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【科学夜話#18】あなたの知らない「特許」の世界

「特許」という言葉を知ってはいても、自分とは関係のない世界の話、と思っている人が多いのではないでしょうか?
 特許に代表される「知的財産」について、日本人が教育を受ける機会は少ないような気がします。
 自分が特許なり実用新案なりを出願することはなくとも、その基本的な考え方を知っておくことで、見えてくる世界があります。
 そんな知的財産の話です。

(見出し画像は、イラストACより)

特許庁(PhotoACより)

無形物の価値を認めない!

 日本人はアイデアや技能など無形のものの価値を、あまり評価しない。
 だから歌手に会えば、ちょっと一曲歌ってみてくれ。芸人に会えばオレを笑わせてみろ。絵師に出会えばアニメ1本作ってみせて。
 無法な要求をするシロートが多い。断れば「減るもんじゃなし。ケチ!」

 その一方で自分が「創り上げた」創造物に、他者の作品がちょっとでも似ていようものなら「JKが探偵をするマンガは、オレが○○に投稿したとき使ったアイデアなのに、パクリやがった!」。
 推しの作品に少しでも似ていたら「肉食系女子の恋愛アニメという画期的アイデアを、○○でパクられた」等々。
 パクラーが声を枯らして叫び回ることの多さよ。そんなん、昔から誰でもやってるて。アタマ冷やせ!

 対極的に職人信仰というか、一般化されずに占有されている知識体系への崇拝は大きい。「神技」という言葉が好まれた結果、今でもネットでは「神」が安売りされている。

 アイデアの新規性、それを形にしたときの権利範囲、などといった「知的財産」に関する教育が行われないから、価値基準がバグっている。
 またアイデアを共有するやり方が、稚拙だ。

 医薬分業が行われなかった時代、医者の診断に対する報酬は、注射などの処置、薬などといった「形のあるもの」に対して支払う、と思っている人が多かった。
 医者が的確な診断で病因を突きとめたから、適切な処置としての投薬が可能になった、という考えはなかった。
 だからカゼ(ウイルス)に直接効果のない抗生物質を、不適切なほど多量に処方したほうが、ありがたがられることもあった。

 特許は、そんな日本人にとって苦手な、形のないものに価値を付与する仕組みだ。頭で理解しても、なかなか利用するに至らない。
 しかし、その世界は自分が発明と係わりがない人にまで広がっている。

アマビエ(PhotoACより)

知的財産権の様々な使い方

 知的財産権は、それを発明した人の権利保証のためだけに、使われるものではない。

 コロナが流行り始めた頃、「アマビエ」という疫病封じの妖怪に関する「意匠登録」つまりデザインの権利独占を願い出て、取り下げた企業がメディアに取り上げられた。
 メディアは、悪代官が悪事を働こうとしたが我らマスコミの報道で断念した、との論調だった。
 しかし実態はちがう。

 知的財産の審査官は、一律の基準で判断してくれないと困る。しかし実際はだれが審査するかによって、判断が大きく分かれる。
 また完全にオリジナルと言い切れるものも少なく、権利化できるかグレーなものが世の中には多い。

 もし万が一、誰かがアマビエに関して意匠登録をして認められれば、他社はこのデザインを使えなくなる。
 企業がデザインに投入する、カネなどの資源は大きなものだ。だから、ちょっとでもグレー要素がある素材は使えない。

 そこで一度、意匠登録なり実用新案なりを出願した後、取り下げることで「公知化」しておくのだ。
 公知化=これはみんなが知っているものだから、特許や意匠登録はできませんよ、と宣言したことになる。
 だから、全ての企業が安心して使えるようになる、という知的財産の戦略的使い方だ。

パブリックドメインQより

請求項のせめぎ合い

 特許を出願するためには、発明の内容を説明した「明細書」を記載して提出する。
 その権利範囲を要求する具体的な項目が、「請求項」だ。

 もちろん発明者側としては、できるだけ広い権利範囲を抑えておきたい。
『猫の自動餌やリ器』を発明したとしたら、まずはこの世界のすべての猫、猫科動物、ライオンや虎の餌やり器として使える画期的発明だ、と大きく出る。

 次は、世界中で飼われている猫に使える。その次は日本の猫に使える。そのまた次は、ウチの猫にしか使えないけど。。。
 このように、次第に対象を小さく明確化して権利を要求してみる。

 特許の内容を審査官が判断し、この機械じゃライオンには使えないし、世界中の猫にも使えないし、せいぜい3キロくらいの小型の猫までやね。といった具合に、内容と照らして認められる権利範囲を確定するのだ。

イラストACより

共同研究のむずかしさ

 日本の不思議な伝統的考え方として、「商」を卑しむという風潮がある。 江戸期の、士農工商という価値基準の名残かもしれない。
 学問というのは、世俗とは切り離された高尚な知的ワールドであって、金儲けをしようなどという不純な行為は許されない。

 だから日本では、大学という人やカネが多く投入されている研究機関が、まったく産業技術の発展に寄与していない。
 大学に知的財産部という部署をお仕着せで作っても、幼稚すぎて機能しないのだ。

 天才的な科学者、発明家というのはマンガの世界のことであって、いまや研究や発明には多額の資金が必要になる。
 企業とのコラボ研究などによって、大学側では資金を得られるし、企業側では研究成果が得られる。企業と大学の共同研究は、ウインーウインの関係。などと言っても、これが綺麗事では済まないのだ。

 企業と大学の連携の役割を担ったことがあったが、本当に苦労させられた。
 大学側では、新しい成果は一刻も速く公表したい。いっぽう、企業側では少しでも広い権利範囲を抑えたい。

 特許には発明を出願したのちに、一定期間内容を公開しないステルス期間がある。これには特許に値する画期的な発見がすぐに公開されたら、他社がすぐにマネできるから、一定期間隠しておくという理由がある。

 だから新しい抗生物質を発見し、無事に特許を出願しても安心できない。自分が世の中に発表したときは、まだ知られていなかったとしても、特許の非公開期間にあたっていて、実際はだれかがすでに発見していることもあるのだ。

 企業としては、このステルス期間を利用して、少しでも広く周辺の権利を抑えるように特許に追加記載をしようとする。
 他方、大学は少しでも早く結果を発表して、競争相手に追い越されないようにしたい。

 大学側からは「一刻も速く論文発表したい」とせっつかれ、企業の知財部からは「大学には絶対発表させるな、少しでも多くのデータをとって発表前に権利を拡大しろ」と命令される。
 板挟みで両側から非難ばかりされ、胃が痛くなることしきり、だった。

 日本はもっと知財教育をして、大学の教授に仕組みを理解させろ!と恨んだものだ。

 日本の大学研究は、まったく世の中の役に立たない学者バカの世界、と思っていましたが、才能がある人というのはいるものです。
 しかし、そんな才能のある人に限って、クセが強くて企業が飼い慣らせるような器じゃない、ということも知りました。

 特許というのは、無機質でテクニカルな世界と思っていましたが、実際は非常に人間クサい世界なのです。

#特許 #発明 #知的財産権 #アマビエ

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