さんにはこのことをよく話していて、ある程度共通理解ができていると思います。

15年以上患者として生きてきて、まったく働けず、趣味の読書もパソコンもできず…みたいな状況に陥っていて、その原因を突き詰めていったら相当根深い「こり」もあるし「治そうとしないし、そもそも指摘すらしない社会の問題」もあることに気づきました。

今回の件でぼくはいま「悪くなったら自分で調整すればいい」くらいに思えてますが…。ほんと、誰に憤るというわけではないですが、誰からも指摘されないまま、「精神病患者」にされて苦しめられてきた十数年という「時間」を返してほしいです…。

「肩こり」「首こり」「不眠」「下痢」「吐き気」、さらには「全身倦怠感」…。全部経験しましたが、「自律神経失調症」だと思って、ぼくは今まで「こっていること」すら知らずにあがいてました。ほんとうに「こり」を舐めると恐ろしいことになリます。人生の大事な時間を無駄にするんだから…。

私は最近知ったので「今さら」という感じですが、「自律神経」は実際にありますし、近くの筋肉をゆるめることもできます。

首の後ろの、頭蓋骨から首の骨が通るすぐ根元に、交感神経があります。
さらに副交感神経は、背骨のあたりから臓器へ広がって点在しています。

自律神経失調症(これ病名じゃないみたいですね)の症状を治すとしたら、薬を飲んでも効果ないとはいいませんが、「首の筋肉が硬くなることによる交感神経への圧迫」をそもそも治さないと、常に交感神経が刺激されたままですし、そんな状態では神経は「緊張したり警戒した状態」のままではないでしょうか…。

 薬をのまなくなっても、不眠とか鬱とか、緊張型頭痛に吐き気、ふらつき、さらに思考力の鈍磨、みたいな症状は首が圧迫されていればいくらでも再発します。ほんと、この程度のことは、ネットで調べればでてくるようなことなんだから、ちゃんと医療機関で「注意喚起やアドバイス」を徹底してほしいです! 

もし「整形外科で肩こりを診療する」と医師会か何かで決まっているんだったら、「うちは肩こりはあまり深刻だと思ってません」とか、「うちでは肩こりはわからないので、レントゲンのあとリハビリに丸投げします」とか、なんでもいいので「治療方針」とか「考え方」をデカデカとHPや看板に書いておいていただければ患者側で判断しますけど…。

何にも書いてないじゃないですか。

もし、私のような文学者が、一患者として、「こう考えている」ということを広めるのが医学的に「良くないこと」ならば、どうも医学は少なくとも患者の「生活の質」よりも自分たちの「利益」が大事だと思っているんじゃないかと勘ぐってしまいます。

激おこぷんぷん丸です!!!

3.自分のケアは自分で、の現実


もちろん、わたし自身、勝手に自己流でやってるわけではないです。周囲の専門家さんたちの意見を聞き、「ここが凝ってる」ならこの筋肉、って一つずつ解剖学に基づいた筋肉図を参照にして、筋肉の名前を上半身全部覚えて、「ここは◯◯筋」って確認しながら、その関連も調べ尽くてストレッチをしました。

60本か70本くらいyoutube動画を比較検討し、より効果のあったものを繰り返し実施して、やっと上半身だけのルーティンを作りました。肩、首、自律神経、さらに今回、いきなり上半身がほぐれても、背中が凝ってると引っ張られて、「腰が急に痛む」のがわかったので、背中も追加して、戦闘のあとはやります!

