【ミステリ小説】セイレーンの謳う夏(12)
(本作の短編バージョン「夏の終わりのマーメイド」は完結していますので、ラストを知りたい方はぜひ! )
(あらすじ)民宿兼ダイビングショップ『はまゆり』でバイトする(顔のない)ぼくは、お客さんが不思議な生き物と遭遇したことを知る。
『はまゆり』美人姉妹の妹、夢愛(ゆめ)さんは鋭い推理力の持ち主。ぼくはそんな夢愛さんが、駅前で男と言い争うのを目撃する。
八月の最終金曜日午前――
翌日の金曜日は、龍ヶ崎で行われるダイバーズ・フェスティバル準備のためぼくらは、「遊泳監視」、「水中ゴミ拾い」、「駐車場の整理」のどれかを担当することになる。
物語は、3つに別れたぼくの視点で語られる。
「遊泳監視」を担当したぼくは、龍ヶ﨑突堤に駐まっている不審な車を調べに向かう。
『カモメ荘』バイトである「もーやん」と共に車のところに行き、車内に倒れている人を見つけた。
しかし、救護員を連れて車に戻ると中の男は消えていた。
「水中ゴミ拾い」を担当したぼくは、自分の病気である「相貌失認」について思いを馳せる。
潜りながらゴミ拾いするぼくの耳に、携帯プレーヤから助けを求める声が聞こえ、ぼくの目の中に、人魚の姿が飛び込んできた。
くじ運の悪いぼくは「駐車場整理」に割り振られた。
その後夢愛さんと遭い、モノフィンを使って海を泳げば、脚の悪い夢愛さんでも、短時間で湾を行き来できるトリックを見抜いた。
3つの視点から得られた情報から、物語の謎が解かれていく。
8月最終金曜日、ぼくは夢愛さんに請われて、彼女のお母さんの
お墓参りの運転手を務めた。
その帰り道、竜ヶ崎神社に立ち寄ったぼくたちは、ドローンを見た。
ぼくはドローンの操作者が、盗撮を目論んでいたことを見破る。再度沼の上を飛ばせたドローンには、あるモノが映し出された。
事情聴取ののちに『はまゆり』に帰ったぼくらは、お客さんのひとりが失踪したことを告げられる。
失踪したのは、三人娘のひとり野々宮みさをさんだった。
翌日、ぼくと夢愛さんは駐在所に出向き、龍神池で溺死体を見つけた経緯を聴取された。
夜中に夢愛さんに叩き起こされたぼくは、もーやんも加えた3人で事件を検討した。
夢愛さんは、竜ヶ崎神社で見つかった男が永遠さんの元旦那であることを告げ、DVの前歴で接近禁止命令を受けていたことを知る。
8 人魚の歌声
八月の最終日曜日――
翌日の日曜日がまぁちゃんたちのツアー最終日だった。
三人部屋にふたり。必要以上に野々宮さんの不在を意識したのだろう。ふたりとも寝不足の顔で朝食に現れた。
龍神池は立ち入り禁止となったままだ。
周囲が広いため、テレビでおなじみの黄色のテープこそ貼られなかったが、看板が立てられて注意を惹いている。
鑑識の捜索により複数の足跡が見つかっているが、事件または事故に関連があるかどうかわかっていない。
加納氏の遺体が上がったあたりには、青いビニールシートが置かれていた。ダイバーが池の中を捜索していたが、少なくとも今のところ他に遺体が見つかった様子はなかった。
悪い予感を胸に、消化不良のままふたりを駅まで送る。
見送りのときも、ふたりは悄然として意気の上がらないこと夥しい。
「彼女の実家の方に寄ってみます」
実家にもまだ彼女からの連絡がない、とのことだ。キャリーのほうは社会人なので、翌日から勤めがある。
学生で自由のきくまぁちゃんが、実家へ荷物の一部を届けてくれるという。持ち運ぶには重いキャリーバッグは、宅急便で送り返すことにしていた。
「なにかわかったらすぐ連絡するわ。そちらからも連絡お願いね」
秋月さんが手を振りながら言う。
龍ヶ崎を嫌いにならないで欲しい、と思いながらふたりを見送った。
*
「ソーボーシニン(「相貌失認」のこと)」
小学生のぼくには、何のことかわからなかった。親が噂をしているのを聞きかじった頭の悪い子どもが、ぼくに向かって放った言葉だ。
学級担任が、彼を差別してはいけません、とご丁寧な解説を加えてくれたお陰で、翌日からぼくを欺すゲームが始まった。
別の子と上着を取り替えて、どれだけ長くぼくを欺いていられるか。
頭の悪いクラスメイトに腹は立たなかったが、担任のほうは未だに赦すことができないでいる。
表面を取り繕うことしか頭にない下司な奴だった。
歳をとるに従って、相手を覚えるために顔以外のマーカーを探す工夫に長けてきた。そのため、最近まで自分の認知能力の欠点を意識せずに済んでいたのだが。
例の如く『はまゆり』の中二階で鬱々としていたので、また夢愛さんに背後を獲られてしまった。
「スキあり!」
うなじに息を吹きかけられて、ぞくっとする。
「ノックしてください」
「自分の家なのに?」
今日の彼女はギンガムチェックの肩出しに、キュロットでガーリーな雰囲気。長い黒髪をポニーテールにしていると、歳下のように幼く見える。
「何してるの? また水中写真?」
けなしてやろう、とわくわくしている様子が見て取れる。ぼくの認知能力に遜色はない。
「野々宮さんの水中携帯プレーヤを、預かりっぱなしだったことに気づいたんです」
ぼくは夢愛さんに実物を見せた。
家事手伝いの頻度にムラがある夢愛さんは、今回のツアーに参加した三人娘とはあまり顔を合わせていないので、いまいちピンとこないらしい。
「呪われたプレーヤです」
