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#61 幼少期のお話

こんにちは、hanacoです☻
「自分史」を書こうプロジェクト(勝手に命名w)
早速、第一弾です。

思い出せる限りの幼少期(未就学児)の記憶だったり
自分こんなことしてたな~って思うことを書きます。

良ければお付き合いください!

生まれは母親の里帰り出産

私の親は地方の出身で、長女である私も
親の出身地で生まれました。
両親とも同じ県です。

生まれてすぐ、こっちの今住んでいる場所へ。
父親が大学からこっちに出てきてるから。
(身バレ防止のため何処かは書けません。笑)

まあいわば親の出身地が田舎で、
住んでる地域はわりと都会。というイメージで。

今回は、小学校入学までの幼少期のお話。
どんなエピソードや思い出が蘇ってくるかな。
私も楽しみです!

わんぱくだった幼少期

子どものころを思い出した時、
みなさんはどんな幼少期を過ごしましたか?

今思うと私はとても周りの環境に恵まれていたなと
思います。たくさんの大人からの愛をもらってた。

そして自由気ままに過ごせてた。

私の幼少期の印象です。
テレビを見ながら歌いだしたり、踊りだしたり。
家の中ではしゃぎまわって、台所のキッチン用品を使って
遊んでたり。過去の写真を見ると、覚えてはいないけども
確かに笑って過ごす私の姿がありました。

とても活発で元気で、やんちゃで、いわゆるわんぱく。

本当親に感謝ですよね。

ふたつの幼稚園に通いました

おそらく私の幼い記憶で一番古いのは
幼稚園児かな。

まだ保育園より幼稚園に通う同級生が多く
2年保育だったこともあり(年少組は少なかった)
年中、年長とそれぞれ違う園に通っていました。

なぜ違う園に?引っ越しの関係です。
年中は父親の会社の社宅にいて、そこから通園。
年長はマンションに引っ越して、市をまたいだため
転園となりました。今の実家のあるところです。

私は、年中の頃過ごしていた社宅、幼稚園、
まわりの同級生(というか幼馴染?)が大好きでした。
できれば引っ越したくなかったなぁという気持ちもあります。
しかし、仕方がないですよね。大人の事情もあるし。

引っ越した後の話は、また別の記事になりそうです。

幼馴染と呼べる男女複数の友達は、赤ちゃんからの
お付き合いだったとか。母親が通うような場所で
知り合ったようです。児童館みたいなところ?

気づいたら当たり前のように集まって遊んで。
子どもって恐ろしいですよね(笑)
誰でも仲良くなって遊べる関係。
大人になったら中々ないよ。

母親同士も仲良くて、大人になった今でも
年賀状のやりとりなんかもしてるくらい。
子どもたちもわりと自由に生活してたなぁ。
楽しかった記憶しかない。

近所に、ひとつ上のお姉さん的存在の人もいて
よくお家に呼ばれて遊びに行っていました。

そこで印象に残っているのは「プリンセスごっこ」
お姉さんの家にある衣装を着させてもらって
お姫様の恰好をさせてもらいました。

当時スタジオアリスなんかも珍しい?
(我が家では無縁でした)
衣装なんてお遊戯会くらいのイメージだったから
当時の自分からしたら嬉しかったな。

あと、アラジンを見たりしてディズニーの
影響を受けたのもお姉さんかも。

それから、実家でもアラジン、メリーポピンズ
などなどディズニー系のビデオが増えたな。

ところで私はいつからディズニーが好きだったんだろう。

そんな幼いころからではないはず。ま、いっか。


そんなこんなで私の年中時代は本当に楽しかったんだ。

環境が大きく変化した年長

前述した通り、年中と年長の間で引っ越しを経験しました。
隣の隣?くらいの市への移動。同じ県内です!