ただ、ここで一つ言えるのは、こういう知識を無料でというか、きっちり警告したり動画でアドバイスしてくれるのに「整形外科の先生」は少なく、だいたい腕のいい「整体師さん」とか、人の体を触り慣れている「理学療法士さん」や「柔道整復師さん」だということです。

よくよく考えてみれば、整形外科の先生も「やることはやってる」というか、自分の職責は果たしていると考えている人が多いんじゃないかな。レントゲンは最低限オーダーして、それを見ながら「骨には異常なし」と言っているわけです。あとはアドバイスするもしないも自由ということでしょうかね。

別に責任放棄ではないです。「やるべきこと」以外「やらない」だけですよね。

ただ、みんな「やるべきことをきっちりやっている」だけで、それ以上のことはやらないのが仕事だとしたら、「やることやってればいい」みたいな考え方が広まってる社会の中で、「やるべきこと以外も断れずに引き受けざるをえない」人たちが困っている、という事実を、忘れないでほしいです。

実際、「人の頼みを断れないで残業してしまう」とか、「ついつい自分の時間を犠牲にして人のことをかんがえてしまう」

なんて人もいます。ぼくもそういうタイプの人間でした。

「やさしさ」を人間の持っている「善の部分」だと建前だけでも子供に教えるのなら、「身を守るために「自分がやるべきこと」に集中して「優しさを殺さなければいけない」社会って一体なんでしょうか…。

建前と本音の乖離というより、「自分たちが早く帰りたいから断れない立場のひとに仕事をおしつけるのが前提な社会を理想としている」ようにしか見えませんが…。

実際、そういう人に甘えて、「困りごと」は全部人に押し付けて、「自分はやることやったから責任ないですよね。帰ります」って言う人が同じ会社にいたらどうでしょう。あきらかに殺意の目を向けられると思うんですけど…。

わたし自身、15年以上肩こりめまいふらつきで、ひどいときは「ずっと寝たきり」「就労不可」「障害年金2級」でしたが、いまは、毎日朝5時に起きれて部屋も全部片付けちゃってる、というのだから恐ろしい変わりようです。全然「薬が必要ない」という考えではないけれど、全身凝ってると正直メンタルの薬もあんまりよく効かないです。不眠なんて、睡眠薬だけでは正直寝付きが良くならないから、効果を出すためにどんどん強力になっていってしまうし…。

実際「併用する」のが理想だと思います。
別に筋肉を調整するストレッチなら薬と併用しても副作用の心配はいらないですしね。

4.ストレスに負けないセルフケア


さてここからは少しだけ次回の紹介です。

私が実際にやっている「セルフケア編」は周りの人にも相談して、「有料記事」で公開しようと決めました。実はこの記事を書くのに発達障害の特性をフル活用して、半端ないくらい調査もしたので、けっこう自信あります!

文系でも、技術はなくても知識は付けられます!

「メンタルの調整ができない」くらいまで悪化した人だけでなく、「肩こりめまい首こりその他、オフィスワークでつらくて困りながら働いてる」方も、「医師から休職と言われたけど休職期間の過ごし方わからない」などという方に、ぜひ読んでいただきたい内容です!! 

(ちなみにぼくの診断は以前は「発達障害(詳細不明)と双極性障害」でしたが、ちょっと訂正されて、「発達障害(ADHD)」のみになってます)

他のいろんな疾患に応用できるかは医療の専門家ではないし、僕自身もわからないので、有料記事を読む際はご注意ください。また、ほんとに主治医の先生の意見を一番大切にしてください。私は医療従事者ではない立場から言えることを文章にしてるだけです。主治医の先生は患者さんを間近で一番良く見ている方です。

(セルフケアについては、疾患によって現れ方が違う可能性があるので、それが本当に適切かどうかも、主治医の先生と相談して判断もらったほうがいいです。セルフケアができれば薬なんてなくてもいいなんて「ひとことも言ってません」よ。薬のほうが優先な状況もあります!!)