ぼくは、この携帯を聴いていて幻聴に襲われたことを話した。
「MP3ファイルをこのPCにコピーしたんですが、聴いてみます?」
Macに接続したヘッドセットを差し出すと、夢愛さんは恐る恐るといった感じで手に取る。
彼女が耳に当てた瞬間、音量を最大にすると、びっくりしてヘッドホンを投げ捨てた。
そのあと、グーパンチが襲ってきた。
不覚なことに、夢愛さんとキャッキャしてるのが楽しくなっている。バイトはもうすぐ終わるというのに、こんなことで社会復帰できるだろうか。
「ちょっと気になることがあって」
「気になるよね。色のコーディネートががっかりだわ」
そうじゃなくて。
水の中だからか音が悪い。調べて欲しい、と言われたのだが。
水中の方が疎密波である音の伝播はよく、製品プレビューなどでも音質のよさが謳われている。
ぼく自身は、アウトドアに人工の音を持ち込むのは好きではない。
自然のなかでは、自然の音に耳を傾けるべきだと思うが、他人に迷惑を掛けない限り個人の趣味に容喙するつもりはない。
よく聴くと、あいみょんやエグザイルなど女子が好みそうな曲に混じってアニソン、ヒーリングにテクノ。バラエティに富んだ選曲だ。
そのすべてに、微かにノイズが被っているように感じた。
「楽曲のひとつの音源がわかったので、ソフトを使って元ファイルの音を消去してみたんです」
その結果、元ファイルに足されていた音が抽出された。ぼくはデバイスをスピーカにして音を流した。
――タスケテ。
――タスケテ。
ゆっくりとした語調で絞るような声が漏れてきた。男の声とも女の声ともつかない。
「なにこれ? 気味悪い」
夢愛さんが囁くように言う。
「サブリミナル音素が加工されているんです」
潜ってみるとわかるが、水中では低音は強調的に聴こえる。
「わかりやすく言ってよ」
「サブリミナル、知ってます?」
たしか映画館でポップコーンを売るコマーシャル。と答えた。
雑だなあ。夢愛さんらしい。
識閾下、意識と無意識の境界領域に刺激を与え、行動制御する方法。
サブリミナルと言えば、アメリカで映画のコマとコマの間に見えない映像を入れた実験を行ったことが有名だ。
夢愛さんが言ったのも、この話のことだろう。
これによって映画館でコーラとポップコーンの売り上げが増大したという話があるが、実はガセである。
実際はそのような実験は行われておらず、確実な効果もないらしい。
サブリミナル効果で細かな心理コントロールをするのは不可能、というのが現在の定説だ。しかし一人歩きを始めた疑似科学は発達を遂げ、視覚だけでなく音のサブリミナル効果もWEBを賑わせている。
電子聴覚麻薬、サイバー麻薬(i-doser)と、たいそうな名前が付けられた音源がWEBで話題になったことがある。
都市伝説のようなものだが、効果は自己暗示の導入手段程度に過ぎない。
昔から知られている雨音効果と同じで、単調な音の繰り返しが、羊を数えるように入眠手段として有効だということだ。
そういえば、アニメの明滅光で子どもが暗示に陥った事例が、メディアで有名になったことがあった。
ただ不安感を煽る程度の効果なら、充分期待できる。
心霊スポットと呼ばれる場所が、実は地下鉄や風洞などによる超低周波の発生場所だった、ということがあるように、低周波音は不安感を高める作用をもつ。
特にダイビング中に聴けば、効果は大きいだろう。
無重力に近い浮遊感の中ではトランス状態に陥りやすく、音の刺激に敏感になる。
音はその間にも流れ続けた。
タスケテ! オネガイ。
セイレーンの歌声だ!!
ホメロスのオデュッセイアに出てくるセイレーンは、船乗りをその美しい歌声で海に引きずり込もうとするが、主人公のオデュッセウスは耳栓で対抗する。
あまり知られていないことだが、セイレーンは自らの唄に惑わぬ者がいた場合、死ぬ運命なのだそうだ。
人魚姫と言い、海洋妖異譚に出てくる人魚は、その異能とのトレードオフで厳しい成果主義にさらされている。
ギリシア神話に出てくるセイレーンは、もともとは上半身が美しい女性、下半身が鳥のキメラだったが、中世以降人魚のようなビジュアルに変化したらしい。
オデュッセイアで任務遂行に失敗したセイレーンは、死んで岩礁になったという。
しかし歌声だけは残り、風が吹くとセイレーンの歌声が再生されてそれを聴いた船員の乗った船は沈没するのだとか。
「このあとが聴き取りにくいのですが」
夢愛さんが、耳に手を当てて聴き取ろうとする。
「ガッコ? いやガッコウ。学校?」
ガッコー、オモイダシテ。ガッコウ。タスケテ。タスケテ。
「彼女の出身校を調べてもらったのですが、けっこうあちこちを点々としてますね」
まぁちゃんとキャリーにメールで野々宮さんの出身校を尋ねたところ、高校の途中から転校してきた、との返事だった。
まぁちゃんが野々宮さんの実家に荷物の一部を届けに行ったときに、彼女の出身校を調査してもらった。
ついさっき来た返事によると、どうやら両親が離婚して母方、父方を行ったり来たりしたらしい。
どういう事情かまではわからなかった。
「ぼくが通っていた小学校にも在籍していたことがあるみたいですね」
ぼくもセイレーンに魅せられているかのようだった。
(「セイレーンの謳う夏」(13)に続く)
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