【ミステリ小説】セイレーンの謳う夏(9)
(本作の短編バージョン「夏の終わりのマーメイド」は完結していますので、ラストを知りたい方はぜひ! )
(あらすじ)民宿兼ダイビングショップ『はまゆり』でバイトする(顔のない)ぼくは、お客さんが不思議な生き物と遭遇したことを知る。
『はまゆり』美人姉妹の妹、夢愛(ゆめ)さんは鋭い推理力の持ち主。ぼくはそんな夢愛さんが、駅前で男と言い争うのを目撃する。
八月の最終金曜日午前――
翌日の金曜日は、龍ヶ崎で行われるダイバーズ・フェスティバル準備のためぼくらは、「遊泳監視」、「水中ゴミ拾い」、「駐車場の整理」のどれかを担当することになる。
物語は、3つに別れたぼくの視点で語られる。
「遊泳監視」を担当したぼくは、龍ヶ﨑突堤に駐まっている不審な車を調べに向かう。
『カモメ荘』バイトである「もーやん」と共に車のところに行き、車内に倒れている人を見つけた。
しかし、救護員を連れて車に戻ると中の男は消えていた。
「水中ゴミ拾い」を担当したぼくは、自分の病気である「相貌失認」について思いを馳せる。
潜りながらゴミ拾いするぼくの耳に、携帯プレーヤから助けを求める声が聞こえ、ぼくの目の中に、人魚の姿が飛び込んできた。
くじ運の悪いぼくは「駐車場整理」に割り振られた。
その後夢愛さんと遭い、モノフィンを使って海を泳げば、脚の悪い夢愛さんでも、短時間で湾を行き来できるトリックを見抜いた。
3つの視点から得られた情報から、物語の謎が解かれていく。
8月最終金曜日、ぼくは夢愛さんに請われて、彼女のお母さんの
お墓参りの運転手を務めた。
その帰り道、竜ヶ崎神社に立ち寄ったぼくたちは、UFOを見た。
5 人魚とドローン
本当にUFOのような飛行物体が、神社の森の中でホバリングしている。ドローンだ!
対比できる尺度となるものが近くになく、大きさに確信はないがやや大型で白く、空撮用の機体のように見えた。操縦者の視界の中にはいない。
「あっ、動いた!」
夢愛さんが声を上げると同時に、ドローンはやや傾いて境内の中に入っていった。
「あっちに行った。はやく追いかけて!」
なぜ、ドローンを追いかけるのか?
わからないまま夢愛さんに追い立てられて、ぼくは何段もある神社への階段を駆け上がった。
龍ヶ崎神社は海の神様である引手力命を奉ってあり、海上の安全を祈願した水軍や、漁師さんたちが絵馬や船形を多数奉納している。
近年ではダイバーが安全祈願のために訪れることもあるらしい。
神社の域地には伝説に彩られた龍神池があり、昨日三人娘が話題にしていたように伊豆七不思議に数えられている。
この池は濁った淡水で鯉や鮒が生息しており、海岸にありながら飲用の水が確保できる希有な立地条件であることから、室町時代から水軍の要塞となっており、砦跡の礎石が見られる。
駿河湾を隔てて、白い雲がまとわりついた富士の嶺を遠望することができ、景色も良い。
「確かに、ここらへんを飛んでいたよな」
独り言を呟きながら、境内の森の中を歩いて行く。
霊域だけあって、マイナスイオンが満ちているのか熱気が去って涼やかだ。麓にある龍神池を見ると、忌々しいことにドローンは池のほうに向かって飛んでいるのが見えた。
ぼくは階段を駆け下りて、夢愛さんにこのあたりで待っててください、と言い残して池に向かった。
龍神池は岬の軸線に沿った長径が百メートル近くあり、神社のある南側は遊歩道に面していて、護岸も整備されて鯉にあげる餌の自動販売機がある。
走り疲れてベンチに座ると、人慣れした鯉が群れてきた。ドローンはいったいどこに行ったのだろう?