実際、ちょっとメンタル弱りかけだけど、いま仕事があってお金を稼げてる人は、仕事を続ける意欲があるなら、ぜひ仕事を続けてほしいし(もちろん別の転換点を見つけてもいいですけど)…。

いずれにしても「完璧に直す」まではいかなくても、このストレス社会におけるストレスのコントロール方法を学んだほうが、今後の人生にかける時間が豊かになると思います。(ほんと、そのまま手遅れになってお金が全くなくなってしまったあとは、「整体」なんて保険すら効かないから高くて通いきれないし、「セルフケア」以外の選択肢がないです。これもつらいですよ…)

「ストレスを感じたら休みましょう」と簡単にいう方もいます。「ストレスを簡単に減らせない、休めない」のは、会社でより責任がある仕事をしている人だけでなく、おこさんを抱えている人は、とうにわかりきっているはず。

ならば、自分にストレスがかかっても全身が緊張しないように、こまめに体をゆるめる方法を知っておいたほうがいいと思います!

こじらせるとそのまま誰も何も教えてくれず、気づくまで苦しみのなかで人生を無駄にするような病気だからこそ、日本にいるすべての人たちに警鐘を鳴らしたいのです!!

なんどもいいますが「医療情報」ではなく、その前の心構えの話からやります。「ただの文学者」が言ってますので、信憑性や必要性はぜひ専門家と相談してください。

さて、誰とは言わないけど、「やるべきこと以外のことをやらない」人が多すぎる社会のなかで、当然負荷がかかりすぎて困ってらっしゃる職種の方がいらっしゃいます。

私はその人たちこそ、他の診療科の方というか、たとえば精神医療のなかでも、より重症になった状態の方を担当する方たちなのではないかと思います…。ほんとに命にかかわる状況が多いので、その手前で「止めてくれ」という祈りを持っているのではないか、と思います。

「精神科が忙しすぎ」問題

1.さすがに患者増えすぎてない?

そもそも最近、急速に精神科関連の病気が増えて来ました。病名も増えましたしね。精神科の先生の様子を見ていると、「めちゃくちゃ忙しそう」になって来たように思います。

特に評判が上がってきたり、「丁寧に患者の話を聞いてくれる先生だ」という口コミが出回ると、それをみて患者さんが殺到します。そして、それを全部受け入れていると、だんだん「丁寧に話を聞く時間」そのものがなくなってくる、みたいな事態になるように思います…。

精神科の先生だって、他科の先生だって、当然「患者を治したくない」という先生はいないと思います。ただ、あまりにも「話を聞いてくれる」先生に負担がかかりすぎてないか、とは思います。

15分診察、薬だけ、実際に、どこへ言っても診察内容はさほど変わリません。これは待合室にいる患者さんの数を見ればわかりますよね。「この人の次にあと5人待ってる」とかを、先生も意識しないといけないし、ほんとに「話を聞いてくれる先生」には患者が集中して、だんだん「話を聞けない先生」になってしまう、それは患者として毎月通っていれば、想像はつきます。

ぼくがずっとお世話になってた先生も、そういう感じがしました。もともとぼくが入院したのって、「薬をだせば自分の仕事は終わり」みたいな「自分の仕事に忠実な」クリニックにかかってしまい、ただの「鬱」なのにいきなり10錠くらい薬をだされて、ふらふらになったのが原因です。

薬の副作用とストレスの数々で、動けなくなり、入院やむなし、という状態になりました。

そこで、入院したときの主治医の先生が、ぼくの薬をみるなり「何だこの処方は!こんなんじゃよくなるわけない」と怒ってくれて、はじめて「多剤処方」という言葉を知ったのです。

そもそも重症ではなく、「重症にされた」んです。

精神科の先生が全員そうではないです。ただ、どの科の先生も「やることをやってればいい」という先生はいます。そうじゃない先生も当然います。

ぼくは不運にも「職務に忠実な」先生に当たってしまいました。

*しかも外から見て、どんな先生かなんて全くわからないし、むしろそういう先生ほど病院が混んでいる傾向があります。

ほんと、先生が合わないとこんなにつらいのかと思い、その「多剤処方」を親身になって怒ってくれた先生が開業すると聞いて、わざわざ先生を頼って、開業先まで押しかけたのでした(それがもう7-8年前です)

