【映画の噺#1】「シックスセンス」に見る”視点”の使い方
「シックスセンス(The Sixth Sense)1999米国」といえばオチの奇抜さですが、初めて観たときは本当に驚愕しました。
冒頭でブルース・ウィリスから、「この映画にはある秘密があります。まだ映画を見ていない人には、決して話さないで下さい」と前説があります。
再見してみると、むしろ出家前で有髪のブルース・ウィリスの姿に驚きます。
いまさら語るまでもない名作ですが、"視点”の切り口でこの映画を見てみたいと思います(ネタバレ、できるだけなし)。
(Image Souse https://411mania.com/movies/dissecting-the-classics-the-sixth-sense/)
前半は医師のマルコム視点
第六感を意味する「シックスセンス」のオチには驚いた。
そう言うと、ちょっとでも類似点があれば、パクリパクリと唱えるパクラーが必ず持ち出すのが「恐怖の足跡 (1962年米国)」というホラー映画。
オチは似ている。
しかしそれを言い出せば、このオチは19世紀から小説で用いられている手法だ。
「シックスセンス」が巧妙なのは、オチの見せ方。それには小説や映像作品の”視点”が係わっている。
映画の前半は、主人公のひとりマルコム医師(ブルース・ウィリス)の視点から、コール・シアー少年(ハーレイ・ジョエル・オスメント)の姿を見ている。
トラブルによって、一線をひいたかつての名医マルコムは、コール・シアーという心の病をもった少年に出会う。
この少年の治療を行うことで、以前のような自信を取り戻せるのでは、と思ったマルコムは、コール少年と係わっていく。
医師がいない場面では、いわゆる”神の視点”と言われる第三者視点になる。
マルコム医師が自らを語るときも、彼の視点から描かれているのだ。
後半はコール少年の視点で
そして様々なことで追い詰められたコール少年が、初めてマルコム医師に「自分には霊が見える」と告げた瞬間から、物語はコール少年視点に切り替わる。
最初は猜疑的だったマルコムだが、自分も不可解な体験をすることで少年を信じるようになる。
彼はコール少年の前に霊が現れる原因にこそ、少年の悩みを解決するヒントがあることに気づく。
コール少年の視点になって、なにが彼を挙動不審にさせていたかが理解できるようになる。
観客は、不可解な行動をするコール少年にとって、世界はこんな風に写っていたのかと納得する、という仕掛け。
そして、「少年の目に写るマルコム医師」という重要な視点が得られる。
医師の助力によって、自分の役割を知って問題を解決した少年。
これで物語はメデタシ、で終わりと思った矢先に少年が奇異なことを言い始めるところから、衝撃のラストという流れだ。
このラストは、前半と後半で視点を切り替える、という構成がなければ観客の「納得」が得られなかっただろう。
叙述トリックとは?
それまでのホラーは冒頭で怪異に遭遇し、危うく逃れるも他人からはその経験を信じてもらえず・・・ というプロットが多かった。
シックスセンスはこのルーチンを裏切って、ホラー・テイストなのに前半では怪現象は起こらない。
ホラーの見せ場を前半に使わない、から凡庸なプロデューサーは嫌うだろう。しかしこの構成が、オチを「納得」させるのに効いている。
この作品は、映画への叙述トリックの応用とも言われる。
叙述のトリックとはミステリ小説の手法で、暗黙の了解で読者が受け入れる記述が物語をミスリードする、というもの。
このトリックは、これが叙述のトリックの名作ですよ、と言ってしまえばもうネタバレになる。
だから名作を挙げづらいのだが、「新本格」の黎明期にはいい作品が数多く出た。しかしその後凡作も含め、叙述トリックだらけになって食傷気味になる。
叙述のトリックは、アンフェアとのぎりぎりをつく技だから、驚かされるか、なんじゃこりゃ? になるかの賭けとも言える。
シャマラン監督
M・ナイト・シャマラン(M. Night Shyamalan、本名: Manoj Nelliattu Shyamalan)は、監督・脚本3作目となる本作で大成功したため、以後どんな作品を撮ろうがケナされる、という運命になる。
1800年代末のアメリカに舞台を置き、深い森に囲まれた小さな村で暮らす盲目の少女を主人公にした「ヴィレッジ(The Village)2004年米国」。
その森には決して入ってはならない、という古くからの「掟」があったり、森に住む「怪物」がいたり。
シャマランの7作目だが、小味が効いていて悪い作品ではないと思う。
しかし、シャマランを観に行く人は、「シックスセンス」の衝撃を期待していて、どうしてもそこからの減点法で採点してしまうようで、評価も微妙だったとか(興行的には高い打率で成功している)。
"視点”を変えて物事を見る、と結構ちがう世界が見えてきたりします。
日本は日本人と関西人だけで構成されているので、結構みんなが一斉に同じ方向を向きがち。
ちょっと視点を変えたら、物事の別の面が見えるかも知れません。
ウサギの母さんが、けなげに敵から子どもを守っている動物モノを観ると、狼はなんて悪い奴だ!と思います。
しかしその翌週に狼母さんが、子育てのために野ウサギを狩っていると、がんばれ!などと応援してしまいます。
視点はかくの如く我々の心理を操るので、物事は多方面から見る必要があると思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?