そもそもぼくは、何でドローンなんかを追いかけているんだ。
ぼくは飛翔体の居た空域を追って、池を半周してみた。
北側は葦が茂って危ないため、金属製のフェンスを張って人が入れないようにしてある。池からわずか二十メートルほどで海に出た。
海側は防風林としてビャクシンの樹林があった。
古木になると、樹齢千年以上のものもあると言われ、ご神木とされる大樹はジブリのアニメに出てくるように太く幹が捻れ合って、神が宿っていても不思議はないと思えた。
樹林を抜けるとすぐに、大きな石が敷き詰められた海岸になる。
こちらのほうへ飛んでくるのが見えた機体は、どこかに消えてしまった。海岸には釣り人がひとり、釣り竿を持って佇んでいるのが見えた。
池の直径が百メートルということは、周囲は×πで三百十四メートルになる。
その距離を歩いてみたが、結局謎の飛行物体は見つからなかった。
夢愛さんは池の南端のベンチに腰掛けて、鯉に餌を撒いていた。
お客さんが少ないのか、久々のご飯を求めてがっついている鯉が、彼女の前に群がっている様はシュールだ。
置き去りにされた夢愛さんはどうやらご機嫌が悪いようで、ぼくを無視して鯉と戯れている。
「怒ってます?」
「別に怒ってなんかいないよ。置き去りにされたお陰で、鯉と遊ぶことができて楽しかったわ」
もともと彼女が追いかけろ、と言ったような気がする。理不尽だ。
「あー、喉が渇いた。置き去りにされたせいで、陽に晒されて喉が渇いたわ」
またわがままを言い始めた姫のため、ぼくはパシリとなってジュースを買いに走った。やれやれ!
「ドローンはどうだった?」
百パーセント濃縮還元ジュースの缶を渡すとやっと機嫌を直してくれたようで、ぼくの首尾を訊いてきた。
「それが……」
面目ないことに見失いました。と言うと、
「役立たず!」
理不尽な姫君にお叱りを受け、何故かほっとする。ぼくはマゾか?
ふとデジャブを感じた。
そう言えば、まぁちゃんが言っていたっけ。UFOの目撃談が近辺の民宿のホームページに載っていた、と。
この付近で相次いで目撃されたドローンか。
「わかりました」
ぼくはおもむろに言った。
*
あの釣り人は、まださっきの海辺に佇んでいた。
「釣れますか?」
ぼくと夢愛さんが歩いて行くと、警戒するように体が硬直し、返事をしない。
かなり大きなクーラーボックスが傍らに置いてある。
相貌失認のぼくには判断が難しいが、思っていたよりも年配らしく、歳は三十代後半から四十くらいだろうか。
片足を引き摺っている夢愛さんに目を留め、その容貌にちょっと驚いたようだ。
鄙にはまれな美形なので、若い男のお客さんがよく見せる反応だ。
スマートフォンを片手にもっている。
「それとも、UFOを監視していますか? と訊いたほうがいいですか」
ぼくが言うと、唖然としたように身を引いた。こういう韜晦(とうかい)のしかたはもーやんに学んだ。
「UFOを監視対象としていますか? と軍関係者に尋ねたなら、当然彼らはイエスと言うでしょう。
UFOすなわち未確認飛翔体(Unidentified Flying Object)は、仮想敵の軍用機や、未知の自然現象を含め軍が監視するのは当たり前ですから。
尋ねたほうは、UFOを異星人の乗り物として訊いているのに対して、受け取る側の認識は違う。
深刻なコミュニケーションエラーというのは、意志の疎通ができないことではなく、同じ言葉を双方別の意味に使っているのに気づかないことから生まれるんです」
「なんなんだ。アンタ!」
釣り竿をもった相手は、身を守る武器のように両手に握りしめるが、体格が貧弱なので脅威を感じない。
「というわけで、そのクーラーボックスにドローンを隠していますね」
相手がボックスを隠すようにしたのが、何よりの証拠だ。
「なぜわかるの?」夢愛さんが尋ねる。
「臭いがしないんです」
「臭い?」
「釣りをやっている人は、餌に特有の臭いがするものですが、この人からはそれがないし、餌のバケツも持ってない」
サビキと呼ばれる仕掛けがこの辺りの釣りではよく使われる。
小さな網籠が先端にあり、コマセと呼ぶ撒き餌のアミエビを入れ、上部に針が付いた糸をたくさん仕掛けたものだ。
「ドローンを操縦してました?」
「ドローン? そんなもの、どこにある?」
「そもそも、この海岸は龍ヶ崎神社の境内地になっていて、釣り竿を持ち込むこと自体罰せられますよ。騒ぎは起こさない方がいいと思います。
安心してください。別に訴えたりしないので、機体を見せてもらえませんか」
相手はため息をつき、観念したようにクーラーボックスを開けてみせた。
中には固定具に括り付けられたプロペラのついた棒が納められていた。彼はそれを取り出すと、展開して十字型に広げた。
「実物は初めて見る」
夢愛さんが好奇心丸出しでのぞき込むと、釣り人は得意げにその無人機を取り出して見せた。