ほんと、初診で知らない先生にかかるのが一番怖いです。その先生がどういう先生かという情報は、HPなどをみても書いてないし、ネットの評判なんてまったく当てにならない。

結局、診察室のドアをあけるまでどんな先生か自分で直接確認するまで判断できないです。これはほんとに怖いです…。「カジュアルに他院へ」って言えれば助かるけど、実際問題、診察1回で「紹介状を出してくれるかもわからない」先生だったりするんです。

だから「信頼できる先生」を一度手に入れた患者は、その環境を手放したくないし、口コミでどんどん患者が殺到するのではないか、そして誰ひとり「面倒見の良い診察は、物理的に不可能になってしまう」のではないかと邪推しています。

2.そもそも症状なんて医師は覚えていない


今回はその「やることやってればいい医者」の名前をあげて糾弾しようという話じゃないです。一患者として感じた、「真面目な先生」こそ「どう考えても無理な負荷がかかってる」という経験を共有したいのです。

私の前の主治医の話をします。

通い始めた当時、横浜から東京にわざわざ通ってたので、先生もちょっと無駄話する余裕を作ってくれるというか、「やあやあやあ」と言って、すごい時間をかけてくれるので、非情に関係が良好でした。

「ほんといい先生だなあ」とずっと思ってたんですけど、やっぱり「いい先生」って、開業したらすぐ患者さんにバレるのかも。

だんだん病院が大きくなり、先生も増やすということになり、患者さんが増えてきたのがわかりました。

でも、増えてきた患者さんも評判を聞いて「いい先生」目当てでくるわけだから、気がついたら「いい先生」の診察は取りづらい、みたいな状況になってるわけです。

「忙しいのはしょうがないよな」「先生も仕事だしな」とは思うんですが、ぼくがもし「先生」の立場だとしたら、「まったく違う症状、性格、悩み」を抱えた人が、「入れ替わり立ち替わり診察室に入ってくる」状況、かつ、「アドバイスする時間が15分以内」という条件で、

ほんとクイズみたいに「全員に最適な回答ができるのか?」

という問題に直面するんじゃないかと思いました。

おそらく、カルテをしっかり書いておかないと患者さんの症状や状態なんて全部覚えてられないだろうし、いくらプロだとしても、全員の症状を家にまで持ち帰ってたら、ほんと先生自身が病気になってしまいます。

実際ぼくはかなり時間取ってもらったほうですが…。先生も疲れてるだろうから、「ぱっといい解決策が思いつかない」ことで患者は先生を「責められない」と思います。

3.医師の立場で考えてみる

ぼく自身、同じメンタルを抱えているもの同士で、他の方の悩みをきちんと聞いたことがあるけど、「これどうすりゃいいの?」って悩むくらい複雑で深刻な問題を抱えてる人ばかりです。

私は資格なんて何もないから、その人のことを考えると、「病院か福祉のケースワーカーさんにつなぐ、付き添う」くらいしかできないんだけど、「そもそも医療や福祉を信頼してない」から友だちに頼る、っていう人も当然いました。

ただ、「医師や福祉の担当者と揉めた」人だって、その人の話を聞いただけでは、良し悪しを判断できるわけでもないし、もちろん鵜呑みにするわけにもいかないから、どっちの立場も聞けず、情報もないのにSNSなどで「親切に話を聞く人」になるのは、とても危険だと感じました。

しかし、その悩みを抱えた人の言いたいこともわかるのです。大体、お医者さんやケースワーカーさんに相談して「ひどい対応をされた」と傷ついて「公的機関は信頼できない」というイメージを持ってる人が多すぎるんです。

実際にぼくたちがじっくり聞いてわからない問題を、おそらく「お医者さん」に話をしても、診察室のなかで悩みは解決出来るわけではないし、素人がじっくり話を聞く時間よりも、医師の持ち時間ははるかに少ないです。

