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「体験談」を伝えてみよう


初めてのゲスト役

株式会社 Omitas – ちょっと、もっと。Omitasさんに訪問して
私の体験談をお話ししてきました。

事前にスタッフの方と打ち合わせをさせていただいたり、
参加している友の会「大阪北部脳損傷の会」にも
直接、遊びに来てくださいました。

それでも、初めての訪問で不安だったんですが、
数日前には丁寧なメールをいただき、安心して
訪問させていただくことができました。

本当にお心遣いのある会社です。

就労継続に悩んでいた頃の自分に向けて


話しを聞いてくれた方は

就労準備をしている20代〜50代の方々。

発達障害があったり
社会でうまくいかなくて、引きこもりになったりしたけど、
就労を目指して勉強している方たちです。

コミュニケーションが苦手だけど、
全く話せないわけでもない。

初めての私の90分間のお話しを、ずっと興味を持って聞いてくれました。

~自立して社会に~

それはとても尊いこと

がんばれって応援したい
だって、みんなまだまだ、素敵な未来が待ってるんだから!

それを言葉にせずに伝えたい

だって、
あの頃の私は、何を言われても辛かったから

10年前に事故に遭ったこと


今だから平気な顔で話せるけどね・・・

交通事故で歩行中にバスに轢かれて、救急搬送された

頭や顔を強く挫傷し、脳も損傷した
身体の胸から上と、膝から下の骨がバラバラになり、
手の指は飛んでしまった

顔は紫に腫れ上がり、親も本人だと分からなかった

ショックで心臓から血栓がとび脳梗塞を発症
意識不明の重体のままの10日間だった

気がついた時には、
事故の当日から全部記憶になくなっていた

チューブで繋がり
身動きできない身体で
天井と旦那の顔だけが見えた

「もう大丈夫だよ」

「は?何言ってるの?」
そう思いながらも朦朧とまた眠った気がする

気がついてからは、

初めての経験ばかりだった

物体になった私


チューブで繋がり、
点滴3本
心電図、呼吸器、その他いろんな計器に取り囲まれて
四六時中、
生命の危機をアラーム音が警告していた

身体の向きを変えることもできず、
ただ、天井をみて、
担当のナースが交代するのを見おくる毎日だった

食べることも出来ず
手も伸ばせず
言葉も話せず
身体や顔を拭くことも出来ず
排泄も人の手を借りなければならない

何も出来ない
ただのヒトカタの物体だった

ICUの部屋は
窓もなく、一晩中電気も付いている

1日に30分だけ、
家族が2人だけ面談できる

心臓や脳の検査で
数値が落ち着くまでは
骨折の手術ができない

そんな状況なのに、どこか楽観的だったのは、
強い痛み止めのおかげだったのか?
頭が変になっていたのか?

泣くこともなく、暴れることもなく、
何の欲求もなく、ベッドの上で横たわっていた

時々、ひどい痛みでナースコールを押すと
すぐに注射をしてくれてた

ICUの中で1ヶ月半を過ごして、
ようやく、
回復期病院へ転院

それまでは、
何もしてはいけなかった
のに

突然、
なんでも1人でやりなさいと言われる

まず、
初めてベッドから車いすへの移乗

鎖骨や手首の骨折で両手に力が入らないのに

これからは車いすに乗れなきゃ生きていけないだろっ!」って

整形外科の先生に怒られたり

←これを聞いた脳神経外科婦長が激怒して
 整形外科に言いに行ってくれました!

毎日、痛みに耐えて、
リハビリや生活に立ち向かって
半年間の入院生活をした

1番辛かったのは

体の痛みは、
まだ我慢できたけど

言葉がでないのは、
人にも説明ができなくて

ずっと、ずっと、
どうすればいいのかわからないまま、
退院することになった


もう元には戻れない

いや、少しでも戻りたい


なんとかしたいけど、
どうしたらいいのかわからない

毎日が無意味に過ごしていく

負けたくない

何も悪いことしてない
ずっと真面目に生きてきた

一度の失敗で、何もかも無くなってしまうの?

事故なんかに負けたくない

障害者になっても配慮をもらえば
職場でも何か役に立てるはず

だから、

絶対に負けたくない

それでも話せない

毎日、毎日、
言語聴覚士さんから教えてもらった教材や、
新聞や、ネットで検索して調べた資料で
自主練習していたけど、

思うように話せない

やっても、
やっても、

途中で言葉がでなくなる

気づいたら、涙が出ていた

ダメだ
ダメだ

脳を損傷したら、2度と治らない

いくら頑張っても、戻れない

脳を騙したらいい


泣きながら、自主リハビリ練習している私の横で

当時、高校生だった息子が言った

泣きながらリハビリしても
 よくならないよ。

 お母さんみたいに、
 もうダメだと思ってリハビリしたら、

 脳だって何も出来ないって思って、
 いつまでも言葉も出てこないよ。

 もう治ってるって
脳を騙したら、勘違いして
 喋れるようになる
んじゃないかな〜」

!!!!!

「もしかしたら、治ってるのに、
 ダメだって思ってるだけかもしれないよ~

 まぁ、それはないと思うけど、

 でも、いつかよくなっていても、今のままじゃ、
 ずーっと話せないままだよ~

 だって、脳がダメだって思ってることは
 出来ることでも、脳がそれをとめるから。

 それよりも、楽しいことして、頭の中がわくわくしたら
 キラキラして、神経の経路もつながっていくんだよ~」

!!!!!!!!

真っ暗なトンネルの先に光を感じた


この言葉に、目が覚めた。

それまでは、
うつ状態だった私は、毎日、薄暗い部屋で電気も付けずに
泣いてばかりしていた。
どこ向いて歩いたらいいのかわからなかった。

大きな壁に囲まれて、目の前に色がなくなり
与えられたリハビリをするしかできなかった。

でも、
その日から、庭にでたり、花をいけたり、するようになった。
生活が少しずつ、落ち着いてきて、笑えるようになってきた。

まだまだ、就労までには至らないけど、
ようやく、トンネルの先に光を感じて、歩き出すことができた。


でも、
その時はまだ、「普通に働く」ことの辛さを知らずにいた。






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