最初、幼かった私は引っ越しにワクワクしていて
別れというのが、あまりうまく伝わっていなかったように感じます。
いつでも会えると気軽な感覚。

でも、別れてからしばらくは年1回などで会ってたけど
大人になってからは全然だな。むしろ連絡先知らないし。
みんな、どうしてるんだろう。

引っ越し前、1月17日の阪神淡路大震災が起こりました。
早朝に目が覚めて、段ボールなどがぐらぐら揺れて
タンスもガタガタいって、親がおさえていた記憶があります。

関西は遠い方なのですが、それでも朝の出来事は忘れません。
どのくらい揺れたかまでは記憶があいまいですが、
段ボールやタンスがぐらぐら揺れたのと親の動揺が記憶にあるから
普通の地震ではない、ただ事ではないことは記憶からわかります。

それから、新しく親が購入した新築マンションに行って
下見をしたり計測をした記憶もあります。
引っ越し当日も、部屋の中ぐちゃぐちゃのまま
ごはんを食べたりした記憶も今蘇ってきました。懐かしい…

きっと引っ越しても変わらない生活が続くと思ってました。

しかし、違うますよね。

新たな出会い、違う環境。でも若いから影響なかった笑。
気づいたら自然と仲良くなれて、不便には感じてなかったな。

幸い同じマンションに同世代の子たちが引っ越してきて
こども会(後に小学生で入る登校班などのこと)も賑わってて
同級生は7~8人くらい居たかな。途中引っ越した子もいるけど。

だから、友達つくりは苦じゃなかった。
引っ込み思案で慣れるのに時間がかかるタイプではなく、
すぐに打ち解けられる性質。父親ゆずりだったのかも。

年長も違う園に通ってたけど毎日楽しかったな。
当時流行ってたセーラームーンごっこしたりして。

ただ、年中の時に過ごした幼稚園はそこそこ自然派で
アスレチックなども充実していた分、

年長の幼稚園は園庭が狭くて遊具に対して不満あったような。

ここで思い出したのは、年中の時、幼稚園で死んだもぐらを
発見したこと。周りのみんな興味津々でのぞくの。
きっとそのときの光景を思い出せる自分も興味津々だったんだろうな。
幼稚園の先生に、もぐらは日光を浴びるとだめなんだよと
言われた記憶がある。

また、家で鈴虫を買ってた!近くのタバコ屋のおばちゃんかな?
もらって育ててたり。たまに社宅近くにくるパン屋さんか
豆腐屋さん?に買い物に行ったり。
カセットテープで繰り替えし音楽を聴いたり。

思い出せば、出すほど、でてくる。

このころの記憶は本当に楽しかったことしかない!

唯一しばらくトラウマになってたのは、
電車のドアにはさまったことかな。

目の前で急に電車のドアが閉まって、中には母親と
幼い妹が乗っていて、先に乗って自分もと足を踏み出したら。
それで勢いよくドアに駆け込んだら、挟まった。
お腹のあたりを、自分は四つん這いみたいになって。

それで大声で泣いたら、電車に乗ってた大人たちが
椅子に座ってるところ勢いよく立ち上がって
大根抜きのように私を引っ張って抜いてくれた。

そしたら、知らないおばさんに椅子を譲ってもらって
横になった。お母さんを責めたな。

それから、小学生くらいまで、夜になると変な夢で
思い出す。軽いPTSDだったのかな。
臓器とか体の中は大丈夫だったかなとか思ったりして。

病院に行った記憶もないから様子見られてたのかな。

当時の母親も幼い2人の子育てでいっぱいいっぱいだったんだね。

母親からしたら、たまに電車にはさまったことの話をしても
反応なかったり。え、覚えてないの?忘れたの。
私がはさまったこと。大事だよね???!と思ったり。

きっと幼少時が楽しかったのは、母親から直接愛情をもらえた
時間をかけてかかわってもらえた記憶が強いからかな。

私が小学校にあがってから、鍵っ子となり、母は働きだしたから
寂しい気持ちや構ってもらえない気持ちが強くなったのかも。

自分でもそうならないようにしようと思いつつ、
そういう風に育てられたし長年過ごしてきたから、どうかな。

キリが良いので、次に続く。

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