ぼくが医師の立場でも、とりあえず「短い間でも効果的なアドバイスを考える」ことと、「薬」と「福祉への紹介」くらいしかできることがないじゃないか、と思いました。

実際、そういう人が毎日何十人も押し寄せて来て、入れ替わり立ち替わり悩みを言ってきたり、症状を言ってくる状況で、先生は診察室に座っていなければいけない。自分が精神科の先生になった状況を想像してみたら、もう「患者よりも自分の健康状態を気にしないといけない」くらいストレスが貯まるし、逐一覚えていられないよね、と思いました。

そうなんです。

ぼくは、「一人で元気に暮らすこと」そのものは、前の先生のおかげでできるようになったけど、「人間関係」とか「就労したあとなぜか倒れる」とか「精神疾患以外の問題もあるんじゃないか」などという、以前の問題よりさらに複雑化した問題がでてきた時、その解決方法を先生だけに相談しても、先生一人では答えが「ぱっ」とわからない事が多いのです…。

実際「会社行くとふらついて倒れる」なんて言ったら、「神経内科の紹介状出そうか」って言う解決策になっちゃうし、それはそれで正しいのです。

しかも「友人」と違って、先生には「先日のあなたの治療を良く考えたんだけどさ…」なんてことはありません。他の患者が押し寄せてきて、一患者の悩みはそのあと先生の脳内から消えてしまっているからです。だから、多分、また同じことを言っても、同じ答えの繰り返しになるんじゃないか、と思います。

だから、ぼくも患者として、「医療が全部なんとかしてくれる」というイメージは、ほんとに捨てなければならないと思いました。医師が処方してくれる専門的な「薬の名前や効能」をいくら覚えても自分にできることは増えません。医師の指示通り飲んだ方がいいですし、医師もそれを前提に次回の診察をします。

むしろその後の自分の状態や「これからゆるめる筋肉の名前」を覚えたほうが、まだ「自分でできる」ことが増えるのです。でも「薬」の名前は長くて覚えにくいにも関わらず言える患者さんが多いのに、筋肉のことをわかる患者さんにであったことがありません。

それこそが、大きな問題だと思います。

私たちは「目の前の医師だけがすべてなんとかしてくれる存在」と錯覚させられているのです。本当に患者が考えなければいけないのは、「医師に相談したいこと」ではありません。

「そもそも医師は短い時間で何を知りたいか」
「医師が出来ないことは何か」

という「そもそもの前提」のほうだと思います。そして医療機関も、「できないこと」や「ここは患者さん自身が学んだり、判断しなければいけない」ことがあるのを、事前にはっきり「心構え」として説明しません。ミスマッチそのものが減るのではないか、と思っています。

4.友だちに頼るのも「大悪手」

じゃあ他の人がなんとかしてくれるのか、身近な友だちなら気軽に相談してみようか、と考えるのも自然な気持ちです。ただ、友だちに相談すのも、場合によっては「大悪手」だと思いました。確かに相談しやすさはあるし、ちょっとした話くらいで心が晴れるなら、友だちに話すのはいいと思います。

ただ、「家で妻が暴れてるんだけど…」みたいな、もう専門家しか対応できないような状態になると、もう「相談でなんとかなる問題」ではないですよね。

ここまで極端な例ではなくても、だいたい精神科の病気の原因は、親だったりトラウマだったりいろいろ。友だちの力だけではどうにもならないことが多いです。

わたし自身、「妻が暴れてる」ときは、身内はまったく頼りにならないし、妻自身が、「友だち」は受け入れるけど「医師や福祉の支援者は絶対嫌だ」と言って譲らなかったし、そもそもわたしが「専門家に相談する」ということも完全に拒否され、電話すらできなくなってしまっていました。「なんか理由をつけて入院させられる」と思っていたのかも知れません。

