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しゃぼん草の夏【ショートフィルムより④】

地球と異なる環境には、異なる生態系があったー


「おっと、片方のリールが残り少なくなった」そう言いながら映写技師が操作すると、切り替わりのタイミングがわからないくらい巧妙に、映像がもう一方の映写機のものに切り替わった。

「大したものだろう。最近はこんなことのできる映写技師は少ないんだよ」映写技師は得意げだった。「次の三つのお話は続き物だから、インターミッションはないよ」
 少女はうん、と頷いた。

      #4  しゃぼん草

 大佐が居を構える木造コテージの裏手にバギーを乗りつけると、予想通りナオミの白馬が繋ぎ留められていた。
「おまえも、彼女がご主人だと大変だな」
 ぼくは同情をこめて、鼻先を撫でてやった。

「なにが大変なのかな?」
 背後で澄んだ声がして、ぼくはどきりとする。
「困りますね、ナオミ。海洋調査の準備をさぼってもらっては!」
 慌てて言い募る。生物研究班の主任がIDチップさえ体内に埋め込んでいないなんて、誰も信じないだろう。おかげで彼女の所在を知るのは、ひと苦労だ。

「あら、もうそんな時間?」
 少女のような仕草にだまされてはいけない。これで惑星探査機構(PES)の主任にまでなった女狐である。それにしても今日の彼女は、長い黒髪に真っ白な綿シャツとチェックのロングスカートがよく似合っていた(これでどうやって馬に乗っていたのだろう?)。

「せっかく彼女がこの年寄りのためにパンを焼いてきてくれたのに、無粋なやつだな」
 海に面したバルコニーのテーブルに、赤ら顔で恰幅のいい大佐が腰掛けていた。
 大佐というのは通称で、実際に軍属だったのかどうかすら定かではない。
 なぜ彼が一次入植者のグループと離れて、ここにひとり住むことを許されているのか、ぼくは知らなかった。

 コテージは海を見下ろす小高い丘の上にあって、海峡を渡る風が火照った肌を心地よく冷やしてくれる。短い夏の始まりだった。
 バルコニーに向かおうとしたぼくに、ナオミが声を上げた。「踏まないで!」
 驚いて下を見たが、足元には雑草しか見当たらない。

「しゃぼん草よ」なんだ、という表情のぼくに彼女は付け加える。「実はしゃぼん草のフィールドワークを計画しているのよ」
「うそでしょ」
「うそよ」しれっ、として言い放つ。

 大佐がぼくらふたりに紅茶をふるまってくれた。
 彼はティーカップの中にどぼどぼとブランデーを注いでいる。赤ら顔なのはこのせいだろう。
「今年の密造酒は出来がいい」

 ナオミが焼いたパンは予想に反し美味だった。紅茶の甘やかな香りに目を細めつつ、彼女が言った。
「しゃぼん草の調査だけど、本当は満更ウソでもないのよ。ここにきて播種がぱたっ、と止んでしまったの」
 そう言えば、つい二、三日前まではふわふわと漂うしゃぼん玉をよく見かけたのに、今日はひとつも見当たらない。ぼくはコテージの庭に広がるしゃぼん草をまじまじと見つめた。

 

ソープ・ワート、一般名Saponarian

しゃぼん草(ソープ・ワート、一般名Saponarian)は人のくるぶしくらいの高さの小さな在来植物で、うす紫色のラッパ状の花弁がひとつの茎に数本ついている。
 通常花弁は、受粉のために昆虫を誘導する役目を終えると散ってしまうものだが、しゃぼん草の花は種子の成熟とともにストローのように中空になり、粘性の高い分泌液に種子を閉じ込めて夏の風にシャボン玉を飛ばすのだ。
 風に運ばれた種子は、シャボン玉が割れるとそこに新しい芽を根付かせる。

 しゃぼん草は風媒花だった。
 地球のタンポポが風に回るプロペラを選択したのに対し、ふわふわと空をただよう気球に、その子孫を託すように進化したのである。
 ぼくはしゃぼん草を見ながら言った。
「種子は成熟しているようですが、なぜ飛ばさないのでしょうね?」

「海洋調査のほうはいいのかしら?」
「そうでした」彼女のペースに巻き込まれていたぼくは、慌てて言った。「すぐに準備に掛かってください」
「止めたほうがいいな」大佐が話に割り込んできた。「ハリケーンが来る。海は荒れるだろう」

 ぼくは言い返した。「観測衛星からそのような情報は入っていません」
「お若いの」大佐は言い聞かせるように話し掛けてくる。「機械がすべてじゃない。年寄りの知恵にも耳を傾けるものだ」
 ナオミは思案するようだったが、「今日のところは様子を見ましょう」

 ぼくは驚いて彼女を見つめた。
「本気ですか? 根拠のない情報に基づいて調査を延期するなんて」
 大佐は心外だと言わんばかりに、「ハリケーンが来るのは本当さ。秘蔵のバーボンを賭けてもいいぞ」

「局長に報告しますからね」
 ぼくは調査船の係留作業を行いながら、ナオミに向かって言った。彼女はどこ吹く風、と言った顔で床を洗うための洗剤で指の間に膜を作り、器用にシャボン玉を飛ばせている。

「ふわふわしたシャボン玉も、それなりに考えているものよ」
 ふわふわしているのはあなたでしょう。
 その言葉を言い終える前に、ぽつりと雨滴が頬に掛かった。見上げると黒雲がもくもくと湧き出している。
「係留を急ぎましょう」ナオミが言った。

「管理局の落ち度じゃない」大佐は突然の大雨に逃げ込んだぼくたちに、バスタオルを手渡しながら言った。「今の時期は低気圧の発生が早くて、情報の更新が追いつかないのさ」

 窓を打つ雨滴の音が大きくなる。
 秘蔵のバーボンをお湯で割ったグラスを手で包み込むようにしながら、ナオミが大佐に目配せした。
「面白いものが見られるかもね」

 それから一、二時間ばかり大佐のかつての武勇伝を聞かされた後に、雨と風はやってきた時と同じく不意に止んだ。
「さあ御覧なさい」
 ナオミが正面の扉を開ける。

 扉の外の光景に、ぼくは息を呑んだ。無数のシャボン玉が、夕陽を受けてきらきらと舞っていた。

 ふわり、ふわり。ぷかり、ぷかり。

 しゃぼん玉は、種子を内側に秘めて、きらきらと夕陽を受けながら漂っている。目の前すべてがきらきらと輝く小さな浮かぶ球体に占められているのは、圧巻だった。
 しゃぼんは風になびいて、生き物のように一斉に右に左に揺れるとともに、虹のような輝きを放っていた。

「いま台風の目に入ったのよ。この一瞬のチャンスに、しゃぼん草はいっせいに種を飛ばしたの。どういうメカニズムかわからないけど、彼らはハリケーンの到来を察知して、シャボンを飛ばすのを控えていたのね」
 大佐がシャボン玉にグラスを捧げる。まるで敬虔な神に祈るかのように。

「ねっ、ふわふわとしたシャボン玉もそれなりに考えているでしょう」
 ナオミの声を聞きながら、ぼくはその不思議な光景に見入っていた。

#宇宙SF #SF小説 #ショートショート

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