竜の棲む谷【ショートフィルムより③】
映写室の小窓から見える劇場内が明るくなって、また何人かが席を外した。観客は少し減ったようだ。
「今度のお話はわかったかい?」
少女はあいまいな顔で首を傾げる。
「人間が宇宙へ旅立っていくようになったきっかけが、外部からの働きかけによるものだったことは、長く秘匿されていたんだよ」
ふうん。少女は頷きながらも「ひとく」ってなに? と考えていた。
「外宇宙に出て行くことは大変なんだ。
加速によって光の速度を凌駕することはできないからね」
「ワープとかワームホールを使えばいいんじゃない?」
その手の難しい言葉は得意なようだ。
「残念ながら、アニメやSF小説のテクノロジーは実現しなかった」
「じゃあ、どうやったの?」
「冷凍睡眠によって代謝を遅らせ、長い年月をかけて旅したのさ」
劇場が暗くなり、フィルムが紡ぐ物語が再び始まった。
#3 竜の棲む谷
ベース・ラボの治療システムがぼくの傷の消毒を終えたとき、生物研究班主任のナオミ-ルカ・Yが入ってきた。
「彼らの聖地を荒らして攻撃を受けたそうね。着任早々に問題を起こしてもらっては困るわ」
ぼくはムスッとして、この年齢不詳の上司に文句を言った。
「それというのもドクター・Y、あなたがデータベースへのアクセスを制限したせいで、この惑星の生物に対する予備知識が不足だったせいです」
「ナオミと呼んで。傷の具合はどう?」
「おかげさまで、しばらく傷跡が残りそうです」
恨みがましく額の傷を見せた。
自分と同じ位の体高がある直立爬虫類様生物の出現に驚いて、転倒したときに負傷したのだとは言わなかった。
「男振りが上がったわよ。ラボ内はSPF(特定病原菌不在)区域とはいえ、抗生物質を処方してもらいなさい」
無造作に細い指をぼくの額にあてがうので、思わずドキッとする。この上司は、性格は悪いが美女なのだ。
「前にも説明したと思うけど、これはあなたに先入観なしでこの惑星の原住生物を観察してもらうための措置なのよ」ベッドに掛けたぼくを見下ろしながら、「あの谷は彼らの聖域なの。無闇に立ち入るのはNGよ」
「聖域ですって? あの連中に知性などありませんよ。
ぼくに対する攻撃パターンにも、反射動作以上のものはありませんでした」
ナオミはふん、と鼻をならした。「いったいあの谷で何していたの?」
「これを見てください」ぼくは腰のポーチからサンプルチューブを取り出す。
半透明のPEカプセル中の石片を掌で覆うようにすると、ぼんやりと光が浮かんだ。「ホロー・グラファイトです。あの谷は貴重な鉱物資源の宝庫かもしれません」
ナオミはこの大発見を冷ややかに受け流した。
「これは彼らの神聖な祭器なの。黙って持ってきちゃだめよ」
できの悪い子どもを諭すような口ぶりに、思わずカッとなる。
「ナオミ、あなたの研究姿勢は到底科学者のものとは思えません」
「あら」無邪気を装って手を胸の前で組む「じゃあ、何かしら?」
「対象物への感情移入が過ぎます。被験体の擬人化は危険です」
「あら、もうこんな時間」まったくこちらの話を聞いていない。「一週間もしたら、この惑星の月が新月になる。そのときの彼らの儀式を見れば、あなたの考えも変わると思うわ」
こんな上司と一緒にフィールドワークを行うと思うと、頭が痛くなる。
外ではこの惑星の短い春が始まろうとしていた。
「これは一体なんですか? ナオミ」
ぼくは闇の中で憮然と言った。
「知らないの?」意外という顔つきをした。「馬という生物よ」
美しい白馬に跨った彼女は、微かな星明りの下、背筋も伸びて鮮やかに決まっている。
一方のぼくはといえば、葦毛の馬の首筋に必死でしがみついていた。馬の背中がこんなに高いとは思わなかった。
それでなくとも普段は明るいこの星の衛星が朔になっているため、道が暗くて不安なのに。
「馬くらい知ってます」ぼくは憤然と答えた。「母星の生物を不必要に移植するのは、好ましくないと思いますが」
「不妊措置を施したうえで、体内細菌の完全管理を行っているわ。あなたのバイ菌を感染さないであげてね」
「なぜ馬なんかを移動手段に使うのです? フィールドワークには専用のバギーがあるでしょうに」
「起伏のある地形を踏破するには便利よ。今にわかるわ」
しばらく速足をさせてみたが、とても慣れそうになかった。そんなぼくを見て、ナオミが言った。
「自分が相手を支配しようと思っちゃだめよ。
馬のリズムに身をまかせるの。相手のリズムに同調することで、律動が快感に変わっていくわ。アノ時と一緒よ」
「卑猥な喩えをしないでください」
「音楽鑑賞が卑猥とは思わなかったわ。あなた変わってるわね」
ふと気づくと、我々の前後左右を爬虫類様生物が取り囲んでいる。
ぼくはぎょっとしたが、彼らはこちらを無視し、谷を目指して黙々と行進していた。
新月で暗いため、彼らの前額部にある発光器が闇にチカチカと光るのがよくわかる。感情によって発光パターンが異なるらしい。
夜行性で発声器官を持たぬ彼らの、原始的な交信手段だ。数百、数千に及ぶ無言の行進はどこか敬虔な印象で、猜疑的なぼくでさえ畏怖に打たれた。
太陽型の主星の周りで、唯一ボーデ則の例外であるこの第三惑星だけが、人類にとって居住可能なのは皮肉というべきだろう。
この惑星は、後になって主星の重力に捕われた闖入者なのだ。
楕円軌道をもつこの星は、遠日点で日照量不足のため寒冷で長い冬を迎える。この星の生き物は低温に強い種子・卵の形でしか越冬できない。
この星で食物連鎖の頂点に立つ爬虫類様生物は、極めて短命なライフサイクルをもつ。春に孵化した彼らは短時間で成長し、夏には交尾して丈夫な卵を産む。成体は冬を乗り切ることなく死滅する。
「卵で越冬する彼らは、世代間のギャップを避けられません。当然後天的な学習記憶を、次世代に伝えることができない」
ぼくが原住生物の知性を疑う理由はここにあった。
これは彼らが知的な行動体系を確立するには、致命的であるはずだ。ナオミは反論しなかった。
やがてぼくたちは、彼らの行進から分かれると、谷を見下ろす崖の上で馬から降り、満天の星の中静かに待った。
どれくらいの時が流れたのだろうー
真っ暗な谷のあちこちで、突然なにかが光り始めた。明滅する光は伝播し、やがて谷中を覆いつくした。
それは人工的な光とは異なり、暖かい生命力を感じさせる光だった。光は一定のリズムで律動し、谷を満たす爬虫類たちと共鳴した。
うねりはやがて彼ら自身を飲み込み、宇宙にすら達するかのように思えた。
「彼らはひと夏の命をこの谷で終える。その体はやがて朽ちるけど、発光器は残る」
「あのホロー・グラファイト!」ぼくは叫んだ。
「彼らは発光器とともに学習行動に関する記憶を残し、信号として子どもに伝えるの。いま彼らは、父母からの教育を受けているところなのよ」
ぼくは谷に目を凝らした。光は衰えることなく語りかけている。
「帰りましょうか」ナオミが静かに言った。「明日からは彼らを知的種族として扱わないとね。あなたには教えることが山ほどあるわ」
「ちょうど今の彼らのように、ですね」ぼくは笑いながら言った。(続く)
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