しょうがないので友だちをたくさんつくろうと思い、実際、多くの方からよくしていただきました。ただ、やはり「専門家」ではないのでうまい解決策がでてくるわけではないです。かえって多くの方に多大なご心配とご迷惑をおかけする結果になりました。他の方にとって、重症の方の心配をしつづけるのは、「負担が重すぎる」可能性が高いです。

結局、身内である僕が「かぶる」しかないので、妻はそのまま5年間、夫である私が「自分のしたいことを犠牲にして自分が言いなりになるしかない」という状態になっていました…。気づいたらその自分も「増えていく借金と、増えていく体重で命が危うかった」となり、今ごろですがほんとにぞっとしています。

いまぼくは、「友だちは必要ない」とは言わないけど、意識して「誰にもなにも相談しないように」しています。

ほんと最悪「友だちなんてもう一人もいなくてもいい」くらいの覚悟でいます。新規の友人は全く受け付けていないし、Xもやってないから誰が見てるのかもわかりません。

ぼくのことをわかってくれたり、価値観があう人って、そもそも数が少ないです。それに加えて、同世代の友人がいたとしてもみんな40代だから、「自分の家族や生活」があります。そこに「友だち」として入っていくのは難しいと感じます。

また、これから新しい人と関係を築くのは、さっき言ったような理由で、「自分が相手に迷惑をかけるか、逆に相手から迷惑をかけられる」可能性を考えてしまいます。ほんと私の場合人間関係の構築が下手なので、「自分なりのルールができるまで」交流を見合わせております。

いまは、既に気心が知れているごく少数の方としかやりとりしていません。

身内なんてもっと大変です。

僕の親世代は、こんなに精神疾患が流行ってる時代をそもそも知らないです。病気そのものへの理解がないですし、「相談されてもわからない」です。だいたいピンボケの「がんばれ」を言われるか、「いやーこの子どうなるんだ?」と逆に不安にさせてしまうか、アドバイスを求めた結果、じぶんが傷つくということのほうが多いことは常識です。結局、相談しなくなってしまいます。

5.友だちには打ち明けず、むしろ専門家と友だちのように付き合う

だからといって僕は孤立しているわけではありません。

ぼくが「愚痴をこぼしたり、悩みを打ち明ける」のは「仕事として、日々精神疾患と向き合っている」人に限っています。福祉の方や、相談員の方、お医者さん、変な話、助手の方も全員含めています。

医療関係者なら「そもそも病気のことを理解していない」ということはないし、何を打ち明けても守秘義務があるので、外部に漏れることはないです。実際、今の病院の方は、電話に出たら「あ、どうも◯◯さん」とその人の名前を声で判別できるくらい、関係が密です。

あとは区役所の障害担当の方。

もともと妻がいるときから、たくさん妻の問題について危険を訴えてきたつもりだったのですが、だいたい「妻が大変」という話ばっかりで、先方には「僕がどうしたいのか、ほとんどわからない」状態だったそうです。

後から聞くと、「そもそもこの人は、なんでこんなにたくさん本を読んでいて頭が切れるのに、何か、基本的なことを理解できてないと感じた」と仰っていました。

そうなのです。危険なのは妻ではなく、「妻のことを相談している僕」だったのです。

はじめて電話で区役所の方に「自分の悩み」として、今後の希望や展望を打ち明けたことがあります。そしたら障害担当の方が、「あ、西巻さん、やっと「自分自身の問題」でSOSを出してくれた」と思ったらしく、意気に感じていろいろ世話を焼いてくれたのです。

区役所のケースワーカーさんから「西巻さんが西巻さん自身の悩みを訴えてきてくれてうれしかった」と仰っていただいてから、なんか「理解者が増えた」気がしました。特段、何か普段から時間をとって話している、というわけじゃないのですが、話のついでに「いやー、この本の面白かったですよ」みたいな意見交換や、好きな音楽の話もするようになりました。

ですので、事あるたびにぼくは、主治医の先生を始め、自分に関わる医療や福祉の関係者の方には、「自分の意見」をぶつけて、積極的に友だちのように振る舞っています。ときには「相手の心配」もします。下手すると専門外の方に短歌の出来栄えも聞いちゃうかも、っていう勢いです。