長さ五十センチほどの十字になった白い骨組みの端部に、プロペラが四基配置されており、その周囲に軽いポリスチロール製の黒いボディを取り付けると、フォルムが小型UFOになった。
中心部にはCCDカメラが埋め込まれた黒いボディがある。
比較的軽量なので風があればブレるだろうが、今のように無風状態ならばホバリングしながら撮影することができるだろう。
「釣り棹は、海や池に落下したときに回収するためですね」
「別に悪いことじゃないだろう」
相手は開き直った。
「付属のカメラで何を撮影していたかによりますね」
そう指摘すると、相手はわかりやすく動揺した。
「操作できるエリアは数百メートルくらいでしょう。ここなら開けているので限界距離くらいで操作できるはず。その距離の中には『ダイブショップ海猫』の更衣室がありますね」
夢愛さんが驚いたように言う。
「盗撮?」
「待ってくれ。それは誤解だ」
ぼくは苦笑する。
「憲兵に密告したりはしませんけど、これまでに撮影した映像は消去してください」
スマホを指さしてお願いした。
「どれくらいの時間、飛べるんですか?」
男は少しほっとしたように、答える。
「フル充電したバッテリパックを付ければ、十五分くらいいけるよ。やってみる?」
懐柔に出た。夢愛さんとうなずき合って、ぜひ、と答えた。
男がいそいそと準備する。なんだかんだ言っても、観客の前で操作するのは嬉しいらしい。
バッテリパックを交換した機体は、音もなく静かにその場でホバリングした。
「この機体は特別に調整しているから、静かなんだ」
自慢げに言うが、それは盗撮にかける妄執の産物だ。
技術の発達を促すドライビングフォースとして、エロほどエネルギーのあるものはない、と工学部の教授が言っていた。
「スマホで操作できるんですか?」
ぼくもやらせてもらって、簡単に操作できることに驚いた。
「すごい。まるで空撮しているみたい」
「しているみたい、じゃなくて空撮してるんだよ」
彼が取り出した、B5サイズのタブレットに映し出される映像の美しさに驚く。
「HD画質だからね」
彼がスマホを操ると、ドローンはすーっと横滑りするように飛翔して、樹林のなかに消えて行った。
自然には見ることができない飛行様式で、知らずに見るとUFOと思うのも無理からぬところだ。画面には龍神池を上から俯瞰した映像が現れた。
「すごい!」
ぼくは素直に感心した。龍神池は聖域で誰も入れないので、このようなアングルから見た人はいないだろう。
「待って! もう一度今のところに戻って」
葦の茂る岸辺の映像を差して、夢愛さんが言う。
「あれは何?」
白い布のような物体が映し出される。
男は見えないドローンを巧みに操って、徐々に近づいていく。それが何かわかったとき、ぼくらは息を呑んだ。
*
ぼくは焦って漁協の事務所に電話したため、漁協からさらに所轄へ連絡が行って警官がやってくるまで二十分くらいかかった。
その場で事情聴取を受け、所轄署で同じ質問に繰り返し答えなければならなかった。
盗撮男は困った様子だったが、約束もあったので彼の目的は伏せ、単にドローンで遊んでいたことにした。飛行禁止区域ではないし。
盗撮男と夢愛さんとは別々に質問を受けたが、話しに食い違うところがなかったためか、木訥な巡査は明日改めて聴取するので来署して欲しい、と言って夕刻には解放してくれた。
疲れていたのか、『はまゆり』に帰ったとき、車の横を駐車場の壁に擦ってしまった。
夢愛さんに叱られながら食堂に入ると、意外にも『はまゆり』のほうでもみんな総出で外出している、とのこと。
「ダイバーズ・フェスの前夜祭に行ったのですか?」
居残っていた永遠さんに尋ねると、「いいえ。それがね……」
口ごもりながら、どう説明しようか迷っているようだ。
ちょうどそのとき、店長を先頭に御子柴さんとまぁちゃんやキャリーが、ぞろぞろと帰ってきた。
みな疲れた顔をしている。
「野々宮さんが消えちゃった」
「だれ?」
三人娘の三人目さんのことだった。「野々宮みさを」さんというのが本名だそうだ。
「午後のダイブには気分が悪いと言って参加しなかったのだけど、私たちが帰ってくると、どこにもいなかったの」
まぁちゃんが困惑したような声音で言った。
「なんだか、神社のほうが騒がしかったけど、事故かなにかあったのかな?」
「龍神池で溺れた人がいたらしいよ」
漁協の事務所に問い合わせをしていた御子柴さんが、入手したばかりの情報を口にした。顔色を変えるふたりに向かって、「彼女じゃないよ。三、四十代くらいの男の人だったらしい」
ふたりは一応、安心した表情を浮かべたものの、
「それは、野々宮さんの行方不明と関係ないんでしょうか?」
事故か事件かの判断がついていないため、龍神池の件に関してはまだ口外しないで欲しい、と要請されているぼくらは何も言えなかった。
(「セイレーンの謳う夏」(10)に続く)
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