専門家の方も仕事でやっているとはいえ、中身は人間だし、仕事だったとしても「その人それぞれの仕事へ向き合い方」や、「日常生活での気づきや経験」があります。「西巻さんの話も勉強になる」し、「職員さんの話も勉強になる」とお互いが対等でそれぞれメリットがあったほうが、絶対にいいはずです。

いちばん大事なことは、「お互いに知っている」なら、受付で「あなたが判断してください」なんて放り投げられることが、そもそもないことです。
むしろ「他の医療機関に変なこと言われたら駆け込んじゃうぞ」という気持ちでいます。色んな人が自分の周りにいるけど、「相手が仕事だから」助かることもあるんだな、と思いました。

※ほんと残念な矛盾ですが、「頼り方がわからない人」が増えています。

周りに仕事仲間や友人がいても、誰にもなんにも言えず、いわゆる生活保護も相談に一回言っただけで二度とはいかず、家でひっそり「餓死」していて、その横に「助けて」と書いてあったというぼくにとってはかなり衝撃的な事件がつい最近起こりました。

とうぜんながら、「悩みを打ち明ける勇気」や「自分をさらす覚悟」を持っている方ばかりではないのです。

ただ、「周囲も相手を気にかける余裕がない」みたいな状況は絶対に良くないです。それこそが「社会」に裕がなくなっている証拠なのだと思います。

終わりに


最後に、みんなわかってるようでわかってない「世の中の常識の変化」について二点指摘と考察を提示して終わりにします。

・「運動したほうがいい」は危険


私は「運動」が嫌いです。運動部でもなく、運動には嫌な思い出しかないです。

もともと着替えるのも遅いし、歩き方や走り方もおかしいし、同級生からは「笑われた記憶」しかありません。ですから事あるたびに、

「運動したほうがいいんじゃない?」

というアドバイスを受けると、「走る姿や着替える様子を笑われたりして嫌な思いをするんじゃないか」という嫌な記憶が思いだされてしまいます。

「運動って何をするの?」と聞くと、だいたいこう答えられます。

「散歩はどう?」

…。(来た)…。

散歩って、「散歩するぞ」と決めて散歩する人はいるんですかね…。もしどうしても散歩しろと言われたら、「ひとり修行だと思って散歩する」自分の姿しか思い浮かばないです…。楽しくなさそう…。

さらに僕の場合姿勢も悪かったし、走っただけで靭帯損傷するくらい体が硬いです。全身が凝りに凝ってる状態で「散歩」なんてしたら、歩いた衝撃のが膝や腰にそのまま来て、絶対に足腰を痛めると思いますし…。

「効果がある散歩は1日最低30分以上」と専門家の方は口を揃えておっしゃいます。それなら、なんにも準備せず30分歩くデメリットも考えたほうがいいのではないでしょうか。

「じゃあ筋トレはどう?」

…この動画をみてください。


ぼくももう中年です。いきなり運動してない中年の初心者が「筋肉をつけよう」とひとりでジムなんって言ったらかえって危険だと思います!

ほんとうは「運動したら」なんて気軽に人に勧めてはいけないのです。

運動が嫌いな人ならなおさら。きちんとした科学的根拠に基づいて、具体的なアドバイスをしなければその人に嫌な思いをさせるだけですし。

ただ、私たちは、学校時代から「運動以外で体を動かした経験」しかないです。だから運動するのが「唯一の体を動かす方法」みたいな錯覚をしているだけではないでしょうか。それを健康的だという常識がまかり通っているなら、常識こそ「科学的」ではないと思います。

文学の話以来、なんか科学、科学って言ってますが、みんな錯覚や気分や雰囲気で、人にぼわぼわーっとしたアドバイスしかできないから、むしろ危険です。

ぼくは「自分での自分の体を動かす作業」を、「調整」とか「セルフケア」って読んでいます。「鍛え」たり、「無理に体を動かす」要素は全くありません。やりなれると、気持ちよかったり、リラックスするものばかり。

実際、こりに悩んでいる人がほしいのは、筋力や運動量ではないです。何よりも柔軟性や可動域がほしいのです。「鍛える」イメージとは全くニュアンスが異なります。

・医療は「一部が」進歩している

たしかに明治時代と比較するまでもなく、もっと、新しい歴史を振り返っても、昭和初期とか、自分の父母や祖父母が生まれた時代と、現代(令和)を比べてみれば、医療は進歩したかも知れませんし、平均寿命は伸びているのが事実だと思います。

しかし「医療」も均等に進歩したり発展したりしているわけではありません。よく私のおばあちゃんは「頭痛がする」といって、こめかみに梅干しを貼っていました。そういうものは「民間療法」みたいなニュアンスで次々と非科学的というレッテルが貼られ、私たちはほぼやらなくなりました。

その「おばあちゃん」たちもいまは同居はしていません。とにかく別居が前提で、身近に相談する家族ではないです。現代では「父と母の二人だけ」で「核家族」を形成するのが常識です。あとはシングルの人とか。とにかく、子供を育てる人数が減っているのです。

しかし、仕事の負担や子育ての大変さの量は、会社によっては増えていたり、「残業は当然」みたいな習慣もまだ残っているようです。

残業はなくても、僕がやった仕事でさえ、いきなり怒鳴られたりとストレスは相当なものでした。この状況で「子育て」までやってたら、ほんとストレスばかりなんじゃないかと思います。

結局私たちの時代は、二人かそれよりもっと少ない人数で子育てや仕事を分担し、さらにこどもに質の高い敎育を受けさせるために貯蓄したり、庶務をこなします。近所付き合い(外交)も、家事も何もかもやらなければなりません。

とにかく「仕事には穴を開けられない」「他の人は頼れない」というプレッシャーのなかで、みんな懸命に暮らしているように思うのです。

何かあった時、「命に関わるような医療」は確かに進歩したけど、「精神疾患にならないためのストレスの対処法」や「病気になってしまった後の回復法」などはあんまり進歩していません。

現代でも「風邪」は直せませんし、うつ病になっても「社会復帰する時間」は与えられるけど、「病の辛さを軽減したり、再発を防止する知識や技術」はまったく与えられないに等しいように思います。

「梅干しを貼る」ことを非科学的だといって退場させた医療が、片頭痛になったときに「頭痛薬」以外に提供するものがあるのでしょうか。

実際「梅干し」にはまったく害はないです。しかし、頭痛薬は繰り返し服用すると効かなくなるし、さらにひどい頭痛を招きます。

社会の変化を埋めるような形で医療が進歩していないのです。実際肩こりなんて、「技術の進歩」というより「治療体制そのもの」を変えればいいだけの話じゃないかと私は指摘しました。こういう「病気を初期で食い止めるための支援」はとても「遅れている」し、時代の変化にあわせて「医師が患者に伝えるべきこと」もまったく整備されていません。過去とは違って「ストレス関連疾患」が致命傷になるのに、対策は遅れています。

確かに手術の技術や、救えない命を救う確率は上がったでしょう。手術で命が助かって感謝されるのは外科医です。一方、手術にならないように予防したり、意識を高めたりする地道な作業は、即効性がない分、気をつけている人意外には、まったく顧みられません。

本当に技術の進歩が社会の役にたっているか、真剣に検討すべきだと思います。まさか一番肝心な「実学」の分野で、文学よりも「医学の進歩」が全く社会の役にたってなかったなんてことはないでしょうね…。

ということで、長々と語りました。

次回はこのテーマ、「実践編」を取り上げますので、よろしくお願い致します。

ではまた!

Photo by Solen Feyissa via "Unsplash"


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